安全のためゆうちょ通帳アプリを利用しようとしたら、もっと心配になった件
ドコモ口座の話、大変なことになっていますね…。
ドコモ口座不正引き出し 被害額は計2760万円に | 電子決済 不正引き出し問題 | NHKニュース
そんな口座(と言っても銀行口座ではないですが)持ってないよと思っていても、関係なく勝手に開設されてその中で提携しているキャッシュレスのペイペイなどから使われてしまうという、もう不安しかないような事態になっています。
詳しくは↓
そして、また悪いことを考える人はトコトン利用するもので…
危機を利用した詐欺も出てきているとのことです。
本当に悪党め!!!!
「あなたもドコモ口座の被害に」──警察官を装った詐欺電話が発生中 警視庁が注意喚起 - ITmedia NEWS
人の不安に付け込んで、許せません。
くれぐれも皆さんお気を付けください。
とりあえず全部不安…
と私も、この詐欺で実際に被害に遭われた方と同じように、ドコモ口座怖い怖いと、さっそく口座を開設しているところの残高をチェックしました。
(今回の提携銀行と書かれていないものも、この際と思い確認しました)
幸いなことに、すべてネットバンキングにしているので、ネットから確認を取れるのはいいのですが、実際には、わかりやすく『ドコモコウザ』や『ディーバライ』なんて書かれているとは限らないようで、どんどんその被害が明らかになっていますね…。
やっぱ怖いぜキャッシュレス…となる単純脳ですが、それより思うのは、それまでに色々漏れてたのに発表されてなかった色んな銀行の話が一番怖いってことです…。
これがなければ、公表されなかったものや、実際にはもっと被害があるのに、個々人が記帳なり利用照会なりをして、???と異変に気が付かなければならないなんて、これ負担が過ぎますよね…。
資金運用をされている方やしっかり管理されている方には、それくらい管理して当然!と言われるかもしれませんが、それにしてもひどい実態です。
しかも、一度でなく何度も不正利用されている方もいるようで、本当に気の毒としか言いようがありません。
今のところ、全額返金されるようですが、返金手続きがすぐになされるとも思いませんし、何よりも、誰かに口座番号を知られ、暗証番号まで漏れていると思うと、怖くてたまらないと思います。
何を隠そう、先日クレジットカードの不正利用にあった身なので、とても敏感です…。
本当にこわいこわい。
この時はもうストレスがかかりすぎて、文字通り禿げそうな思いをしばらくしました。
自分なりにですが、とても気にして使っているつもりで、信用しているところ、何度も利用しているところでしか使ってなかったのに、やられましたので、本当に何があるか分からないものです。
何故か、ヤフーのIDも二度も漏らされましたし、ベネッセとか他の情報漏洩のもろもろの話とか、何故か不正に遭う率が高めな私です。。
とっても気にしているのに…なぜだ…。本当に雑な扱いをしていてそんなこと気にしていない家族のものなどは、まったく漏れないのです…なに…吸い寄せてるの…??となにかを恨みたくなります(T_T)
クレジットカードの問題発覚後は、使っていないサイトは解約し、すべて点検してすべてパスワード変更し、カード情報は保存しない!
と誓い(便利ですがね)、面倒でも毎回入力しています。
そして、藁にもすがる思いで、さらなるセキュリティを!!!!とCMで放送されていたノートンのダークウェブモニタリングを購入しました。
登録しておくと、情報が漏れたときにお知らせしてくれるものです。
(結構細かく情報が入れられますが、今のところ不正利用された番号を入れても何もありませんでした。)
カードは再発行してもらったけれど、これはお守り代わりに使用中。
ゆうちょ銀行も利用しているので…
そして、ゆうちょ銀行の口座も持っているので、心配はつのります。。
ゆうちょでは、ゆうちょダイレクトを使って(そこは郵便局らしく、開設といっても持っている口座をネットでも使えるようにするのに、書類や印鑑が必要で時間がかかりました)残高チェックをしました。
あまりこういった重要情報が入ったアプリを入れるのは嫌なのですが、毎回パソコンを立ち上げるのも面倒(こういうものはすべてスマホはなぜか信用ならず(同じセキュリティソフトは入れてますが)、毎回パソコンを使っています)なので、私としてはぎりぎり譲歩して(^^ゞスマホにゆうちょ銀行の通帳アプリというものを入れて利用していました。
これは本当にシンプルなもので、残高を見るだけの用途で使えるものです。
格安SIMは蚊帳の外…
しかし、先日そのアプリが提供終了になりまして(ゆうちょペイの普及のためと思われます)、アンインストールしてからは、わざわざログインして見に行くこともなく放置しっぱなしになってました。
そのゆうちょダイレクトですが、私はスマホが格安SIMなのでメールアドレスを登録しても、セキュリティのためにしたい利用停止のログアウトができません。おーい。
ログイン後もメールが来なかったり…のときもあって。
これでは不正ログインも気づけなさそう…。
3大キャリアを使っている方がどれだけいるかは知りませんが、もうSIMの多様化がされてもうずいぶん経っているので、いい加減対応してほしいです。
本当に顧客獲得とか利益追求とか、○○ペイを乱立させる前に、セキュリティしっかりしてくれよと思いますね。
利便性は安全性あってのもの。
新アプリをしぶしぶ入れると…いきなり…
こうして、使っても情報が届かないことも不安になって、ゆうちょ銀行が出している、評判が非常に悪い…新アプリを今回しぶしぶ入れました。
何か色んなアプリ出してるようですが、どれもこれ本物?という感じで…不安になりながらも入れました。
上手く言えませんが、素人ながら感じる紹介の画像などもなんか雑なんです作りが(*_*;
でも、問題が発生。。。
やっぱり評判通りか…
ログインどころかそこにまで進めません…。
まず、インストール後にゆうちょ銀行の口座の記号や番号、名前、生年月日を入力する使用になっています。
これにすら、ちょっといきなり唐突すぎるぞ…と思いながらも進めました。
がしかし、その入力後、ブラウザが開かれて認証というところになるのですが、そこで確認としてキャッシュカードの暗証番号が聞かれます。
えええ??!これ本物?
これ偽物なら完全にアウトだな…と訝しく思い、調べるも本物らしとしか出ないので(アプリストアからちゃんとインストールしたので当然と言えば当然ですが、今の気持ちとしては、巧妙にフェイクサイトなどに飛ばされるなど何があってもおかしくはないと思ってしまいます)、不安ながら進めると、電話番号エラー…。
おいおい。
すすめません。。。
もう…
アドブロック(adguard)のせい?なんて思って消しても、何度してもエラー…。
電話番号??
