なまけものーと。

なまけもので、ダメダメな私が生きていくために、つらつらと綴るブログです。今のところ、ただただ生きているだけです。※本ブログはアフィリエイトを利用しています。

敏感肌でズボラな私の花粉黄砂対策。2026年版

花粉の飛散量がとても多かった次の年は、少なくなるという定説を信じていましたが、今年も多いじゃないか…涙
しかも、飛散量がピークになるのもとっても早い!
夏は早く来るし、花粉もなの???と呆れているところです。

 

ということで、仕方なく今年もしっかり対策しています

マイナーチェンジが多めですが。

新たな発見もあり、なまけものにしては対策に前のめりです。

敏感肌でズボラななまけものでもできる方法のみ採用(実践して続くもののみ)。

 

昨年分↓

namakemonote.hatenablog.com

 

そこから変えたのは、化粧水、乳液といった保湿をしっかりするようになったこと。
あと炭酸の泡洗顔にして、マスクをちょっと変えました。

 

今年のラインナップ。

一部ですが。

 

肌バリアが鍵

べたつくし面倒だし、合わないものを付けたら荒れるし…と軽視していましたが、肌バリアってとても大事なようです。

 

鼻や目などの顔だけではなくて、肌は臓器の一部だから全身の保湿がされているとバリアとなって刺激を吸収したり、花粉などの外的に過剰に反応してしまうことも減らせるとのこと

 

それを知って、顔も体も保湿するようにしました。がっつりはしませんが。
疲れない程度に適当に

 

乳液嫌い、ケアセラに出会う

私、乳液というものをかなり敬遠していました。
油と水を乳化したものなんて不要だと思っていたし、自然でないと思っていたので。
今までほとんど使用したことはなかったです。本当に片手で数えられるくらい。

けれどあまりにも荒れてかゆかったり、ひりつくことが増えて、化粧水すら付けられなくなったとき、出会いました。

ケアセラに。

これは画期的でした。セラミドありがとうと思うほど。
セラミドは知っていたけれど、ピッタリなものとはいえず、中に水分が蓄えられているとも感じたことがなかったので。

 

 

軽いのに、しっとりしていて夏でも使っています。
そうすることで、かなり肌トラブルは減りました。

 

油膜感のない謎の保湿現る

ケアセラにも似たようなものが何個も出ていますが、大きなボトルの乳液よりも先行乳液が私には顔には一番適していました。
軽いんです。
ただ少しお高めなので、顔のみの利用です。

ノズルがかなり細めなので調節もしやすい。

 

からだとかさつきが強い時は、通常の乳液を使用しています。

大きいボトルを買って家族で使用しています。

こちらの方が保湿がしっかりなためか、やや油膜感強めです。

ケアセラ APフェイス&ボディ乳液 大容量 400mL

 

先行乳液は、化粧水前用というのがこの商品の趣旨の様ですが、私は化粧水のあとや少しかさつきが気になるときに、後に使用。

 

どちらもワセリンが入っていますが、特に先行乳液はあまり油膜感も感じず使えます。

結構謎なほど。
沢山塗ればべたつきますが、少しなら大丈夫。もちろん肌質、環境、季節、などにもよると思いますが、私には合っていました。

 

カウブランドの無添加は化粧水も優秀

また、少し前までは化粧水は松山油脂のバランスを使用していましたが、試しにカウブランドに変更したらこちらも結構良くて、とてもしっとりとありますが、ベタベタせず混合肌?みたいなややこしい私の肌にも合いました。

 

こちらはグリセリン入り。
グリセリンが合わない人以外なら試す価値ありかもと思います。
トロっとしていて、ボトルの口を開けるとネバッとするときがあるほどですが、不思議と肌に載せると重くありません。

また、沢山つけずとも潤うのでコスパもよく、減りも少ないです。
逆につけすぎると、こちらは少し分かりやすくベタッとしてしまいます。
大体500円玉くらいの量を手に取って適当に伸ばして完了。

余分な香りも色も成分もなく、なにより変更後も難なく自分の肌になじんだのが嬉しいポイント。

この化粧水のあとに乳液で終了。

 

美容液やオイルもしたいところですが、何分ダルダルのためこの乳液で終了することが多々。
花粉対策に全振りしています。それをなにがしかの免罪符にしています。

 

 

色が合わないフェイスパウダーの使い道

そして、使用していたフェイスパウダーも(昨年の記事内のでは化粧水も)動物実験をしている可能性が分かり(騙された!!と憤りました)、必然的に変えました。

今は主に使用しているのは、日焼け止めにフェイスパウダーをガーッとカブキブラシで雑にのせる手段。
このフェイスパウダーは実は顔の色にあまり合わなくて、使用機会がなかったものの転用です。
もったいない精神。

マーブルカラーなので濃くつけると顔がオレンジ色みたいになり浮くのですが、ざっとつけるし、マスクで大体隠れているので大丈夫という感覚です。

 

上のワセリンは、ヴァセリンよりも軽く伸びやすいのにべたつきがマシです。

ガサガサにはこれでカバー。

ワセリンの種類としては、皮膚科などで処方されるプロペトやお高いサンホワイトの少し手前のイメージの様ですが、私には十分でした。

 

肌に合うノンケミ日焼け止めも発見

スキンアクアのナチュラルベールの日焼け止めは、肌荒れ防止のため紫外線吸収剤が入っていないもので、試した中では重くならず白浮きしないタイプのもの。

 

比較的大き目のドラッグストアでなら置いていて、ノンケミカルものはネットでしか買えないものがほとんどなのでそれも嬉しいポイント。

しかもノンケミカルにしてはお安いのも〇です。

 

スキンアクア ナチュラルベールUVエッセンス ローズ(50g)

これだけでは少しべたつくので、顔に花粉が貼りつきそうだし、パウダーは必須。

 

フィジシャンズフォーミュラは以前使用していたミネラルファンデのメーカーだったので、てっきりミネラルだと思ったら、どうも違ったようで…。

捨てるのももったいないので、ここで活用。
まだ肌寒くてもしっかり紫外線は注いでいるようなので、面倒ですが日焼け止めは必要みたいですね…。

 

顔はマスクをするけれど適当に日焼け止めも塗っています。
これ以上気温が上がるとマスクとの摩擦とムレで肌が荒れそうで心配ですが…。

 

カブレないUVパウダーは有難い

そしてマスクを取る時間が長めの時は、このもったいないパウダーではなく、アクアアクアのUVパウダーを使用しています。


私にしては、えいやっ!と購入した贅沢品です。
でも、アイブロウでそのカブレなさを知っていたので安心のブランドということで選びました。


カユカユにならない!かなりうす付きですがパール感があるのでツヤも出ます。
何より、汗かぶれが気になる上にこれからの暑くなる時期にはUVもしたい。

これは紫外線吸収剤なしなのにSPF50!ありがたや。
これは買ってよかった一品です。

 

ピンクを使っていますが、ベージュの方が肌馴染みが人気の様。

色づきはかなり薄いので、どちらも浮きにくいと思います。

 

洗顔さえつらい時にも泡が助けてくれる

そして、洗顔です。
花粉対策以前に、ダルダルがひどくなり、毎回顔を洗うことさえしんどくなってしまったのですが、トナーパッドでふき取りなどで誤魔化していました。


しかし、肌への負担は度外視するように目をつぶっていたのですが、吹き出物が出だしたりヒリヒリするようになってしまい、仕方なく洗顔をしなくては…と逆戻りしました。


以前、ポンプ式のカウブランドの泡洗顔を使用したことがあり、その楽さに感動したと同時に、こんなに楽をしていいものかと、自分のなまけもの具合に拍車がかかるぞ!と戒めのため止めていました。