ここでよく複数回したので…とロックがかからなかったのは良かったのですが、それすら逆に、そんなセキュリティも講じられていないのか…と知ることになり不安になりました。
そして、
はて、この電話番号とは…というそもそもの疑問にぶつかります。
パソコンをまた開き、ダイレクトにログインして登録情報で、ダイレクト用連絡電話番号を携帯に変えるもいかず…。
これはなんの連絡先だったのでしょう…。
今度は何だかややこしそうな文言が書かれた、住所や電話番号の変更というとこを押すことに。
証明書の通りにとか引っ越したらとか書かれていて、本当にこれ?と思いつつも、ダメもとで進むと、電話番号を入力できるみたいで携帯の番号を入力しました。
(詳しい説明は書かれていませんでした。)
そして以前の登録番号の表示は全然出ません。。
多分自宅の番号と思いながらも、不明のままです。
そうして、本当に手探りで進むと、別に何の提出も求められず(郵便局系にありがちの申請みたいなもの)、そのまま変更できました。
これで郵送で確認とか言われたらもうやめてましたよ。
偽物ならこれで積んだ…
そして、ようやくさっきのアプリの続きです。
目的を忘れかけました。
続きといっても、はじめからもう一度やり直します(´・_・`)
入力してブラウザにとび、暗証番号をいれる。
このサイトがダメなら、これだけ入力してる暗証番号漏れ放題だなと思いつつ、
進むとエラーが出ず!進めました。
登録した番号に電話しますが良いですか、と出てきて進むを押すと、050番号から電話がきました。
そして、自動音声で『他のことに使いません、ショートメールなどで入力しろ等と言われたら詐欺です』という注意が流れたあと、コードが読み上げられました。
聞き逃しても、二度言ってくれるのでここは安心。
そして、その番号を先程のブラウザで入力すると、ようやくアプリに遷移。
ながい…
今度はアプリ自体のパスワードの設定(パスコードかパターン入力の選択)などが出てきて(生体認証(指紋認証)で簡略化できるとその後に出ました口座の情報が出てきました)、やっとこさ、口座の情報が出てきました。
本当にめんどくせいぜ。
息切れ必至です。。
やはり気になる作り…
そのアプリはというものの、猫がいるだけのページで結構地味なものですが、口座はちゃんと表示されたのでどうやら本物らしいということでちょっと安心しました。
作りにも不安が残りますが、しばらくは頻繁にチェックしようと思うので、わざわざパソコンから見る必要がないのは、良かったなと思います。
安全のためには。
アプリストアのレビューなどを見ると、アプリ自体がよく落ちて開けないとか、私と同じく登録ができないとか、いろいろ書いていましたが、登録後は使えています。今のところ。
(アプリが開けないときは、スマホの設定でアプリの情報を表示し、キャッシュクリアにすると、うまくいくことが多いようです。)
いずれにしても、不安定なアプリであることは間違いなさそうですが…。
結局は…
予防はできないものもあるものの、できるだけやって、あとは漏れるかもという危機感をもって生活せねばですね。。悲しいかな。
というなんだか面倒くさかった記録でした。
でもやはり、
もうちょっとアプリもダイレクト自体も何とかしてくださいね。。と思います。
そして何より、他のところも、できるだけ情報はしっかり出してほしいものです。
防げるものも防げないから。
ETV特集 パンデミックが変える世界~台湾・新型コロナ封じ込め成功への17年~の備忘録。陳建仁さん
ドラマも好きなドキュメンタリーも録画してはためてしまっています。
なかなか観れてないのですが、少し観たもので、大事そうと思ったものを備忘録として残しておきます。
これまでは、ハラリさんやアタリさんダイアモンドさんの話をまとめました。
今回は、最近観た中でも特に感銘を受けた台湾のお話です。
放送は、6月21日でした。
ETV特集 「パンデミックが変える世界~台湾・新型コロナ封じ込め成功への17年~」
残念ながら、再放送はないようですが、とても良い回で、消化!と思って観たはずがこちらも結局保存版になりました(^^;)
現在は、NHKオンデマンドなどから有料で動画を見ることができます。
までだそうです。
NHKオンデマンド | ETV特集 「パンデミックが変える世界~台湾・新型コロナ封じ込め成功への17年~」
ETV特集 「パンデミックが変える世界~台湾・新型コロナ封じ込め成功への17年~」 | バラエティ | GYAO!ストア
「パンデミックが変える世界~台湾・新型コロナ封じ込め成功への17年~」
このシリーズ(まだ全部は観れていませんが)が良いことはもちろんですが、聞き手の道傳さんが素晴らしく、的を射た質問やそういう角度でという切り替えし、さらにはすっきりするまとめなど、観ていてとても頭が整理されるようです。
~
2021.6追記
オードリータンさんすごいぞ!ブームみたいなのはやや落ち着いてきたようですが、相変わらず台湾はコロナの優等生という話は尽きません。
もちろん初めから今までにわたるコントロールがかなり効いて、さらにそこに適切な情報公開という側面が加わり、市民の方の信頼が得られたというのは事実だと思います。
ですが、先日ラジオを聴いていたら台湾には日本の『治安維持法』の様なものが現在も機能していて、そのため人々が情報を政府に取られることや監視という面でも抵抗感が他の国に比べて薄いんだという話を知りました。
これは知らない点だったので、ハッとしました。
日本でも、やみくもに台湾方式が~なんてことがかなり取り上げられていたので、知っている方は多くないのではないかと思います。
それらを差し引いても、良い点が多いとは思うものの、ほんの少し頭に入れておく必要があるのかなと思い追記しました。
イスラエルの話でもそうですが、情報を取られるということは監視されるということや統制される可能性があるということと一体であることは、戦時下だけの話ではありません。一様に素晴らしいことばかりではないことは慎重に見る必要がありそうです。
~
台湾の副総統をしていた陳建仁さんの話を中心にしたものでした。
特に言及していないものについては、この陳さんを主としてまとめたつもりです。
『』内は陳さんまたは前述の方の言葉です。
これは大体要約で私の解釈でのまとめです。
↓ ↓ ↓
SARSでとても苦い経験をした台湾。
私は今回これを観るまであまり知らなかったのですが、その様子が今回映像付きで詳しく説明されていました。
和平病院という場での急に始まった強制隔離の模様は、目を疑うものでした。
そして、人権や自由も奪い、沢山の方が命を落としていきます。
感染者が特定されないため、もはや隔離された中の人々は感染しても仕方がないと見捨てられたように感じたろうなと思わざるをえない様子でした。
そこでの不安や精神に支障をきたすであろう状況を思うと、苦い経験というのはとても簡単すぎる言葉だと感じます。
IT大臣のオードリータンさんが有名になりましたが、とにかく情報発信を続けたこと、そして正確な情報を届けるために、時間を惜しまず市民から直に質問を受け付けるというやりとりを続けていたことは、本当にすごいことだと思います。
これはニュージーランドのアーダーン首相の会見や自宅からの公開質問の様子なども同じで、不安なときな正確な情報が何よりの薬になるだろうということと、偏見や差別なども減らせる要因だろうと思います。
しかしながら、今回も台湾では感染者として隔離された人々へは強制力のある対策がされていて、自宅を含む隔離を勝手に破った時間によってその罰金も異なるといいます。そして、その額も大変高額でした。
こうした、民主的な政治を行いながらも、強制力の伴う監視をすることには、プライバシーの侵害という問題が隣り合わせです。
それについては、3つの条件があると陳さんは言います。
『一つは、インフォームドコンセントがあること。つまり、当局が情報を追跡しその情報をしようすることに同意してもらうこと。
二つ目は、プライバシーの保護と機密性。個人情報は追跡するが公表は決してしないということ。
三つ目は、レストラン、ホテル、駅など、感染者がどこに移動しどこが危険なのかを全て伝えること。しかし、ここでも感染者が誰かと言う特定はされることはない。このやり方には賛否両論あると認め、だからこそ民主社会では市民の信頼を得ることがもっとも重要』としました。
私はこの三つ目は、情報の機密性と矛盾があると思いましたし、とても気になりました。されども同時に、少数は見過ごされても、大方の同意や合意は確実に必要なのだろうとも思いました。
つまり、これくらいされても、許せるくらい、あるいは、それをされてもまだ自分達にはそれを上回るメリットがあるということかなというのが私の今の解釈です。
さらに驚くのは、これを可能にする台湾独自のデジタルフェンスという監視システムです。
当局はその権限で、基地局から計測する携帯電話の位置情報を知らせるもので、自宅から離れたり、電源を切っていると、違反者として通報されるといいます。
これについては市民の方もインタビューで、
『民主主義とは矛盾しているとの声であったが、それでも民主主義のもとで多くの同意があったのなら実行も可能だろう』という、冷静な意見がありました。
そうだ、同意も民主的に取られているというのも大きな点だろうなとふと気が付きました。しかし、あんなに冷静に分析できるのは、素敵だなと惚れ惚れしました。
また、他の方は、『データの保管についても、一定期間で削除されるという保証を当局がしているから、それを市民も信じ、緊急的な対応を理解し支持しているのでは』と、こちらも大変冷静な分析で仰っていました。
もちろんこれは二人の意見であって、これはみんながみんなではないはずです。
ここで、何かの番組内で3月か4月頃の台湾で『マスクを買うのにIDが必要なんておかしい!買えないこともあるのは変だ!』と若い男性が語っていた場面を思い出しました。