 

しかし、これはやばいと思うくらい、何をするにもしんどくなってしまい、もしかしたら泡で出てきたら洗顔もできるかもしれないと思い直し久しぶりに使い始めました。

しかも今回は気になっていた炭酸の泡をAmazonのセールの時に試すことに。


これが、とっても良かったんです。

 

まさに生クリームを塗るよう

めちゃくちゃもっちり泡で!昔何かのきっかけに余っていたシェービングクリームを手にすることがあったのですが、まさにあれ。

生クリームです。

そして刺激もほとんどなく、安心して毎日使えます。

 

VTのトナーパッドも使用していますが、泡洗顔にしたところかなり快適になりました。

炭酸と書かれていますが、別にパチパチしません。

 

香りはオレンジ油が入っていてその香りがします。

私自身、化粧品に香りがついているのが苦手なのですが、これはあまり違和感なく使えるほのかさ。

また、炭酸なので振って使うのですが、このガス(LPG)が環境に悪いかなと気になっていましたが、この楽さに軍配です。すんません。

 

実際何回とは数えてはいませんが、1本で結構持ちます。
コスパも良いと思います。
種類も何個かあるようですが、2本入りを買ったのでしばらくはこちらを使用します。
使用感も乾燥したり突っ張ることもないので、使いやすいです。

 

ダルダル、体調弱い勢、風呂キャンにも

花粉を落とすぞ!と意気込まなくても、頑張って顔洗うぞ!とすごく力を入れなくても使えるのが嬉しい。

なによりもちもちなので、顔に載せるのが楽しいし気持ちがいいです。
これで洗顔して、化粧水と乳液まで何とかなだれ込むのが一連のセット。

辛い時期もちょっと楽になったのが嬉しいです。

 

花粉だけでなく、ダルダルさん、メンタル含め体調悪い勢、そしてお風呂キャンセル界隈勢にもおすすめできます。

 

今年のマスクは2種

最後に、マスクは肌がひりひりしないを重視していますが、あまり高いものはもったいないし買えない。。


エリエールを買っていましたが、どんどん値上げしてセールがそんなにセール価格でもなくなってしまったことと、早くに花粉が飛び始めたこともあり変えました。

エリエールのも一様少しは温存していますが、よっぽどの時に使用しようと普段は使わずです。
4月からまた値上げですし…涙。

 

今年は、ヨドバシドットコムのレビューでたまたま見つけた、お安めマスクが耳も痛くならず割と良かったので、リピートしています。
少し薄め。

BMCフィットマスク レギュラー(60枚入)

メガネが曇りにくいとありますが、くもり止めを毎日しっかりレンズに塗っているのであまりわからず。けれど、多分他のよりもマシです。

薄いけれど、花粉が入るぞ!みたいなことは感じず。蒸れにくい気がします。
また、鼻の上に来るワイヤーがしっかり目です。

 

一番のヒットは内側ガーゼマスク

それから、一番良かったのはガーゼが内側についているマスクです。
私は呼気でマスクの内側が結露しやすいのですが、都度タオルで拭うなどしていましたがこれも割と面倒ですし、暑くなってきたらヒリヒリまでしてきてかぶれそうで、困っていました。



ちなみに、結露するのは冬など外気と呼気の温度差が大きい時や、口呼吸の人が多いとか。
はっ!何で知ってたの!口呼吸だったこと!?となったのですが、特に花粉の時期はさらに口で呼吸してしまっています…。

ややどうしようもない感じ。

 

マスクの内側に口元のスペースを作るプラスチックを使ったり、余っていたフィルターを内側につけたり(不織布だと安全ピンが付けられないので、両面テープで自作)したりとしていたのですが、フィルターがかゆかったり、ずれて一度マスクを取った後に元に戻りにくかったり、と地味にストレスでした。


小さなことなので諦めていたのですが、家族が内側ガーゼのマスクを買ってくれ、もったいないなと思いながらある日使うと、これがすっごく快適でした。

 

かゆくもなく、水分だけしっかり吸ってくれます。
ガーゼはぶ厚くないので、特別暑苦しくもありません。

全く肌に水分が当たらないわけではないものの、水滴はつきませんし、付けているときは濡れているな!という実感がわかないくらいの状態になります。
これがとても嬉しい。

 

暑い日にも口呼吸の人にも

これから暑くなるので、マスク自体がうっとうしくなりますが、それでも感染対策や花粉や黄砂などしなければならないときはまだまだあると思います。
そんな時にも結構活躍してくれそうです。


薄いガーゼを自分で不織布マスクなどにつければお安いのでは?と思うものの、やはりズレるし違和感もあるように思います。
さらに、毎度セットするのが面倒なので、このちょっとした贅沢はポイント高いです。

ガーゼ(又はコットンとの表示)が内側についている使い捨てマスクはあまり売られていません。
私が簡単に調べた際も、数社くらいしか見つかりませんでした。
でこちらがその中でも割安でした。

 

とても安いマスクに比べたらお高いです。正直。。
けれど、肌に優しいものやしっかり花粉やウイルスをガードするような作りのものは一枚でわりとしますし、世界が不安定な今はさらに値上がりしていますので、それに比べたら同じくらいかむしろ少し安いのではと思います。


これは個包装ではないので、そこでコストを抑えているのかもしれません。
とても気に入ったので、3箱分をリピート買いしました。まとめ買いをすると単価が安くなります。
これは、お肌が弱い人も汗っかきの人も口呼吸の人にもおすすめです。

 

おまけでジャバラも。とにかくバテずに…

あとは、家族に頼まれて買ったジャバラのサプリはまだ効果が分かりませんが、ついで買いしたジャバラの飴はなめています。


こちらはオレンジの味で、オレンジの皮の味?というかオレンジ風味の香料?などで舌がピリピリしたことがある私には、これも同じように少し後味が気になりましたが、喉の乾燥も防げるかと大体毎日ワンコの散歩時に一つなめています。

 

こちらも効果は不明ですが、UHA味覚糖からも出ていて比較的手にしやすいので、花粉対策のお試しにはありかと思います。

 

 

まだまだこれからはヒノキ、さらに黄砂と長引きそうですが………

少しでも快適にバテずにとにかく乗り切りましょう。

されど戦争反対。オマルの日記を読んでガザとイランを思う。

年末年始に読んだいつか書こうと思っていた本の話を、今こそ書こうと思いこれをタイプしています。

 

イランへの攻撃が始まってから、ものすごく落ち込んでしまっています。
心が硬直するような、ずっと何か後ろに引っかかったままで日々が動いているような、どうにも言われぬ違和感の日が続いています。

 

 

言葉が狩られる

けれど、戦争反対と言っただけで、誹謗中傷される。
攻撃するな、人を殺すな、国際法違反だ、と言うことも咎められるのでしょうか。
とんだ世界になったと心から憂います。

 

私はツイッターはXになる少し前に止めました。
本体すら私物化され、罵詈雑言があふれ、酷いものを目にすることが当たり前になったから、かなり長い期間のユーザーでしたが、止めました。
それから、一度も戻りたいと思ったことはありません。

 