外から見れば、配慮の行き届いたものであったとしても、中にいれば色んな不満も不都合もあるでしょう。
また、当たり前だがそれぞれ事情も違うし、見えている景色も違うことは忘れてはいけないなとも思います。
この監視システムを開発した人は、
『監視は全ての人ではなく、自宅隔離の人に限定し、期間も14日間だけで、その期間が過ぎれば全ての個人情報を削除する』とし、
『監視の精度よりも人権とプライバシーを守るため』といいます。
『そのために、精度の高いGPSではなく大まかな位置しか分からないようなシステム(あえてレベルを下げて行っている)を採用している』と説明がありました。
何よりも、削除とその期日を断言してくれるのは大きいことだと思います。
その担当者の方は、
『大規模な監視をしてプライバシーのない生活を強いている大国もあり、これはとてもひどいことだと思う』としました。
これにはきっと中国への意思があるのだろうと思います。
その同じ方が
『自分はいつでも誰かに監視されるのは嫌だから』
と言っていたのが印象的でした。
単純かもしれないが、そういう当たり前の市民意識みたいなものは大事だろうなと思います。
国のために差し出せ!と言うよりも、自分たちは色んなものに守られて生活しているのに、それを盾に市民だけに犠牲を強いることは、ありますよね…身近にも。
しかし、そんな台湾でも第2波に備えて、今度はBluetooth(これは前の監視システムよりも遥かに精度が高いそう)で監視するようにすることになったといい、そのことでその情報の管理なども問題となったそうです。
この放送の時点では、未だに決まってないようで、当局とも民間企業とも違う第三者の中立で利害関係の持たない非営利組織に任せるというものとしていました。
(確か個人情報やネットのリテラシーの強いヨーロッパでもこういう非営利組織に預けるという例があったような気がします。お互いの妥協点というのでしょうか。)
しかしそれさえ、まともだと思うのは、完全に任せきりでも、政府は大丈夫だと言う安心感で覆われているわけではなく、きちんとこういう議論が出てくることだろうと思います。
これは本当に民主主義が根付いていると言えると思います。
日本ではともすれば言論統制の様な物言いで批判自体を問題視しますが、政府を批判できるということは、民主主義の大前提です。
また差別については、先述のSARSの時の和平病院での感染者がスーパー感染者と言われ、医療関係者や家族までもが差別されたという話がありました。
本当に人間の醜さは絶え間ないものですね…。
『何世紀も繰り返されてきた感染症と差別については、正確な知識や認識を身に付けることが大事として、思いやりが大切で、人々はそこから感染症を通して共感や感謝を学ぶことができる。そうすることで、より心が成熟し落ち着いた行動を取れるようになる。これは心理的な成長だ』と陳さんは語ります。
公衆衛生はエンパシーかという道傳さんからの質問には、
『その通り、共感とは連帯の心、互いを愛し面倒を見る。誰かに助けが必要なら私たちは助けることができるから、共感は感染症対策に必要不可欠な精神』だとしました。
また、『人間の本質に善の心があると信じている』と語る様子には、とても人間味を感じます。
これは綺麗事にも感じませんでした。
きっと、見えないこと、切り捨てられるかもしれない純粋なことが、こういう危機にこそ生きてくるのだろうと思います。
それが信じられないのなら、ふんぞり返って我が国が一番と豪語するのなら、きっと国民や市民にも伝わりようもないなともしみじみ思いました。。
また別の政府の感染者対策の医師で専門家は、
『台湾での一人目の感染者が飛行機の中で自分は感染者だと名乗り出て、飛行機から降りてすぐに保護を受け病院に直行してくれた、その人の知識や善意は素晴らしい、集団感染を最小限に抑えるように貢献してくれた』
と感謝まで語っていたのには驚きました。
こういう意識を、公人が普通に発信してくれることの影響は計り知れません。
と同時に、なぜこれができないのかな…と悲しくなりました。
差別はいけないとうわべだけで言いつつも、夜の街と言ったり、感染者に向けて発する言葉の数々は排除し差別をしていることに他なりません。
ずっと感染症が出だした冬から気になっていることは、お悔やみをのべたり、感染者にお見舞いをどれ程口にしてきただろうかということです。
毎日食い入るようにはニュースを見ることはないし、情報のデトックスを心がけてはいる私ですが、少なくとも1月から今までにこれらを政府から聞いたことはありません。
自治体からも皆無です。マスコミもほとんど言わない。
人はただの数字となって久しいですが、それまでに思いを寄せたことがあったのかと思うのです。人でなしとはこれかなとも。
この台湾の感染症対策に当たった方々が揃えて言ったのは、
『今までは上手く行ったが、次は分からない。そして、新型コロナウイルスは消えると期待しないこと、それに向けて準備をしなくてはならない』ということでした。
人との距離を取らねばならないことについての話の流れで、質問で『ウイルスよりもクリエイティブにならないとということですか』と言った、道傳キャスターは今回も聞き手としてすごいなと感嘆します。
陳建仁さんは現在退任し研究者に戻り、多額の退職金も辞退したといいます。
こういう職人気質というのか本当に研究畑というのか、普通になせるのはすごいことです。
研究者として、現実的な話をしながらも、希望は必ずあると明るい。
そして、『将来のどんな感染症にも人類はきっと対応していける。それが私の信念です。』とユーモアもあってか笑顔で答えながら、
『大切なのは人類の未来に誠意を持ち、愛情をもって助け合うこと。そして忍耐強く取り組むことだ。知恵をもって科学的な研究を進めること、そして慈愛の心で積極的に助け合うことです』と知恵と慈愛の大切さをときました。
話を聞いていると、本質は研究者なのだけれども、それを良い意味で忘れさせるくらいの情が溢れるリーダーだなと思いました。
ご本人のモットーである慈愛という言葉通りの方だと思います。
その素敵さに録画が消せなくなりました。
正しい知識とその土台にある民主主義は欠かせないものです。
専門家、特に政治に大きく関わっていた人が
『全ての市民に敬意を示し、信頼を寄せている』
と言ってのけるのは並大抵のことではないですが、本来こういうのが一番当たり前でなければそもそもダメなんだろうな…と思うと、同時にとても切なくなってしまいました。
こんな人がリーダーシップを発揮する政府って、本当に羨ましいな。
BS1スペシャル コロナ危機 未来の選択の備忘録。ジャレド・ダイアモンド氏
好きなドキュメンタリーやEテレやBSの特集の録画が、どんどんたまっていって…なかなか観れていません。
最近は、なぜかドラマを観るのも気合がとてもいるというか、集中できず観れなかったり、途切れ途切れで観たりしなければ最後まで観れず…。
少しだけ動けるようになったので調子マシじゃない?と気づかぬふりして(本気で気づいたらすぐ去ることを知っているので…)ぼんやり思っていたのに、鬱のカムバックかしら…とちょっと恐々としています。
でも少しでも、と思いながらようやく数本観たので記録のためにもここに書いておきます。
素通りするつもりが、頭に入らないからかメモしながら、再生しては戻り再生しては戻りと見ていました。
こちらも↓コロナの話題での書き起こし。
というシリーズのジャレド・ダイアモンド氏の回です。
ちなみにこちらの番組は、再放送が予定されていました。
シリーズだったのに一部だけしか見れなかったので、こういうのはやはり嬉しい。
ダイアモンド氏の番組は日本でも何度も放送されていましたので、人気もありこちらも反響が大きかったのでしょう。
再放送予定:9月1日(火)のNHK BS1で午後1:00~午後1:50(50分)です。
以下、大体の要約『』内(私の受け取りによるもの)と感想(『』以外のその他の部分と『』内の()部分)です。
↓ ↓ ↓
この内容は、ダイアモンド氏の著書をベースにして、コロナウイルスとこの感染症以後の世界について語られたものです。
ダイアモンド氏によると、
『コロナ感染症で患者数や死者の数を分けたものは、人種ということよりも、金銭』だと言います。
つまり、『予防できるのも、あるいは治療できるのも、お金を持っているかどうかの差が大きい』とのこと。
確かに、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人が働いているからこそ成り立つのに、その人たちの健康は後回しになっています。
さらに、これは日本でもそうですが、今まで見向きもされなかった、または軽視され予算もどんどん削減されていたところにいた人々を、急に持ち上げ出した、という違和感はどこも同じでしょう。
あまりにも人間というのは現金ですね。
バンクシーが病院に寄付した絵もそういう状況を皮肉る意図が私には見えました。
『人種での差、いわゆるお国柄で感染者数が違うという説には、アジア圏のフィリピンやインドネシアを例にあげ、これらの国の人々は多くはルーツを中国に持ち、元をたどれば中国人だとして、しかし死者数ははるかに多い。これは、文化の違い(そこには金銭の格差も含まれると思います)や政府の違いがある』としています。
社会主義か民主主義かということがよく言われますが、表向きはどんな政治的スタンスを建前にしていたとしても、やっていることが民主的か強権的かというのは一概ではありません。
また、ポーランドやベラルーシなど、コロナ危機を利用した政治運用も考えられます。
元々根っこはあったのでしょうが、社会主義だから締め付けが厳しいとか、民主主義だから規制がしにくいということは、私個人としては言いきれない気がします。