SNSはもういらない

そして、こんな現在となっていると知ったら、やめてよかったと心から思います。


時間が盗まれることも、人の心を傷つけ続けることすらお金になるのを見ることも、気に食わぬことをあげつらい攻撃する冷笑がはびこり利己的で、誰かに向ける刃を隠そうとしないポストを見続けることもなくなり、心底安堵しています。
多分人は痛みを感じにくくなるのでしょう。想像すらしなくなるのかもしれません。

 

SNSというか人間もここまで来たのかと、落胆し、とんだ世界になったものだと、悲しさでいっぱいです。
一旦みんなスマホ置いたらどうだろうか、と老婆心ながら思います。

 

 

イランでは、反体制派の人々が声も上げられず息をひそめるようにして生活しているとの報道も目にしました。


ヒジャブの問題でもかなり抑圧された人々が長年の間たくさん苦しんでいると思います。
けれど、それがこの攻撃で先が見通せるくらい民主化あるいは自由になるのかと言えば、きっと全然違う。
むしろ国自体の経済的な困窮がさらに追い打ちをかけかねません。


また一度上げた拳はなかなか下せないことで、泥沼化し長期化することも十分あり得ます。
そもそも、壊れたものは簡単に取り戻せない。

人々の暮らしや攻撃された傷痕は決して消えません。

 

先日のベネズエラのことも、キューバのことも気になります。

心が傷つき、毎日イラン情勢という、離れた目線からの言葉を聞くだけでも辛くなります。

けれど、私がどうしようと、どう思おうと、何にもならなくて、戦争が止まるはずもありません。

 

 

9.11と今と

9.11の時、世界はもっと動いたように思います。
世界は心配したように思います。少なくともその瞬間、その場所にいる人々に、その国の人の生活に思いを馳せたり、心を寄せていたように思います。

 

しかし、今はどうでしょうか。
侵略していったのがアメリカだからか、相手国が悪の枢軸と呼んでいた反米政治の国家だったからか、核兵器があるだろうという査察も受け入れない国だったからか、はたまた欧米からはかけ離れたアジアだからか、宗教が違うからか。
あまりにも、冷たく無関心で、法も秩序も無視する国ににすら口を閉ざしています。

 

攻撃し、法を破り、人を殺し、生活を奪い、壊し続ける側には抗議すらしない。
殺すなと、攻撃するなとすら言えない。なんて世界なのだと体が硬直してしまいます。
まるでなかったことの様、原因を作った側を度外視して、石油の話をずっとし続けています。

 

もちろん経済の問題は、大きなことです。世界的にも。
どれほど環境問題を解決していた世界だったとしても(実際には真逆だけど)、石油無しで動くものはほどんどない。
プラスチック、輸送の燃料、何かを動かす際には必ず石油が必要です。

 

仮に、反対する理由が経済的な理由だっていいはずですが、それすら言葉を濁したり、口にすることすらしない、世界的な影響が出るのは分かりきっているのに大きな矛盾です。

 

現地の人を想像できているか

自分のために世界を動かそうとして、マーケットの反応にも言うことをコロコロ変え
、現状変更を力づくでする人とそれを平和だと言ってのける人が為政者だとは、本当に世も末です。

 

まるで降ってわいたような災厄のような口ぶりの各国の政治家や著名人が多いことに驚きます。

けれど、これは突然訪れた避けられなかった事柄ではないはずです。

何のための外交なのだろうかと思わざるを得ません。

 

ミラノオリンピック・パラリンピックでの違和感

少し前に行われた、イタリアミラノのオリンピックとパラリンピック。

停戦協定なんてものは完全に反故にされていました。

一方は出られて、もう片方は辿り着くことはおろか、スタート地点すら想像できない毎日を送らざるを得ない。

 

中継やハイライトを少し見ていましたが、そこでは数多くのドローンが採用されていました。

選手の目線に近く、また臨場感を伝えるためのものだったと思います。

きっと、近年の戦争(侵攻・攻撃)でドローンが多用されいることを意識しなければ、それなりに映像としても楽しめたのかなと思いましたが、実際はウクライナでもイランでもガザでも中継用や記録ではなく兵器として利用されています。

 

そして、テレビからも伝わるウィーンというノイズの様な耳に残る飛行音。

あれは、戦地では急に近づいてきたかと思うと、それが人を殺傷するという恐怖の音になっているのです。

そう思うと、まともに見ていられませんでした。

 

人が入れない場所、おおよそ戦車が到達できない所にも簡単に安価に、そして自分たちの身は安全にしながら、たやすく人を攻撃できるのです。

ゲームのような感覚なのかもしれません。

そんな情景がこの世界のいたるところであるのか、とオリンピックやパラリンピックの祭典と呼ばれるものにでも感じてしまいました。

 

一度でもその地に生きる人の命を憂いたでしょうか。
石油や値上げの話をする前に、物がなくなると言う以前に、子どもたちの命を悼んだでしょうか。
壊される地がたとえどんな独裁国家であったとしても、その地で生きている人々がいます。
その地で根付いている文化があります。

命が、財産が、大切なものがつまった人生がそこには横たわっています。


それを言うことを聞かないとか、民主主義がないとか、どんな理屈を並べて未来を奪いながら、これで平和だと言ってのけてしまう…。

アフガニスタン、イラクの未来が明るかったですか。あの時、大量破壊兵器は見つからなかった。
その大義すら嘘だったのに、多くの犠牲を出し続けました。
そしてまた、です。

 

同じ人間として、同じ地球に生きるものとして、こんな仕打ちがあるのかと再び思うのです。

 

とんでもない読書体験

それをこの直前で思ったのが、ガザについてです。
今はまさに、輪をかけてなかったかのように報道も消えてしまっていますが、ここに生きる人々の思いを知ろうとしただろうかと振り返る機会がありました。

 

オマルの日記 ガザの戦火の下で』という本を読んだことがきっかけです。
イスラエルが攻撃しているガザについて、私は気になっていたけれど、難しそう、込み入っていそう、分かりにくい、など何かにつけて見ることも知ることもしてきませんでした。

 

昨年末にこの本を読み、この本と共に年を越しました。
重たく苦しく、頭の中でずっとぐるぐるぐるぐる言葉と感情が巡り続けるという状態になりました。
こんな読書体験は生まれて初めてでした。

 

この本と出会ってなかったら…と思うと

苦しくて苦しくて、読むペースは上がらず、途中で止まってしまった。
それでも、この本を読んでなかった自分を想像したとき、その無責任さに想像力の及ばなさに恐ろしくなるほどの出会いとなりました。

オマルさんはガザに生きる青年です。
その彼の言葉が旧ツイッターに更新されていき、日々を記録し、ガザを映す目となって克明に道として残されていきます。

 

それは、想像にも及ばない、おおよそ考えたこともないだろう“日常”なのです。
どれほど苛烈で、どれほど非人道的なものなのか、知ることも知ろうとすることもなかったと恥じる軌跡がここにはありました。

 

私が読んだ時の苦しさは何の足しにもなりません。ガザが元に戻ることもない。
彼らの置かれた非情な生活が、すぐに変わることもないでしょう。
それくらいの現実がここにはあります。そして、その実態に圧倒され続けます。

 

それでも知らなければならない。

同じ地球に生きる命として。責務として。
何も知らなかったのだと、何も知ろうともしていなかったのだと、何も見てこなかった、見ようともしてこなかったのだと、突きつけられました。

 

一方的に流れてくる報道は、ガザの現状ではありません。
イスラエルやアメリカ側のこぼした話でしかない。だって、そこにはほぼ外部の報道は入ることが許されないからです。
中の人が報道官となるしかない。
だから、攻撃している側の情報が垂れ流されるという事態になっています。
都合の良いことしか流れない。

ガザの中にどれほどの生活があるのか、どれほどの人生があり、奪われ続け、それでもその中を生きることを強いられているのかという目線がまるでありません。

 

人間が人間たらしめる状況がすっかり奪われ、壊され続けているのに、私たちは安全な外からまるで異世界がごとく、小さく小さく事象を消費しているようです。

 

人が人として生きていることの美しさに絶句する

オマルさんは、そのガザで生きる一人の人として、美しくも悲しい文体で日常となった惨状から日記として日々を伝えています。

 

イスラエル(とアメリカ)による攻撃がなければ、どんな日々を送っていたでしょうか。

家族や友人など大切な人と他愛もない、それでも愛おしい日を過ごしていたことでしょう。

それ以前の状態も決して恵まれた、私たちが想像するような当たり前とは違う制限のかかった生活であったと思いますが、攻撃が始まった時とは比べ物にはならない。

 

この本のすごさは、このオマルさんの筆致にあります。
これほどかと読むほどに絶望し、圧倒され、人間の意味を疑いたくなる事態が書かれているのに、人の美しさや力強さを感じさせてくれることです。

折られ続ける尊厳と人間性、奪われ続ける人生。
それでもなぜこれほどまでに、人を愛せるのか、美しい言葉をつづれるのか、家族や地域を大切に思えるのか、とある意味で再度絶望するのです。

人間の強さを見せつけられ、その理解を越えた生命力にただただ絶句してしまいます。
こんな中なのに…。

 

人に強さの指標なるものがあるとしたならば、ガザに生きる人々のそれは、恐ろしいほどのものです。

 

生きることが地獄、生きていてと願うことの傲慢さ

生きることが地獄なのです。
生きながらえることをよりも、目にする殺りくが破壊が、尊厳の剝奪が苦しすぎて死を乞う。

 

彼らの宗教ではそれは罪ではあるけれど、すがる信仰すらも超えてしまい、そう文字通り必死に願ってしまうのです。
そんな状況に置かれた人がいることを前にしました。

何とかオマルさんが、ガザ地区にいる一人一人が生きていてほしいと思うけれども、それを思うことすらものすごく傲慢であるという惨状が伝わります。

 

生を願うこと、誰かの命を思うことが、これほど酷なことであるとは、初めて知りました。

 

何のために生きるているのか、という問いが非常に重くのしかかります。
これは知らずして、何をもって平和なのだろうか、と考え続けています。

重いけれど、本当に皆が読むべきものだと思います。

 

読むことで知ることで、共に生きなければ

ページをめくる手がとても重かった。次をめくるのが恐ろしかった。
次には何が待っているのか…と。
けれど、共に生きなければならない。

その共にする時間が一瞬であったとしても、読書から思いを馳せるという仮のものであったとしても。そう感じました。

 

ツイッターも彼が知らせるニュースや写真・動画も申し訳ないけれど、見ることができません。
だから、せめて本を読んでいました。

 

こんな現状やそこに置かれた人々の行き様を、為政者たちは知らないでしょう。
イスラエル軍も同じ人間として、ガザの人を見ていてはこんなことができるはずもありません。
人間は本当に愚かです。

 

知ろうとするより、目隠しを取ること

戦争は後になってその詳細を知ることが多いですが、今の時代はおそらく初めて、LIVEでその実態が伝えられるのだと思います。
溢れる情報を、流れてくるものを、フェイクとリアルに分けるのはとても大変なことになってしまっていますが、それでも知ろうとしないという選択肢は、あまりにも無責任なのだろうと、気が付きました。

 

残すべき残るべき一冊だと思います。
そして、読むべき本だと自信を持って言えます。

図書館で借りましたが、これは置いておかねばいけない、少なくとも一冊でも貢献したいと購入しました。

今知ることができた、そのことだけは少しほっとしています。

 

イラン、ガザ、日本、世界の熱狂と陰謀論

そして、このトランプ政権の滅茶苦茶さはきりがなく、人をめった刺しにし続けていますが、その周辺での熱狂や支持、ひいては日本国内での政治状況でも似たような空気がどんどん渦巻いている今を少しでも理解できればと読んだ本が、となりの陰謀論でした。

 

この本は新書で、比較的簡単に手に取れ時間をあまりかけずに読めるものです。
完全な理解ではありませんが、なるほどと思う点がいくつもありました。

 

陰謀論とは決して遠い話でも、過激で特殊な人々だけが陥るものではないということ。

そして、そこには人間の心理とうっすらとした希望に近いものが絡んでいるということ。

さらには、それを叶えてくれると錯覚するのが疑似的なストーリーであり、それが荒唐無稽であればあるほど、横のつながりを生み、どんどん深化してしまうことなどが書かれています。

 

しかし、当たり前のことですが、仮想敵なるものを作ったところで問題は解決せず、熱狂したところで新たな陰謀が生まれてしまうのです。

 

これにどこかで歯止めをかけるには、立ち止まること、自分の判断や正しそうな人の判断をいったん疑うこと、そして声を上げること。
これしかないと感じました。

 

ファクトチェックなども最近は盛んに行われているようですが、それを上回るペースであたかもな情報が更新され続けています。

 

面倒なこと、時間がかかること、そして議論が紛糾すること、実はそれが一番大事なのだと思います。

民主主義とは、誰かの言葉に魅了されることでも、分かりやすくまとめてくれることでも、白黒つけることでもありません。

 

分かりやすさが奪うもの

まどろっこしくて、面倒くさくて、時間がかかりすぎること、議論がまとまらないこと、同じことや似たようなことで足止めを食らい進まないこと、それこそが民主主義の本質なのです。

 

意見の違うものがあーでもないこーでもないと頭を悩ませることで話し合う、多様な人が隣り合うことを認めることが必要なのです。

 

簡単にどんどん進めてくれること、分かりやすく説明してくれること、スピード感をもってという常套句はこれとはかけ離れています。

 

おかしいと言えることが自由。戦争反対と言い続ける。

だからこそ、おかしいよねと言えること、やはりダメなものはダメだよねと確認すること、そんなことで争いはなくならないと言われても、無辜の民を傷つける行為を許さないと声を上げること、それをやめてはいけないのだと思います。


戦争反対、攻撃するな、侵略もやめろ、ひとつひとつの命を惜しめ、と言い続けます。

 

アカデミー賞でのスピーチでも

先日のアカデミー賞での一コマでも、今回も多くの著名人が政治的発言を勇敢に行いました。

ドキュメンタリー長編賞を受賞した作品、NHKで放映されたドキュメンタリー『名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で』の主人公が会場に現れた際には、私は大きく安堵しました。生きていてくれたと。

 

その彼が発した

「たとえ“取るに足らない人間(ノーバディ)”であっても、思っている以上に大きな力を持っています。私たちの未来のために、そしてすべての子どもたちのために、今すぐすべての戦争を止めてください」

(下記記事では監督の言葉としてまとめられていますが、中継を見たら言葉少なくスピーチをした通訳を介したご本人の言葉でした。)

 

という言葉も、国際長編映画賞を受賞したヨアキム・トリナー監督が発した

「すべての大人は、すべての子どもたちに対して責任を負っています。このことを真剣に考えない政治家には、投票しないようにしましょう」

 

www.vogue.co.jp

という言葉も、すべて心に迫るものがありました。

声を上げることをためらうような現状が変わることも切に願います。

 