また、『日本とアメリカの違いで言えば、アメリカ人は政府や同じアメリカ人(これは多分民間のいわば横並びの位置からの目線だと思います。)からでも指図されるのをとても嫌う。極端に個人主義であるため。
これに対し、日本人は政府や他人をとても気にするため、要請だけでも従順に従う。
これはまた、病気をうつさないように誰かを気遣うという社会的な圧力も働く』とも仰ってました。
欧米人は権利に敏感であるということを冬ぐらいから強く感じていましたが、それは言ってみれば個人主義なのでしょうね。
そして、日本は全体主義というか権威主義という感じがとても強くなっている気がします。
『そういう点がある意味で対極の例で興味深い』と。
『感染源といわれる、野生動物の取引については、それは食文化や漢方という伝統であるということにも理解を示した上で、伝統には良い伝統と悪い伝統がある』とします。
かつての悪い例をあげていましたがこれが衝撃でした…。
『感染症予防とこれからの人々のためにも、野生動物の取引もそれらを漢方に使うこともやめるように願う』としました。
時代も変わりますし、伝統が必ずしも守らなければならないというものではないと私も思います。
一時ネットでも見た、ベジタリアンを名乗る人が、肉を食べるから病気になる、自業自得と罵っていたのを思い出していますが、誰かを罵倒したり、自分の正しさ証明のためではなく、同じ人間として尊重しながら変革を促したいですね。
急には無理でも、また感染症はきっとやってきますので。
『自由を奪われる事態になっているが、今までもそういった事態は多々あり、自由を放棄することは長い歴史では全く新しいものではない』と言います。
『その自由をあえて放棄することで、地球上の77億人が共に暮らせる。』
『危機への対応は、12の要因が複雑に絡み合い、国家の行方を左右する。』
本当にこういう危機の時に一番分かりやすいのがリーダーの態度ですね…。
この12の要因については著書の危機と人類によるものです。
12個が一瞬表示されましたが、その中で今回言及されたのは以下です。
・『危機の認識。まずこれを認めること。これが第一歩。』
・『責任の受容。他の人や他の国を責めるのではなく。』これはアメリカを例に。
・『誠実であること。』メルケルさんとボルソナーロさんを例にあげて。
『過去の感染症の苦い経験や、フィンランドではソ連の侵攻という歴史から危機に備えるという態度があった。日本は人口密度の高さでも、コロナ対応が難しいとしながらも、戦争や終戦後の危機、原発事故、地震など、幾度となく危機に対処してきた』としました。
個人的には中から見るのと外から見るのは違うな…という印象。
幾度の危機も経験しているからこそ、生かせるものが沢山あるのに…というもどかしさが大きいのですが…。
『権威主義と民主主義とはどちらが優れているかという問いには、権威主義が民主主義よりも優れているとは絶対に言えない』と語ります。
『その根拠は、情報公開の秘匿です。もし情報を隠さなかったならば、感染拡大を防げたかもしれない』と。
『今アメリカには中国を羨ましく思う人も多くいる』として、『権威主義の政府は様々なことができ、そのスピードも早いから』だそうです。
『けれど、良い政策も悪い政策も同じくらいしていることを忘れがちである』と釘を刺します。
これは日本でも何故か強権的なものを!より締め付けを!罰則を!みたいなことを声高に叫ぶ人が緊急事態宣言の前後にもいましたね。
でもそんな人は、いつもは中国はひどいとか、怖いとか、必要以上に言うのに、こういうところは真似したがるのは、権力者が個人の手足を縛りたいためだろうと思ってしまいます。こういうのは怖さしかありません。
『世界史上初めて、同時に危機に陥っている。』
『コロナよりも大きな影響を与えるのは、気候変動』だといいます。
『この危機をきっかけに、気候変動への危機を考えるきっかけにしてほしい。』
これは遠いようでいて、温暖化は直結していると思います。
どれかだけをケアするというのは無理で、温暖化がウイルスをまた新たに生むことは十分考えられます。
さらに、温暖化での食料危機や水不足などが感染症をさらに悪化させる可能性は高いとも思うので。
未来への選択というタイトル通り、進行を務めた鎌倉キャスターより今後の見通しを問われて、
『最悪のシナリオは、コロナがもたらすものよりも、世界が持続可能な軌道に乗らないこと。
最高のシナリオは、世界が地球規模の課題解決について新型コロナから学ぶこと。』
『日本は持続可能な経済を行う能力をもっているのに、その役割を果たしていない。世界に必要なのは、行動していない分野で取り組み始めること。』
最後まで見た感想としては、言い切ることが多いのが少し気になりました。
また、もちろん色んなものを見聞きし知識があってこその見解であろうとは思いますが、そこまで決めつけることはできるのか…という印象はところどころありました。
だからこそ惹き付けられ、面白かったり、分かりやすいと思うのだろうな…とも思いましたが。
あくまでも地理学者としての見方だろうとも思いました。
以前テレビで動物園で講義されているのをチラッとみて、動物行動の専門家だと思っていました…(;・∀・)
どうでも良いことですが、ジャレッドではなくて、ジャレドと表記されるのですね…ちょっとモゾッとします。。
以上、私なりの大体要約(書き起こし)と、感想でした。
気になる方は、9月1日から4日までの午後1:00よりシリーズとして再放送されるので、ご確認ください。
ちなみに、第一回が、ジャレド・ダイアモンドさん、二回目がジャーナリスト、ナオミ・クラインさん、三回目が経済学者マリアナ・マッツカートさん、四回目が歴史学者・エマニュエル・トッドさんです。
Amazonプライムやめることにしました
Amazonプライムやめることにしました。
いや、正確には、年間契約をしているので更新月まで継続するほかはないようです…。
- ・やめるのも簡単ではない…
- ・それでもプライム契約をやめた理由
- ・問い合わせの回答は…
- ・今回の事の発端について
- ・一番の問題は
- ・許せるとか許せないとかの前に
- ・正義?怒るのはそんなにダメなこと?
- ・炎上さえ利用する
- ・諦めることを強制されてる気がする
- ・結論
今回の問題については詳しくは書きません。
書きたくもないというのと、その一点をもって解約を決めた訳ではないためです。
また、コロナ禍の影響もあってか、ずっと気持ちも落ち込んでいますし、体調も悪い状態が続いているため、できるだけ情報を制限するようにしています。
そのため、Twitterも見ていませんし、ニュースの記事を少し見ただけですので、私個人の意見としては、完全にあの運動?の影響を受けた訳ではなく、きっかけになったに過ぎないと思っています。
・やめるのも簡単ではない…
解約について、今回知ったのは年間契約を続けていると即時解約ができないようで、また一度でもプライムを利用したら返金も受け付けてもらえないようです。
これは今回まで全く知りませんでした。Amazon内にも書かれていません。
私はヘビーではないとは思っていますが、定期便を利用したり数か月に一回は利用しているため、この即時解約の対象外だったようです。詳しくは出てきませんので推測するほかありません。
こういう、止めると言いながも使うのはズルの様な気が自分でもしますし、気持ちとしても落ち着かないので、これからは、利用する機会がまたあったとしてもその際は月額利用に切り替えを考えようかと思います。
とはいえ、私はAmazonはまだ使っているし、(何せタブレットはFireHDですし、FireTVにもお世話になっています。気づかぬうちにAmazonの手先になっている気が自分でもします(^^;))これからも使うことはあると思います。
最近Google離れができないのなら、Amazon離れだけでもしようかと画策はしてはいますが、まだ実現できていません。今移行中(正確には以降お試し中)ですが、それについてはまた書きます。
そして、ここではアソシエイトを利用していますし、矛盾している気もするし、曲がりなりにもブログをしているものとしては申し訳ないとも思います。
ちなみにですが、年間の自動更新をやめると、トップページなどに出てくるAmazonの『prime』の文字が青から灰色に変わりました。きっとこういうところで分けられているのだと思います。
・それでもプライム契約をやめた理由
けれど、ずっと年間契約をしAmazonにどんどんどっぷりだったのですが、プライム会員をやめることにしました。
それは、大事にしていることとかけ離れていたので、その直感を信じてみることにしたためです。
過剰反応だという人もいるだろうし、当たり前だという人もいるでしょう。
でも、積み上げられた違和感や不誠実さを無視できなくなっていました。
以前も、プライムビデオのCMで問題となったとき、私自身も問い合わせました。
けれど、コピペの対応しかえられなかった。
あくまで冷静に企業として理念を聞いたつもりですが、納得はいきませんでした。
そして、その後、情報漏えいがあったときも、問題がニュースになっても対外的にも顧客にも知らせなかった会社としての態度について、問い合わせました。
自分の情報が漏れたかどうかも分かりませんでしたから。
その時も、的の外れたおかしい回答しかえられませんでした。
その後も一度もアマゾン側からはお知らせを発表してないはずです。
GAFAについては特に最近警戒がされているように思いますが、それでも問題は尽きませんが、アメリカの動きも以前Facebookの公聴会等でまともな質問ができる人がおらず、問題の本質も分かってなかったように、ただ一時のみ取り上げられていましたが、これもちょっと下火です。個人情報保護のための本格的な規制よりも、会社とのつながりのある議員もいると思われ、大企業の『自由』が優先されている様子です。
そして、上記記事などが示すように先方が変わる気配もありません。