選挙とデモクラシー。デモクラシーのいろはととなりの史学。これは今のお話。

悶々としてしまう、今回の真冬の衆議院議員選挙。

地震や大雨の被災地の方々は、そして先日の山火事で被害に遭われた方々は、ちゃんと選挙に行けるのでしょうか。

というか、まともにそんなことに向き合える余裕があるのでしょうか…。

 

namakemonote.hatenablog.com

 

なぜなぜシリーズになりますが、選挙について考えてみたということで読書編です。

 

 

なぜ今消費税減税なのか

細かいことも経済も分かりません。
けれど、急にみんなが声を揃えだしたことには唐突感が消えません。


だって、コロナ禍の時もこんな話があったけど、与党は特に相手にもしなかった。
皆苦しいからとか何とか言って。野党も一部だけ声がありましたが、こんな全部ではなかった。
そしてその後苦しい思いを抱えている人が増えても、ずっと苦しんでいても、終わったことのように扱ってきました。

 

そして、戦争です。

ウクライナ、ガザ、世界情勢が不安定になり、物価高が進行していても、株価は良いみたいなことでお茶を濁してさらに加速させました。

苦しんでいる人は一部で、自己責任で、皆我慢しているのだからと言いくるめるように。

 

あの時、財源は?本当にできるの?将来困るよ?という声が政治側からもたくさんあったのにあれは何だったのか。

相手を批判する材料でしかなかったのか。

 

現在の困窮度はより進んだとは思います。
けれどそれは、あの時先手を打たなかったから、あの時真剣に向き合わなかったからでは?と思ってしまうのです。

 

経済は好調だとうそぶいていたコロナ前から、生活困窮者には目もくれませんでした。
生活保護は贅沢だ、ずるいと言ってばかりで、当たり前のセーフティーネットすら奪う方向でした。
経済は良かったと言っていたのに、保護費を減らしみたり、それが間違いだったと言われて認めたはずなのに、ひどくなった今また下げようとしている。返還もせずに。
裁判を終えるまでに亡くなった方もいるでしょう。

 

本当に困窮している人には目もくれず、物価高だから2年だけ減税するとのたまう姿は、もう同じ地平にいると思えなくなります。

 

 

なぜ外国人の問題なのか

前回の参院選から外国人の問題、移民の問題、ということが急にクローズアップされ、今回も声高に叫ぶ人々がいることが本当に恐ろしい毎日です。

 

問題があるとしたら、政治の問題であり、技能実習制度が大きな穴だらけのものだったのに推し進め、人を単なるモノとして扱ってきたことでしょう。

 

劣悪な環境で働かせたり、ただの人件費削減の材料にしたり、日本にいる人がやりたがらないことを押し付けたり、そうしておいて、あいつらが悪いと小さな点を全体のことと一緒くたにして差別し排除する様子は、どこが美しくあたたかい国なのかと思います。
こんなに冷酷で冷淡な態度を平気でする人々が、政治を司る。そしてそれを許してしまうなんて。


日本人、外国人という言い方をやたらとする人がいますが、あれがものすごく嫌です。
けれど、あえて言えるとしたら、日本人としてあんな誹謗中傷や差別、排外的なことがネットであるいは声に出して言ってのける人を恥ずかしく思います。

 

SNSの一部で盛り上がっていたネット上の問題を、自己の利益のため人気取りのため利用し、差別を煽る。
そして、一部の人におもねってみんなの問題にすり替えて、あたかも重大イシューにしてしまう様は、権威主義的で帝国主義的です。

 

民主主義ではないと敵対視していたはずの、相手とそっくりな様に、何かの冗談ですかと聞きたくなります。

 

誰かのために、誰かに利する行為に踊らされて、意見を左右されている様に憂いと怖さ以外感じません。

外国人、性的少数者、女性、生活困窮者、なんでもですが、誰かの敵が誰かのお金になり私腹を肥やすための道具として、誰かの名声のために使われていることが悲しくてならない。

変えたいように変える。だって民意を得たんだから。とうそぶく様子は、私たち自身が自分たちを傷つけ蔑ろにしてしまった結末です。

 

本当に現に、困っている迷惑を掛けられている人はどれくらいいるのか。
どれくらいの人が、実際自分が問題ととらえているのか。
喧伝されて、不安を煽られて、誰かがたきつけた炎ではなくて、真実はこれだみたいなリール動画やポストではなくて。

 

嫌いな人を共有するあれでは?

誰か嫌いな人を見つけてあるいは作って、誰かとそれを共有すれば、似たような不満を持つ人が来て、仲間意識ができ何となくキズナみたいなつながりが生まれることが経験上ありませんか。
それは思いや愚痴を吐露できたり、どこか心強いようなものになりえます。

 

それが仮想敵である場合でも、実際の敵である場合でも、そんなに意識が変わらないのではないかと感じるのです。
つまり、きっかけ、取っ掛かりは、本当のものが迫真をもって伝わるけれど、それが何回何十回何百回と言っていると、それが次第に本当らしくなって、それが真正かそれとも作られたものや誇張され曲解されたものかは分からず、それすらどうでもよくなるように。

 

敵のせいで生活が苦しい、敵のせいで生きづらいのだ。というのは強力なフックになるけれど、それが実際どうかというのは分からないし、むしろ気にも留めていない気がします。

とにかく鬱憤やこのやりきれなさ、社会に対する不満をなにかの『せい』にすることで、問題とは別のところが盛り上がってしまっている気がします。
例え、敵が倒れても、敵が退散しても、誰も幸福になりはしない。
不満も解決はしません。問題は違うところにあるから。


一部の人の金もうけ、一部の人の虚勢や名声のためにはなるでしょう。
そのほんの一部をかすめ取る人しか得はしません。
それに煽られ、不安を利用されて、仮想敵と戦わされるだけで、とても疲労困憊するだけではないでしょうか。

 

鎖国は出来ないから。冷静に。

今、となりの史学 戦前の日本と世界/加藤陽子という本を、私にはちょっと難しいなと格闘しながら読んでいますが、その本は日本近代史の中で日本から見た世界と、世界から見えるその中にいる日本を考えるものです。中国・ロシア・イギリス・ドイツを軸に話が展開していき世界史にまで及びます。

 

情報量と知識量がすごくて歴史に大変疎い私はちょっと尻込みしてしまうのですが、各論文や著書に当たりながら考察していく流れは、問題の本質をズイッと一突きする言葉たちがちりばめられています。


歴史認識歴史観という言葉が日本でもよく問題になりますが、そもそも歴史観はそれぞれの国によって違うという大前提に立ち返らせてくれます。
そしてその上で、歴史観は思想化されてきた』という文言が特に心を捉えました。


お互いの国の為政者たち(周辺の者を含む)がそれを利用し、時には変え、誇張し、喧伝してきたということにハッとさせられました。
誰の認識か、それを言って、その説を広めて得してきたのは誰なのか、ということがすっぽり抜け落ちていたことに改めて気づかされます。

相手ばかりではなく、こちらもそうなのだということが、当たり前なのに都合よく消えてしまっているのです。
それに踊らされているかもしれない、ここは念頭に置かねばならないと感じます。
冷静に多くを見聞きすること、調べること、それが向き合う唯一の方法かもしれません。


グローバリズムが問題だという人がいます。それはそうかもしれない。
違う文化の人、慣習が違う人、見てきたもの食べてきたもの聞いてきたもの等生きてきた素地が違う人、なわけですから。


他人と摩擦が起きるというそれまでのコミュニティの経験よりも大きなズレが出てくることもあると思います。
しかし、それは当たり前のこと。同じ『日本人』とくくっている人同士でも本当はたくさん起こること。それを無視している気がしてなりません。


でも、経済的なことやカルチャーをとっても、世界の流動性を考えても、内と外とに分け隔てることはもはや無理です。
その最たるものがインターネットですから。
それが無理なら、今更鎖国でもするほかないのです。

 

想像が及ばないことは怖いこと。
きっと、違うことは怖いこと。
けれど、すでにある交流を止め、そこにいるまたはそこに来る人を蔑んで何になるのかと思います。
あちらとこちらで分けて、外の人だからと分けて、差別じゃない区別だなどと詭弁を言って、排除してしまうことは、結果自分たちに跳ね返ります。


少し違う土地に行けば、『外国人』になるわけで、少し枠からずれれば『マイノリティ』になるわけです。
偏狭が偏狭を生み、軋轢や憎しみを生み出します。

犯罪が増えたのは本当ですか。本当に外国人だけの問題ですか。

アベノミクスで株価ばかり上がり、経済格差が広がったり、パンデミックやコロナ禍で苦しいことが増えたからではありませんか。

 

AIでどんどん考えるのが億劫に

日本人だけが知らないとか、真実とか、実は隠されている話とか、思わず引っかかるような言葉が並ぶ画面がチラチラするようになって何年か経ちますが、それにつられて怒り、憤りが起きている世の中がつらいです。

分かりやすい言葉で、考えるよりも教えられて囁かれて、AIに本当らしい文章の羅列を見せられると、人はどんどん考えるのが億劫になります

調べるではなく、検索する。
ちょっと電子機器を触るだけでそれらしいあなただけの答えが出される。
ますますそんな時代になっているのだと痛感している日々です。

 

しかし、依存したくなるのが人。誰かに頼りたいし、誰かそばにいてほしいし、聞いてほしい。
そこに目を付けられて、人が人たらしめる要素が削がれていくような気がします。

 

 

デモクラシーを考える。驚くほどこれは今のことだ!

そんな中、悲しみを覚えていた際に出会ったのが、デモクラシーのいろは/森絵都です。


この本は、デモクラシーとは何ぞやということも、そもそも戦争を越えて急にもたらされたアメリカのやり方と、今までの否定に混乱し、抵抗し、それでも生き抜くために自分たちで考えあぐねる人々の様が描かれています。

「うち、知りたいんです。民主主義って何なのか」

東京・下落合、戦火を逃れた邸宅に集められた4人の女性。
GHQの一声で、彼女たちの人生を変えるハチャメチャな同居生活が始まった。

1946年11月、日本民主化政策の成果を焦るGHQがはじめた “民主主義のレッスン”。いやいや教師役を引き受けた日系2世のリュウ、この実験を発案した仁藤子爵夫人、生徒として選ばれた個性豊かな4人の女性――それぞれの思惑が交錯する中、風変わりな授業が幕を開ける。希望と不安、そして企み……。波乱の展開が感情を揺さぶる、今年一番の超大作!

https://www.kadokawa.co.jp/product/322306000036/

 


先人が、悩み苦しみ、獲得してきた歴史を垣間見れます。
さらに、特に女性たちが置かれた状況が戦前戦中戦後とどうあったのか、男性と比べ制限されるものや、生まれながらにして背負うものが、今よりもっと過酷であったこと、そしてそれが今と地続きであると思い知らされました。

 

当たり前にもたらされる自由も権利もないということが、この本を通してよく分かります。

権利や自由、憲法GHQ、そもそも戦争のことも、女性の問題なんてことも、難しい言葉もよく分からなくて嫌だという人もいると思います。
けれど、これは戦後間もないころのお話ではなく、今の物語と言えます。
それは、かくもこの道がつながり、昔が今とどれほど変わったのかと読んだ人それぞれが恐らく感じ入るものだと思うから。

時代は変わった、果たして本当にそうか、と問いかけてきます。

 

構成が見事!登場人物の揺らぎも楽しむ

とても見事だと思ったのは、2部いや3部作では?と思うほど章を経るごとに印象とテーマが変わることです。
盛りだくさんです。けれど、詰め込みすぎてごちゃごちゃする、といったことは感じられず、全てが一体となっていることで読後に不思議なほどで達成感すら覚えます。

 

お勉強めいている部分ももちろんあります。けれど、それだけではない。
それがなければ立たない後半の物語があります。
そこがかなり引き込まれ、あっという間に読めてしまう部分でもあります。
登場人物たちのきらきらとした揺らめきも楽しめました。

 

森絵都さんはどれほど取材や下調べをしたのだろうと、全編を通して感じる目を見張るリアリティです。
彼女たちが生きた轍を私たちも生きているだろうかと、とても感慨深くまた権利や自由ひいては選挙というものに思いが強くしました。

 

外国に押し付けられた憲法だから、これは今でもよく聞く文言で、本の中にも登場しますが、そこにどれほどの価値があるのかということを思わず考えてしまいました。

青天の霹靂がごとく変わってしまった世の中に翻弄される人々が、かつての日本にたくさんいたと想像できますが、その中でもたくましく傷つきながらも懸命に生きたのだと感じました。

また、それには、たくさん悩み苦しみ現実とのギャップにもがきながら、自ら考えてきた人の足跡があるのだと強く強く思います。

 

この道を行こう。彼女たちの轍を追って。

いつの時代も新しいものや今までと違うもの、考えの対立に、争いの勃発があります。
けれど、今があるのは、先人たちの葛藤の残りかすや、傷みながらも歩いてきた道のあとを辿っているからだと思うのです。
それが良いものか、悪いものか、は分かりません。
けれど、考えることをスキップせずにいてくれたことが多かったから今があるのだと思います。

それを繋げていきたい。そう思いました。

 

本はかなりボリュームがあります。
遅読の私は躊躇してしまうほどでしたが、読みだしたらぐんぐん進みます。そしてそれがこれは人にも勧めたい!と思うほど良い読書体験となりました。

 

誰かの誘導で、他の誰かの何かを奪ってしまうことがない様に。
敷かれたレールにひょいと乗って、引き返せなくなる前に、物語で立ち止まってみませんか。
どうせ没入する作り話なら、一杯感じて一杯考えられる方の話に。

 

差別はだめだと、戦争は嫌だと、自由を守るんだと、権利を手放すものかと、思いを新たにしました。
そして、それならば、また考えあぐね、答えなんか分からない、選挙にまた文句を言いながら向かってやろうと思いました。

 

高く拳をつきあげたり、声高に何かを叫ぶことは、難しいかもしれない。
誰かの理屈にこねまわされてひるんでしまうかもしれない。
けれど、なんか違うぞ、なんかおかしいぞ、どうにかしてこの小さい声を伝えたい、モヤモヤを大事にして、その都度考えていきたいです。

 

先人が受けてきたデモクラシーの荒波を、しっかり受け継いで、またもがいていきたい。
差別でお金や名声を得るなんて、それで儲ける人なんて、許せへんで!!を心に。

そんな気持ちにさせてくれた本です。

 

是非おすすめです。

不在者投票は間に合うの?衆議院選挙の問題がここにも

こんな寒い時期、大寒波そして大雪なのに選挙ですって。

本当にどうかしているとしか思えません。

 

真夏と真冬の選挙はやめませんか。

本当に死活問題だと思うんです。

だって自分たちが勝手に決められることなんですから、避けられるはずだし、少しでも想像力を持っていてくれたら、こんな時期にはしませんよ。

 

言いたいことは山ほどありますが、今回の選挙の問題点は

 

1.任期まで全然務めやがらない。解散以外はたった一回だって?!