こんな感じの情報の取り扱いや、利用していての細々は色々思うことがありましたが、大きくはそんなことが理由です。
・問い合わせの回答は…
そして、今回のことも問い合わせしました。
何度も書きますが、私なりにではあるもののあくまで冷静に、そして理性的に問い合わせたつもりですし、誰かを叩こうとか、潰そうとか、そういう意図でもなければ脅しもしていません。
そして今回は、ご意見ありがとうございます。そして長らく使っていただいている模様ありがとうございます。
みたいな、ええ?思うような明後日いや随分先の方向からの回答で、いやそれじゃない…が止まらず何度見ても意味が不明でした。
やめるぞ!と言ったこともなければ、毎回不満があれどもそれでも使ってきましたし、便利さに誤魔化されてるなとは思いながら、これでやめるのは…と思いきれない自分もいました。
最近は電話かチャットかをやたらと勧めてくるAmazonですが(他に問い合わせる方法に辿り着けないほど)、私の持っているFireHDのタブレットはストアというAmazon謹製のアプリが入っていて押すとAmazonのトップページへ直通するのですが、そこからページを見てカスタマーサポートへ問い合わせにすると、メールでの問い合わせ(フォームです)場面が出てきます。それも曲がりくねった所ではなく、すぐにそれが表示される仕組みです。
やたらとチャットと表示される前はこの仕組みだったと記憶しています。電話ではなく、やり取りが文面として残る方法をおすすめします。
少し前の機種なので最近のFireタブレットは違うかもしれませんが…。
これが、昔の残存としてのみ忘れられて放置されているだけかもしれません。
しかし、その問い合わせにも返答がないときもあり、まったく意に沿わない回答も多々あります。
先日はその繰り返しで、ひどい回答で気分がさらに悪くなりました。
何を遠慮して、何でそこまで相手が不快でないようにとか、あくまで冷静にとか、あんなに思いすぎていたんだろうと思いました。
誰かを罵倒したり、必要以上に攻撃することは論外としても、あのカスタマーサービスです。
もっと端的におかしい!と声を上げるべきだったと今は反省しています。
向こうも人間ですが、あまりにも配慮しすぎて、放置された後、たらい回しにされた挙句、非常に不快なおもいをする羽目になりました。
・今回の事の発端について
内心はどんな差別心があろうと、どんな酷いことを思おうと、誰かを傷つけようとも自由だと思います。
心の中にとどまっている限りは。
けれど、それを発言する、発表する、とそれはもう無制限ではなくなります。
公にするということは、それを出した自分が責任を負うということ。
そんなつもりはなかったとか、意図してないとか、傷つけたとしたら…などという言い訳は使えないと私は思っています。
もう手あかがつきすぎているぐらい、最近これを聞きますが…。
それが、公人ならばなおのこと。
そこにより大きな影響が伴ってくるというのも当たり前のことです。
発言の責任を負うのは、発言の根拠も示すということだと思います。
それが出せないのならば、ただの妄言だし、それを使って誹謗中傷したならば、悪にまみれたただの愚かな民なのではないでしょうか。
良いときは、自分の影響力を存分に利用するのに、責められるときには、それを人のせいにして逃げたりする。
これもよくあると思うのは、『あくまでも私見です』とか『ちょっと思っただけ』とか『冗談です』みたいなことを頻発する流れも目立ちたいのに、責任は取りたくないという悪しき流行かと思います。
今回の問題と徴兵制の話を見て思い出したのは、昨年8月9日に戦争を煽り『今こそ徴兵制を』みたいな文言を新聞に本の広告として掲げた人たちのことです。
対談であったか寄稿か何かかで、そこに今回の発言者の名前もあったように思います。
あの日にあえて出してきた出版社が一番の愚者ですが、あの衝撃と不快感はこれからも忘れないでしょう。
・一番の問題は
私が一番問題だと思うのは、彼らの言葉や影響力を利用する企業側の責任です。
よくわからない人を、ただやたらと使うメディアの多さに辟易するし、それをまるで人気や民意とばかりに利用する、ネット界隈の一部の人たちもいます。
いくらオワコンだのテレビ離れだのと言われてても、結局まだテレビに出ているというのは、権力になるのでしょう。
そしてその矛盾や意味不明さを解さぬまま、受け取ってしまう私たちはもっと愚かかもしれません。
突飛なことを言うけれどエビデンスを出さない人、声高に差別や偏見をあおるのにいざ正されると逃げる人、そんな人は有識者でしょうか。学者でしょうか。
それを名前だけ使って、無反省に利用することの悪影響をもうそろそろメディアは改めないといけないと強く思います。
一部で熱狂的な人気の人を面白がってただ視聴率のために使うことは、誰かを傷つけたり、権利や自由を奪うことへ手を貸す行為にもなります。
そしてそれに異を唱える声をただのクレームと決めつけてやり過ごしていると、まるでそれが地位や権威のようになってしまうことも多々あるのです。
冴えているとか、論破とか、○○を斬るとか、言って考えもせずに持て囃していると、個人の見解は、箱を通すと、まるで多くの人の気持ちとして姿を変えてしまう。
個人だけのイメージではおさまらなくなるのです。
日本人は権威に弱いと言われるように、この人がいうならそうなんだろう、学者が言うならきっと正しい、有名人がいうから正論だ、などと簡単に変換されるのは、私自身も傾向があるなと思うことがあるのでよく分かります。
それを拾って一度疑って、自分なりに点検することがすっ飛ばされる。
もしくは、もう固まった印象は点検したつもりでも、受け取った時点で固定されて変わらなかったりします。
それすら自分の意見と信じこんだりもする。本当に厄介です。
かくいう私も、きっとこの思考が入り込んでいるでしょうし、本当に疑うとか全くの自分の見解などというものはないのだとも思います。
どこまでが自分で、どこからが影響されたものなのか…など分からない気もします。
ただそれでも今、思うのは、発言に自由をというのと、発言に責任をは同じことではないかということ。
いくら影響されても、それを発信したら、判をつくようにそこに自分も名を連ねることではないかとも思うのです。
・許せるとか許せないとかの前に
差別発言やそれを容認したり助長したりする発言、デマを流すこと、人の人格を傷つけたり、侮辱する行為、いのちを尊重しない発言など。
どこまで、どれだけ許容しなければ、あるいは受け止めなければならないのでしょうか。
本当に無関心でいれているのか、それとも無意識に傷ついたり、悲しんだりしても、当たり前と、皆気にしてないからと、目をつぶっているのでしょうか。
私たちには自由意思があります。
おかしなことに声をあげることができる。
それを誠実に伝えたとしても、脅迫になったり、ただのクレーマーとして処理されることはないはずです。
オーバーリアクトだとか、小さな声で企業を疲弊される元凶みたいなことも言われないはずです。
確かに、ネットは沸騰しやすい。
人々の感情がむき出しになって、大きなことに発展しやすい。
けれど、ただ声をあげた人を悪い例を作る源のように吊し上げるのも、また同じことです。
ネット界隈では、声をあげる人をやたらめったら叩くという風潮があります。
そして、声を上げることが感情的だのヒステリーだのと決めつけます。
出る杭は打たれると、毎度毎度知らしめるように、自分たちが権力者になったと思いたいのでしょう。
そちら側にいると多分安心するから。
いつまでこんなことを続けているのかと、もう2020年だぞといつも思うのですが…。
・正義?怒るのはそんなにダメなこと?
正義感が暴走する、などということも今回また沢山考えましたが、怒ることはそんなに悪いことなのかという思いに至ります。
関係のないことに怒るなとか、自分には影響がないのに口出しするなとか、おおよそそれは誰かを誹謗中傷することと変わらないと思います。
このコロナウイルスの問題では、自粛警察が横行したけれど、あなたの行為もこれだといって何もかも一緒くたにすることは、問題を問題としてとらえなくなったり、声をあげること自体を萎縮させることになるでしょう。
自粛警察などは、正義感の暴走と言われますが、あれは結局八つ当たりだと私は思います。
自分は我慢しているのに!というもので、自分と横並びを強制する暴力。
みな同じでなくてはならない、合わせないと人ではないと、声をあげることを断念させてきた歴史を繰り返したものにすぎません。
・炎上さえ利用する
企業は炎上ということさえ、利用します。
近年そこに倫理観はなくなっていると思います。
特にGAFAと言われる超巨大企業は、こういった問題は痛くも痒くもないでしょう。
何せ、個人の情報も生活もすべて牛耳っているのですから。
私たちは人質みたいなもので、利用したくなきゃしなければいいと、強者の理論で押さえつけられるけれど、やめてみても利便性も情報も捕らえられたままになっています。
ある人が今回のことで『プライムの利便性にはかなわない』と言ったそうです。
きっとそれはAmazonが一番わかっています。
企業イメージがどうと言われても、少しの数が利用しなくとも自分達には関係ないと。
だからこそ、今まで幾度となく問題となっている情報漏えいや、必要以上の情報の取得や利用、それを他社に売ることも、たとえ議論に上っても、変わらないのです。
多分変えようという気もない。
「Googleが従業員を監視するためのツールを開発していた」という内部告発が報じられる - GIGAZINE
以前こんなこと↑も問題になりましたが、立ち消えたように話が聞こえなくなりました。
そんなことの繰り返しです。
超大企業はきっとアウトローなんでしょう。法さえ自分たちに合わせてしまうのでしょう。
・諦めることを強制されてる気がする
そんな姿を見て、私たちは諦めてしまいます。
自分の情報くらい守りたいという小さな当たり前の願いさえ、普通じゃないと信じこまされます。
利用するには仕方ない、便利さにはどうしようもない、当たり前のことなのだと思わされる。
そうして声をあげることもしなくなる。
問題はここで、そしてこの半ば強制された依存関係、泣き寝入りを相手側は利用しているということです。
一番厄介なのは、こんな企業意識が私たちにも蔓延すること。
あまりにも対応がぞんざいで、横柄ですが、それが社会全体のデフォルトのようになっていることです。
・結論
長々と書きましたが、そんなことで、私は今回の決断に至りました。
誰に強制されたわけでも、報酬があったわけでも(クーポンという話は完全にデマです)、短期的な考えでも、ありません。
おかしいと思った自分に従おうと思います。
守るべきと思うものはみんなそれぞれ違うけれど、私の軸は人を大事にする、いのちを大事するということ。
それを傷つけるものは受け入れる必要がないということに、改めて今回気付いた気がします。
Twitterは見てなかったけれど、この間の状況に影響されなかったわけではないし、自分の意見と誰かの意見がごっちゃになったこともある。
けれど、考えてそれでも大事だと思うことは、せめてできる限り守ろうと思います。
おかしいなとか嫌だなと思う感覚も、決めつけなくて宙ぶらりんでもその感覚は忘れずに持っていこうと思います。
検察庁法改正案に抗議します
先日、憲法記念日に寄せて書いたのですが、本当にこれは危ういということが、この混乱時にどんどん進められています。
森友学園のこと、加計学園のこと、そして桜を見る会のこと、何もかもうやむやのままで、審議が尽くされないまま今に至っています。
野党はそればっかりとか、まだ言っているとか、そんな声がありましたが、でもおかしくないですか。
公金の無駄というフレーズにはあれほどかみつくのに、いざ無駄が大量に出てくるとおとなしくなる。
そして、公文書が破棄され、改ざんされ、それが隠蔽され…と犯罪がこれほど行われているのに、一部がまだやっているだけという印象操作が行われることには、本当にどうしようもない沼を見るようです。
何が起こっているのか
そして、コロナ禍の中で出されたのは、検察庁法を一人のために変えようという無理くり策です。
というよりも、こそっと法解釈が変わったと言っておいて、国家公務員法を適用して逃げ切ろうとしたという方が正しいでしょうか。
明らかに問題になるのは分かりそうなものですが、権力の力が衰えそうだと見たのか、コロナの混乱を利用すれば何でもできると見たのか…。
森法務大臣の答弁も二転三転していましたが、結局何も変わることなく押し切ろうと審議入りがなされました。
なんだか難しそう、あるいは地味というか目立たないというのもよく分かります。
でも、とっても大事なんです。
そして、どうしようもない大変なことが起きているのです。
問題点は
何が問題か、それは三権分立がなくなるからです。
日本では、有罪率が非常に高いことで有名ですが、それを支えるのが検察官の捜査権と起訴権です。
これは、本当に強大な力があって、ドラマ99.9%のタイトルにもなった、無罪を勝ち取ることがいかに難しいかというのが話題になるほどです。
つまり、起訴されたものは、ほぼすべて有罪になるというものです。
人の人生やあるいは命の行方までもを変えてしまう力があるといっても過言ではありません。
別にすべてが横暴で、強引なものがあるというのではなく、それだけ大きな力があるというからには、慎重に行われなければならないのは当然のことです。
だからこそ、唯一起訴権を持つ機関であって、検察官には他に惑わされず起訴できるという、公平で中立であることが求められます。
またその地位が独立している必要もあります。
中には、汚職などの政治家の事件を捜査することもあるからです。
不偏不党、圧力に屈しない、独自の判断で職務遂行することが求められるのです。
延長『だけ』では済まない
けれど、これが変わってしまうというのが今回の問題。
定年を延長するということだけに思いますが、それを可能にしようとするのはなぜでしょうか。
それは、定年を延長させることで、任命する内閣にとって都合のいい人事ができるということ。
これは、起訴しないでほしい、あるいは起訴してほしいという声が、他から聞こえやすくなるということに他なりません。
圧力を受けないというルールが曲げられるのです。
この人ならと選ばれるのは、経験や実績をかわれたことによるものですが、今選択肢にある人以外からも選べるとなるとどうでしょうか。
自分たちの言うことに近い人、言うことを聞いてくれそうな人を選ぶものだと思いませんか。
検察庁法の定年規定は
実際、今回問題となっている黒川氏は2月に定年退職を迎えるところでした。
検察庁法にはこうあります。
第22条 検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。
つまり、検事総長以外は63歳になったら退職するはずでした。
黒川氏は東京高検の検事長であり、この対象です。検事総長ではないので。
ですが、どうしても検事総長に押したい内閣は、この法律を曲げるため、ある策を思いつきます。
それは、国家公務員法を適用するというもの。
検察官も、国家公務員です。
ですが、その独立性や公平性など求められることが特殊であるため、法律は別に規定されています。
裁判官が他の圧力に屈して裁判に影響を与えないための身分保障と同じです。(多分こちらの方がイメージが付きやすいと思います。)
このため、歴代の内閣や、国会の答弁では今まではもう何十年もずっと、検察官の定年は他の公務員と同じにしませんよ。と言ってきました。
(公務員の定年延長は理由がある場合に例外的に認められるという規定があります。)
それが、今回、この1月の末になって急に定年延長を閣議決定で決めてしまいます。
本当に毎回お得意の閣議決定で何でも決めるやつです。連発感すらあります。
それはさすがにどうなんだ!となって、ようやく法務大臣が詰められるわけですが、元から規定されていたとか、法解釈を変えただけとか、前からそうなっていたとか、本当によく分からない答弁を繰り広げるわけです。
百歩譲って、これについて法解釈を変えるのならば、閣議決定ではなく、法律の改正をしなくてはなりません。全くの方向転換なわけですから。
けれどそれをしなかった。そして、誕生日前に滑り込みでこれを決めたことには、もう見え透いているとしか言えません。
しかし、法解釈や法律の改定というよりも前に、そもそもその時の権力者が、自分に都合がいいからといって、そんな強大な権力を持った人を一存で決めていいのでしょうか。
自らやその周辺を守るために、起訴されない権利を手に入れ、気に食わないものを起訴できる権利を後ろ手で手に入れたということにもなりかねません。
それは本当に法治国家として成り立ちますかということです。
あの三角形の意味
昔、教科書で立法内閣司法は△の関係で三権分立は、お互いがお互いを見張ることでその権力の偏りを防止する。という図を見たことがあると思います。
あれがなくなるということです。
人事に口が挟めるということは、その人やその人の仕事にも口を挟むことと同じです。
そんな中で、中立で良心にだけ従って捜査や起訴ができるでしょうか。
また、権力で何でもできてしまうというのは、本当に怖いことです。
私たちは、他国の情勢を独裁だとか、強権だとか、言いながら見ています。
けれど、それが実際目の前に繰り広げられているとどうでしょうか。
何故か、気が付かない。
何故か、他人事。
何故か、右がとか左がとかということを差し挟む様になります。
本当に大事なのは、それぞれがバランスよくなっていることではないでしょうか。
監視が行き届き、お互いがけん制しあうことで、より公平で公正な仕組みが成り立つことではないでしょうか。
国がああいうから、こういう罪をもっと取り締まりますとか、こういう人はマークされますとか、そういう恣意的な判断がなされる可能性があることが、本当に安全な国家と言えるのでしょうか。
自分に関係ないというのは、そうでもありません。
検察の存在は遠くても、警察はそんなに遠くはないはずです。
下部組織なわけですから、上に何かお達しがあると、警察の動きも変わることは当然です。
全く無関係でもないのです。別に犯罪を犯そうと犯すまいと。
経済だけよくなればいい、自分には関係ない。
そう思われるかもしれませんが、今回のように何でも法を自らが捻じ曲げる政府を信用は出来るのでしょうか。
そんな政府の下で暮らすことが、果たして経済だけとか他が安全と言えるのでしょうか。
もう十分だ
今回のコロナ禍で身に染みているはずです。
声を上げるということがどれほど大切か。
口をふさがれているということがどれだけ苦しいか。
自粛という檻の中で、数か月暮らすだけでもいろいろな弊害があり、制限がかけられることに仕方ないとは言いながらも、ストレスが大いにあると思います。
先は誰にもわかりません。
危機的な状況だからこそ、不安にもなる。
けれど、その混乱を利用して、本当に火事場泥棒のようにふるまうことを許していては、関係ないと思っていた生活にも影が忍び寄るはずです。
大事なのは、黙ることでも、誰かに任せることでも、無視することでもない。
声を上げるというのは、ただ文句を言うことだけということではありません。
騒いだり、喚くということでもありません。
私たちは、主権者です。
モノ申す権利がある。誰かを罵倒しろというわけではないのです。
ただ、おかしいことにおかしい!と声を上げなければ、その声はないものとして扱われる。
賛成しているものとして扱われる。
隠れて法案を通しても、知らなかったからそれには従わないというわけにはいかないのです。
声を届けてください。
オンライン署名が行われています。