 

なんと、衆議院議員選挙で本来の任期満了になって選挙となったのは今までの歴史で1回しかないそうです。

 

頻繁にあるなという印象ではあったものの、先日テレビで指摘されていて、これにはとても驚きました。

たった1回?!とは。

衆議院選挙:基礎からわかる「衆院選」 : 読売新聞

今回はさらに一年少しで、何を判断するのか…。無理難題です。

 

選ぶ基準が分からないし、何の審判かも不明。

それが、首相の私でいいのか解散というここに来て最も意味不明の理屈の説明に、怒りを通り越して呆れ果てました。

 

 

2.投票はありがたい特典なんかじゃない

雪国は、毎日が大変な時期です。

雪かき、雪下ろし、スリップに気を付けながらの移動、毎日の通勤・通学・買い物や生活自体が困難を極める時期です。

事故で亡くなる方も例年を増して多いというニュースもあります。

 

それを、自己評価をして過半数を取って、もっと簡単に法案を通したいがための選挙ときました。

 

どんな思いで生活し、どんな思いで選挙に行き、一票を投じているかなんてお構いなしなのです。

 

見たいものしか見ようとせず、困難な状況にある人なんか気にも留めません。

それで投票率が下がっても、信任を得たを言い張るつもりでしょう。

何と横暴か。

 

少し前の参議院選挙でも、悩みに悩んで入れました。

その少し前の衆議院選挙も同じです。

 

もうこの人この党と、何があっても、どんなことをしてもどんなひどいことを言っても、信仰のように信じられる方は構いませんが、そんな人ばかりではないでしょう。

 

 

選択が大変だ、行くのが大変だ、って甘えでもそれくらいと軽んじられることでもないと思うのです。

怒っていい話。

日本の人は本当にこういうことには怒らないし、決められたことを仕方ないからと渋々従うことが多い。

でも、やりたい放題がさらにのさばるだけ。権利なんだから、怒った方が良い、いや怒らないといけません。

 

無党派層は寝ていたらいい、というかつての首相の言葉を毎度のように思い起こします。

そして、怒りを沸々とまた点火させて、行くわけですけれども…。





3.期日前投票もままならない。投票所数の縮小

さらにますます酷いなと今回思ったのは、いまや投票者数(とっても低いですけどね)の1/4を占めると言われる期日前投票ですが、その投票所が開設されない所が結構あるとのこと。

なぜなら、準備期間が短すぎるから。

期日前投票所の縮小相次ぐ 商業施設やバス準備できず…投票率に懸念 | 毎日新聞

いつも使える場所が、大雪や寒さのため使えなかったり、イベントで使う施設が選挙のために延期していたりと、影響が大きすぎます。

 

選挙へ行こうと広報しておいて、実際は別に来てくれなくても構わないと高を括っているのです。

 

いつも思いますが、では体が不自由な人はどうするか、投票に行くこともままならない介護や育児をしている人はどうか、ふつーに生活している自分たちの支持者くらいしか思い描いていない人々には、それ以外にも投票に行くこと自体が元気と勇気と思いもよらないほどの力を使う人々がいるのです。

 

機会の平等も公平さも保たれていないですよね。

そして、それを越えて投票に行こうとしたら、投票所がないと。

踏んだり蹴ったりです。

 

 

4.選ぶものが多すぎる問題

投票箱が「六つ」の会場も…「異例の選挙」の大阪、懸念されるリスク - 衆議院議員総選挙(衆院選) [大阪府]:朝日新聞

 

大阪市なんぞは、小選挙区比例代表、国民審査に加えこちらも突如打ち上げられた大阪府知事選と大阪市長選、大阪市議の補選と6つも選ぶことになるんですって!

もう何の紙やら訳わからなくなりますね。

投票用紙を渡す方も書く方も、一回脳がポンって言いそうです。。

 

どんだけ税金を使い、人手を使い、手間を掛けさせているのかと。

 

5.国民審査するならもう一度出向く?

さらにさらに言いますと、最高裁の国民審査は、もしかしたら関心がある項目によっては国会議員選びよりも慎重かつ大胆に変革される可能性を秘めているものですが…目立たないですがね。

その大事な一票が、2月の1日からしか投票できません。

それまでに期日前投票に行ってもこの用紙は渡されず、やりたかったらまた来てねって方式になっています。

まじで、なんだよ!と叫びたくなります。

 

どうかしてます。

期日前に行く理由があるのに、律儀にまた時間や予定をやりくりし、労力をかけて行かせるだなんて、権利なんてどうでもいいと言われているようです。

そもそも、国民審査は付属品でも投票してもしなくても同じものでもありません。

 

これも、理由は解散からの投票が非常に短すぎるから。

投票用紙にはその時の裁判官の名前が印刷されているのですが、この用紙はその他の選挙のように事前時作ることができないため、今回の超短期の準備期間では間に合わなかったということらしいです。

衆議院選挙の期日前投票・在外投票始まる 国民審査は2月1日から - 日本経済新聞

いろんな面で権利削られていると思いませんか。

怒っていい案件ですこれも。

 

大したことないというのは、甚だ寛容が過ぎるというか、むしろ何にも関心がないのでしょうかと言いたくなります。

 

追記:2月1日にやっと審査対象となる最高裁判事のことが更新されてきました。

広報紙は間に合わない所もあると思うので、ネットを参考にするのが無難かもしれませんね…うーん。

 

国民審査:「憲法の番人」にふさわしいか 最高裁裁判官国民審査の判断ポイント | 毎日新聞

www.tokyo-np.co.jp

たった二人しかいません。

前回選挙からの期間がこれもまた短すぎるから。

ほとんど判例がありませんが、一部表になっていました↑

広報のPDFも作られているようなので、参考にしてください。

これもかなり積極的に取りに行かねばリーチできない情報というのが、不満が残りますが…。

 

 

6.受験生にはさらに酷です

一部の候補者からは16歳から投票できるようにしようなんて案が出されているようですが、とんでもない!

今ですら、18歳になった受験生には入試と被せてくるんですから。主権者として軽視していることがありありとします。

さらに、主権者教育も政治的との曲解を付けて、学校では教えさせないのに、なぜ急にまともに選挙に行って正しい選択ができるのかと言いたくなります。

 

大学入試の受験生に「期日前投票の積極的な利用を」 木原官房長官が呼びかけ - 産経ニュース

「投開票日と試験日が重なった場合、当日の投票は難しいこともあると思われる。期日前投票を積極的に利用していただくことを勧める」と述べた。

色々、突っ込みたくなりますが、それにしても行けたら行けば?と軽んじてますね。

 

 

7.不正が横行するというデマまで。身分証明の問題

今回もまたSNSを中心に変な噂が広まっているようです。

期日前は不正の温床だとか、投票券が間に合わずに投票に行くとなりすましが横行する、身分証明を必ず持たないと投票できないなど。

宣誓しますし、住所氏名などを書く欄もあります。

 

私にも投票券が届きましたが、今回のこの様なデマを見越したようにいつもと見慣れぬ身分証明と不正防止の文が目立つように書かれていました。

これは一体どう解釈したら…と頭を抱えました。だって身分証明が全員にある前提ですから。

 

本来なら、簡単に投票ができることがメリットなはずなのに、アメリカでも問題になりましたが、身分証明を持たない人はどうするのかという当たり前が抜け落ちています。

トランプ氏、投票時のID提示義務化へ 大統領令発出方針 | ロイター

 