こちらはメールアドレスと名前を入力すると署名ができます。
キャンペーン · 【要請】東京高検・検事長黒川弘務氏の違法な定年延長に抗議し、辞職を求めます · Change.org
声を届けてください。
簡単に検察庁法改正案に反対!でも構いません。
また、住所や名前を入れる必要もありません。
官邸にも、また法務省にもこちらから意見が届けられます。
各省庁にする場合にはメールアドレス欄がありますがこちらも入力しなくても送れます。
ただ確認画面が出るため、表示される数字を□内に入力する必要があります。
とても簡単ですので、ぜひ。
今回の法改正に賛同している自民党へはこちら↓
こちらは名前(ニックネームも可能)、性別、年齢、地域、メールアドレスの入力が必要です。
自民党へのご意見フォーム | ご意見フォーム | 自由民主党
同じく賛同している公明党はこちら↓
こちらも名前、地域、職業、メールアドレスの入力が必要です。
野党という位置づけですが賛同している、維新の会へはこちら↓
名前とメールアドレスが必須項目です。
コロナの問題も大事です。
命に係わる。
けれど、その陰で不要であり不急の行動をしているのは誰でしょうか。
コロナばかり話題になりますが、他にも大事なことがあります。
是非目を向けてください。
分かりやすくまとめている方がいました。参考にどうぞ。
コロナ騒動で報道されぬ重要法案。異例の公務員法・検察庁法改正と高齢者フリーランス化=らぽーる・マガジン | マネーボイス
以下は現在の検察庁法が読めます。
ETV特集 緊急対談 パンデミックが変える世界の備忘録。ハラリ氏とアタリ氏
最近は、ニュースもみれない、ドラマの録画も進まない、バラエティーも音がしんどい…と観るものがどんどんなくなっていますが、ドキュメンタリーなどが好きでNHKはBSやEテレを時々観れています。
ETV特集の鈴木義男さんの番組の前の週の放送だった、『緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜』の再放送の録画をようやく観ました。
気が付けば、二回続けて、ETV特集の話だ(;'∀')
この番組がとても興味深くて、本当に示唆に富んでいました。
これは!と思う言葉をメモしていたのですが、ほとんどの発言をメモする事態となり(^^;)手も忙しいほど動かしながら、見入っていました。
- ユヴァル・ノア・ハラリさんとジャック・アタリさん
- ハラリさんの話 私たちは今選択できる
- コロナを利用した独裁
- 緊急事態がずっと…
- 監視システムについて
- デマにはどうするのか
- 結末は選べる
- ジャック・アタリさんの話 危惧すること
- 利他主義への転換を
- どう行動すればよいのか
ユヴァル・ノア・ハラリさんとジャック・アタリさん
HDDがいつものことながら一杯で、消化しようとして観たのですが、予想に反して保存版となりました。
以前、多分今年の正月に放送されていた、『欲望の資本主義』のシリーズの再放送とスペシャル番組をじーっと観ていて、経済については分からないから難しいかな?と思いながらも、興味深かったのを思い出しました。
今回の対談に出ている、ユヴァル・ノア・ハラリさんもジャック・アタリさんもこのシリーズに出ていました。(後で気づいたけれど)
そして、ジャック・アタリさんはこの番組の録画を観る少し前、欲望の資本主義のスピンオフをBS1で再放送していたのをちらっとお見掛けしていました。
そのときは(多分ポジティブすぎて?)不思議なおじいちゃんだなぁ(^-^;と思って途中でやめてしまいました。
真剣に見入らず申し訳ない!とこれを観てから思いました。
もっと聞いていたかったというのが、この番組を観た感想で、ハラリさんもアタリさんも、それぞれ一時間くらいの番組で話してほしかったな。と思ったのですが、ハラリさんに関しては、特別編として60分の番組になっていました。
そちらも録画していましたが、まだ観れていません。楽しみです。
「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」 - ETV特集 - NHK
この3人の対談を観たときのメモをここに残しておきます。
あまりにも大事!そうそう!とずっと頷きながら書いていました。
自分の備忘録として、そして見れなかった方に少しでもニュアンスが伝われば幸いです。
ほとんどを字幕を中心にしていますが、ですます調はなしにしていて、私個人の理解で縮めたりニュアンスが変わっているところもあります。
『』内は発言、それ以外は私の言葉でまとめたものや、感想です。
↓ ↓ ↓
ハラリさんの話 私たちは今選択できる
以下はハラリさんの話の一部抜粋です。
『私たちは選択肢が数多くあることを理解すべきで、それらは政治的選択。
政治家の仕事であり、政治家を監視する市民の仕事。
ウイルスの流行だけに関心を持つべきではない。
政治状況にも焦点を当てるべき。』
ニュースでも本当にコロナ以外の話をここ何ヵ月も聞いていない。
『民主主義が崩壊するのは決まって緊急事態のとき』と警告する。
ハンガリーのあからさまな独裁への舵の切り方には驚いたけれど、どこもあり得ない話ではない。
不安でどうにかしてくれと、強権的な動きを求めるのもまた日本にいる私たちも経験したばかりのこと。
また、選挙で敗れたのに、議会を閉鎖しようとした自国のイスラエルの首相のやり方は『ウイルスの流行と闘うという口実を使った政治的クーデターだった』と話した。
これもなんか遠い話では決してなく、保身のために、どこも政治家自身の任期の延命のためにやりそうだと思った。日本もね。
コロナを利用した独裁
独裁者は効率がいいし、迅速に行動できる。
誰とも相談する必要がない。
しかし、間違いを犯しても決して認めない。
間違いを隠蔽する。
メディアをコントロールしているので、隠蔽するのが簡単。
間違いを重ね、責任を他の人に転嫁する。
そうしてより権力を強化する。
そしてさらに間違いを重ねる。』
いかん…これはコロナが来なくても日本の姿そのものではないか…😩なんかとても寒気が…。
昔から危機により政治が大きく変換するというのは、為政者にとっては利用して容易く動かせるようになる、ということなのかもしれない。
『民主主義に大切なのは政府が間違いを犯した時に自らそれを正すこと。
そして、政府が正そうとしない時に、政府を抑圧する別の権力が存在するということ。』
ここではチェックという言葉を使っていた。
その通りとしか言いようがない…。主権者は国民なんだから。
緊急事態がずっと…
イスラエルでは1948年に出された緊急事態の宣言がいまだに続き、多くが未だに法的に有効だと語り
『緊急措置が適用されるのは危機の間だけで、危機が去ればいつも通りに戻ると思いがちだが、それは幻想』と。。
こちらもずっと危惧していること。
憲法改正をみたいな言葉が先日あったのも、こういう事態を見越しているからと思える。
『緊急時だからこそ、民主主義が必要。
チェック&バランスが維持されなければならない。
政府を権力につながる人だけでなく、国民すべてに奉仕させるために監視が必要』
一部の人や自分にとって都合のいい周りの人々のためではなく。
監視システムについて
また、日本でも言われた感染者の監視システムの導入の話では、ネット先進国のイスラエルでは国民に対する監視として、治安機関がテロを監視するために作られた監視システムの運用を容認している。データは警察に一旦送られ、必要となれば収容や隔離も可能という仕組み。
自分は監視を支持するとしながらも、危機をおぼえるとして
『警察とつながりのない、独立した保健部門の機関がすべきで、個人のデータを政府が集め密かに保管すべきではなく、自分達自身にもデータにアクセスできる権限が必要。
データにも政府の決定にも透明性の確保がされなければならない。
監視は両方向であるべきで、それが市民の力である。
一方向であるのは、情報を隠されるなどして危険である。』と。
ハラリさんの言うには、教育を基礎にした、信頼関係が大切。
デマにはどうするのか
デマに惑わされないためには
『市民が情報を吟味し、科学的な指針に従えば、緊急時に独裁的な手法をとる必要性は少なくなる。
これが非常に重要。
一人一人が、現在の状況や誰を信じるかについて知識をつけること。
そして、政治状況に目を光らせておくこと。
決定に参加し、政治家たちの行動を監視することがとても重要。』
結末は選べる
最後にメッセージとして。
『自国優先の孤立主義や独裁者を選び、陰謀論を信じるようになったら、その結果は歴史的に大惨事だろう。
グローバルな連帯や民主的で責任ある態度を選び科学を信じる道を選択すれば、後に人類にとって悪くない時期だったと思えるはず。
人類は以前よりずっと強く団結した種になれた時期として位置付けられるはず。
結末を選ぶのは私たちである。』
最後の言葉がとても印象的だった。
私たちには選択肢があって、その手に決定権があるということ。人任せではなく。
ジャック・アタリさんの話 危惧すること
そして、以下は、ジャック・アタリさんの話の抜粋です。
↓ ↓ ↓
ジャック・アタリさんも、ハラリさんと同じく、パンデミック後に危惧することとして、
『ポピュリスト政府の誕生や、新しいテクノロジーを使った国民監視が強化された独裁主義の増加、ハンガリーを例としたパンデミックを独裁主義に向かうための口実にすること』
をあげていた。両者ともに、予想しうるシナリオは似ていたように思う。
そんな中で、強い政府(混乱時の管理という意味において)と民主主義は両立しうると。
第2次世界大戦時のイギリス政府の例をあげていた。
また、差別や分断が目立ってきているとし
『利己主義が拡がることの危険性や、経済的な利己主義が高まる危険、国境閉鎖というのではなく、バランスのとれた連帯が必要。』
国境閉鎖は現状で必要ないという意味ではなくて、コロナ以後という意味でだろう。
利他主義への転換を
そこではポジティブな社会、共感のサービスがキーとなる。
『ポジティブ経済とは、長期的視点に立ち、私が命の産業と呼ぶものに重点をおく経済。
これは、生きるために必要な、食料、医療、教育、文化、情報、研究、イノベーション、デジタルなどの産業。生きるのに本当に必要なものに集中すること。』
デジタルなどの中では、セキュリティとも言っていた。
『利他主義は合理的利己主義にほかならない。
利他的であることは、ひいては自分の利益となる。』
感染や国同士の経済発展を例にあげていた。
『利他主義は最も合理的で自己中心的な行動』とも。
自己謙遜に似たくすぐったさも覚えたが、きっと俯瞰で見ると人のためは自分のためなのだろう。
仏教的な感覚にも思える。(後ろに日本庭園の写真が飾ってあった)
『経済の設定を変えなくてはいけない。
戦時中の経済と同じように。
ただし、爆弾や武器を生産するのではない。
医療機器、病院、住宅、水、良質な食料などの生産を長期的に行う。
多くの産業で大規模な転換が求められる。
私たちに出来るかはわからない。
パンデミック後、人々が以前のような行動様式に戻ってしまうかもしれないから。』
どう行動すればよいのか
やたらと良い機会だから生かせと焚き付けるようなよくある言い方ではなく
『良い方向に進むためには、今の状況を上手く生かすしかない。
しかし、人類は未来について考える力がとても乏しく、また忘れっぽくもある。
過去の負の遺産を嫌うため、それが取り除かれると、これまで通りの生活に戻ってしまう。
人類がそのような弱さを持たないように願う。
私たち全員が次の世代の利益を大切にする必要がある。
誰もが、親として、消費者として、労働者として、慈善家として、そしてまた一市民として投票を行うときにも、次世代の利益となるような行動をとることができれば、それが希望となるだろう。』
聞き手である、道傳キャスターの落ち着いていて的確な質問で、より深くより芯を食う対談だったと思います。
本当に観れて良かったなと思える内容でした。
私の理解と、まとめを含めるとなんだ?!となるかもしれませんが、本当にいい番組だったのです。
うまくまとめられずに、読み返してちょっと落ち込む…(´・_・`)
個人的には、欲望の資本主義がまた観たいなと思っていたところ、BS1でスピンオフの再放送があるようです。
「欲望の資本主義2020スピンオフ スティグリッツ大いに語る」が5月11日(月)午後1:00~午後1:50
「欲望の資本主義2020スピンオフ ジャック・アタリ大いに語る」が5月12日(火)午後1:00~午後1:50
スティグリッツさんの話は大体観ましたが、とても分かりやすくて興味深かったです。
アタリさんの回も今度は(^-^;しっかり観ます。
オンデマンドの配信もありますが、こちらは有料です。購入期限は来年まで。
基本的なものまで奪われないように。鈴木義男さんに思う
これを読んでいただいているあなた、ご無事でしょうか。
何とか生きていますか。
見ていただき本当にありがとうございます。
いのちがあってよかった。
私はというもの、以前にも書きましたように、本当に相変わらず毎日ぎりぎりの波に乗って、、、
でもなんとか生きています。
もう少し、もう少し、、と思いながらなかなか楽にはなりませんが、どうか無事に過ごしたいですね。
先日、何気なくつけたEテレで大変興味深い番組が放送していました。
それは、鈴木義男という福島出身の法学者のお話でした。
どのようにして憲法が作られたのかがこの方の人生を懸けた奮闘ぶりと共にもうかがえました。
これを観て、書かねばと思いました。
つなげなければと思いまいした。
この番組に芦田均役で出演されていた、斉藤洋介さんが先日亡くなられました。
写真で見る芦田均ととても良く似ていらっしゃるんですよね。不思議な感じがしました。
頑固そうで、それでも話せばわかってくれるという味のある人物像を見事に表現されていました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
私たちは普通に生活していると、憲法がなんたるかなんて考えもしません。
それは、考える機会も必要もなかったから。
ある意味で(いや多くの人にとって)それはかなり幸せなことだと思います。
侵害された、迫害された、奪われた、という事態になっていないとうことの裏返しですから。
だから、特別な機会でもないと考える隙間がなくなっていくのは当然だと思います。
憲法と言うと、小学校などの学校の授業しか思いつかないということもあるかもしれません。
でも、これからもそれが同じ様に続くものとも限りません。
このコロナ危機とその機会をうかがう不穏な動きが心配でなりません。
世界が闇に丸ごと包まれた今を戦争と表現する人もいます。
私個人としてはこの表現はやめてほしいと強く思っていますが、状況としては大きな闇の中にすっぽり包まれて混乱が続いているというのは事実です。
今から少し前、政治なんて考えなくて良かった、権利なんて意識しなかった、もちろん憲法なんてよくわからなかった、そんな人たちが自分達の権利を奪われ、差別され、国の手足となって戦い散っていきました。
正しいと教えられたことが一夜にして変わったこともあります。
けれど、声をあげることはできませんでした。
声をあげれば、その言葉を奪われ、自由を取り上げられたからです。
自分の家族や大切な人たちにも危害が及ぶ、そう考える人もいました。
戦争の時に権力を振りかざしたのは、何も政治家や軍のトップだけではありません。
それに感化され、影響された、多くの市民もまたそれに従い、お互いをその新しく決められたルールから逸れてはいないかと監視するようになりました。
恐ろしいことに、独裁的だと言われたり、大量殺戮をしたと言われた政治指導者の中には、選挙で選ばれた人もいます。それも民主的な選挙で。
独裁は独裁という顔で突然にやってくるのではありません。
また、時として人は独裁を自分たちで選ぶことすらあるのです。
今の例では、トランプ大統領がわかりやすいでしょう。
独裁者を生んだ、かのドイツは、大変素晴らしい憲法を持っていました。
今でも進んでいると言われるような、進歩的で革新的な憲法です。
日本の憲法の条文ももここを起源としているものが多数あります。
そんな民主主義のキラキラとした憲法は、ナチスドイツの頃も生きていました。
けれど、政府によって無効とされ、新たに制定された憲法が代わるようになります。
ワイマール憲法は、その無効となった憲法ですが、今のドイツではこれが復活し土台となって生き続けています。
これは、大きな大きな敗北から這い上がったことにより、奪い返したものでした。
それは1700年代のバージニア権利章典やフランス人権宣言などに基づく、天賦の人権という原則が息づいています。
これは、人は生まれながらにして基本的な権利を持っているというものです。
自由であり、平等であり、幸福を追求することができるというものです。
当たり前と思うでしょうか。
もしくは、税金を払わない人にはいらないと思うでしょうか。
あるいは、よくない考えをする人は取り上げられるべきだと思うでしょうか。
権利は義務の対価であるという考えを持ち出す人もいます。
けれど、そんな人もまた、基本的人権が守られています。
考え方が違っても、お金持ちでもそうでなくても、肌の色が違ってもです。
天から与えられたというのはおかしいという人がいますが、これは完全にいちゃもんでしかありません。
天賦とは生まれながらにしてということです。
成人になったからとか、税金を納めたからとかいう後から加えられるものではないということです。
誰かの許可が必要でも、誰かに気に食わぬと奪われることもありません。
天賦は自然とも言い換えられます。ルソーの頃の話です。
日本はキリスト教じゃないなどとこれを誤魔化して、そんなものはおかしいと言い張るのは、人権を奪いたいという表れではないでしょうか。
また、天賦の人権は奪われません。犯罪をおかしたときには、権利の制限がかけられるものもありますが、天賦の人権つまり基本的な人権は奪われないのです。
こんなことを明文化した、ワイマール憲法がいかに画期的だったかというのが先述のテレビで思ったことです。
しかし、日本では戦争の後もこれを簡単には認めようとはしませんでした。
アメリカから押し付けられた憲法だという声がいつまでもありますが、制定には多くの日本人が関わり、日本人が細部も決定しています。
鈴木さんをはじめとした方々の尽力があり、新たに作られた憲法には今では当たり前ともいえる、この基本的人権が規定されて私たちは生きています。
たとえ正しい選挙で選ばれたのだから、その人たちのいうことを聞くのは私たちの責任なのでしょうか。
選挙で選ばれたから、勉強をして法律を作っているのだろうから、議員になったら遠い存在だから。と私たちは諦めることがあります。
けれど、本当にそうでしょうか。
どんな有名大の法学部を出ても、弁護士出身でも、本当に勉強したのだろうかという言動をする政治家は、悲しいかな山ほどいます。
また、官僚出身で法などを熟知している人だって、国民よりも、自分のためや上司のために動かないとも限らないのです。
おかしいかな?なんか気になるな?をどんどん放置すると、過去の大戦時の世界の多くの祖先や先輩方の権利と同じになるかもしれません。
日本に限らず、それで失敗した国は多くあります。
忘れたくはないのです。
苦慮した人たちがどれだけいたのか、汗や涙を流し、時には血を流して権利のために闘ってくれた人たちがいたことを。
無にしたくはないのです。
ただその時の、為政者の功績やプライドを守るためだけに画策されるもので。
見たくはないのです。
多くの命が奪われ、多くの命に程違い権利が剥奪される様を。
何でも淘汰され、何でも消え去っていきそうな今だからこそ、
忘れないように。ここに記しておきます。