証明書にはお金がかかったり、手続きに時間を要したり、また簡単に取得できないこともあります。

 

選挙人として住所の登録がされていても、簡単に証明できるものを持っていない人もいるのです。

不正防止の理屈に思えても、それは誰かを簡単に排除する理由にもなるし、色んな所で増えていますが、ネット(ほぼSNSのごく一部)で問題視されると過剰な反応を政治家がしたり、火に油を注いで一部の人におもねった形で利用する人々がいるのです。

 

それが今回も早くも見えていて、心配です。

デマには本当にお気をつけください。

 

www.saga-s.co.jp

 

地域差はあるとは思いますが、絶対IDがいるとか期日前は危険だとか、そんなことはありません。

「期日前投票はすり替えられる」「鉛筆で書かせるのは消すため」「開票システムに仕掛けがある」 繰り返される不正選挙疑惑を検証【#衆院選ファクトチェック】

 

デマを元に自分の想像が及ばない誰かを痛めつけるのは、不格好でしかありませんから。

 

8.不在者投票は…きっと間に合わない…奇跡的に間に合ったら超特急で

ただでさえ時間のかかる不在者投票ですが、多分今回は間に合わないでしょう。

選挙を決める側は、誰もそれを説明しようともしないし、権利の保障もしようとしないことに怒りしかありません。

だからこの短期すぎる選挙戦は、我慢ならないのです。

 

私がした当時も郵送されてくるまでに1週間程度はかかりました。

送られてきた封筒を持って、かなり急いで滞在先の投票所(これも期日前なのでその地で開設されていないと困ります)に前もって行かねばなりません。

 

そして、投票できたら今回も御の字ですが、雪の地であったり、近くでは開設されていない投票所や時間的な縛りもあるので、簡単にこの山を越えることは難問中の難問です。

 

もし仮に、これを観てくださる方で間に合う方がいれば、間髪を入れずに申請してください。

本当に時間はありませんので。

 

間に合えば、もう怒りに怒りながら、投票に出向きましょう。

国民主権をなめんなと

namakemonote.hatenablog.com

 

一様違いも↓

namakemonote.hatenablog.com

 

 

2月1日以降は国民審査が可能です。

それまでに行ってもまた来てねと言われるだけですので、本当に時期に注意してください。

大事な一票を投じれないなんて、どうかしてますね。

以下も以前のものですが、よろしければ。

namakemonote.hatenablog.com

 

 

問題点があるから忘れたくないこと

もうここまで来て、やっとこさ期日前投票および当日投票にこぎつけられたなら、本当に表彰ものだと思うくらいです。

 

色んな事情を抱える方々がいます。

色んな思いで選挙に行ったり行けなかったりする。

為政者にはそれを汲むことは望めそうにないことに絶望しますが、それぞれの市民の気持ちにせめて思いを馳せながら一票を考えたいなと思います。


文句は山ほどありますし、これだけ軽視されていることに怒りしかありませんが、それでも削られている感覚の消えない民主主義の裾をガっと握って離ししたくはないので。

コロナ感染時にこれがあって助かった~

8月のはじめ、猛威を振るっている、コロナの変異株ニンバスにかかってしまう(仮)という体験をしました。

 

昨年末にインフルにかかった際ほどの肺の痛みや息苦しさはなかったものの、それでも通常の風邪とはやはり違い、ひどかったのが、のどの痛みと咳、そして倦怠感や筋肉の痛み。

それが治りきらずに残ってしまったこともあり、疲労困憊しました。

 

namakemonote.hatenablog.com

 

全身で免疫低下と体力消耗を味わった今回。

 

その際にも、あって良かった!これなかったらあの何倍か辛かっただろうか…と思うものがいくつかありましたのでご紹介。

 

 

消毒用アルコール

もともとストックは欠かさず業務用をせっせこ信者の様に使っています。

どんなものでもよいと思いますが、使い続けるのはやはり食品添加物の成分が安心です。

 


はちみつ

マヌカならなお良さそうと信じています。

一発で効く!見たいことはないけれど栄養としても喉イガイガにも助かりました。

また、マヌカは特に喉にしみますが、その後潤うので咳が一時的にでも止まりやすくなりました。

 

前田京子さんのはちみつの本を読んでたので、なおさら信頼度が増しています

 

 

 

ゼリー飲料

様々なものがありますが、食べられないときはカロリーがしっかりあるものが良さそう。

好きでよく置いてるのがinゼリーのもも味。これは数年前、趣味の懸賞の時に知りました。

 

熱中症対策や災害時用にもストックは何かと便利。

 

 

首掛けできるボディシート(冷やしタオル)

暑いし汗もかくしべたべたするのでシャワーしたいけど、その気力も体力もなく、やっとの思いで入るも、悪寒とは違うがくがくと震えが出てしまいました…。

お風呂って重労働…。

 

お風呂に入れるまでは、いつも利用しているギャッツビーのボディシートではすっきり感が追いつかないので、最近話題の体の熱を下げるという大きなボディタオル(冷やしタオル)を利用しました(満を持して!)。


これがかなり有難かった。

あると無しではすっきり感が違うし、なによりも全身拭けるので何枚も使わなくても良いのです。


そして、ウイルス面でも、タオルを水で濡らした場合は洗って干しての作業ができないし、しんどい時にもそのまま廃棄できることも大きい。

環境には良くないけれども、こちらも背に腹は代えられない。。

 

首掛けできると大概書いているものの、イメージとしては首周りに置いておくくらいならできる長さで、掛けたままで移動したり活動できるほどの大きさではありません。


また、私のようにアルコールに弱い肌の人は、これらはエタノールが他のボディシートよりも多いと見え、ヒリヒリするのでご用心。


特に、肌が弱い、現時点であせも等で荒れている人で気になる方は、アルコールなしのボディシートかウエットティッシュ数枚使うか、余力のある人はタオルを濡らして拭いて洗濯する方が良いかもしれません。

 

環境面で言うと、ウエットティッシュやボディシートは不織布が使われていることが多く、それらはプラスチックのため負荷がかかります。

燃やしても残る。

そのため、完全な解決策ではないものの、最近は私はマンダムのギャッツビーを使用しています。

 

コットンも作るときに水が大量に必要だったり、それを廃棄したりと使い続けることが環境に良いとは言えないけれども…。

 

この冷やしタオル(大判のボディシート)は、マンダムからも出ていたみたいですが、もう発売中止?なのかで手に入りませんでした。


見つけたものだと、ビオレ、シーブリーズ、コーセー、そしてたまたま家にあったスギ薬局のオリジナル商品。

 


どれも同じような大きさのものが多く、文言も酷似しています。
エタノールが入っているのも同じで、肌よわには少し手ごわい。

 

シーブリーズのものにはコットン使用と書かれていますが、その他はポリエステルかその混のプラスチックの模様。

スギ薬局のものはたくさん入っていて安価だけども、使った感じが一番硬さがあり不織布!が前面に出ていました。

 

環境負荷動物実験は問題…解消すれば確実にリピ

個人的見解としては、ずっと気になって何年も意識していた化粧品や日用品の動物実験について、先日、最新情報をNPOJAVAから出ているコスメガイドで知りました。

それで、シーブリーズの親会社である(現在は別会社にブランドが移動した模様でも事情は同じ)資生堂動物実験を再開させたと知ったので、避けたい一心で、資生堂などは使いたくないと思っていました。

 

長年シーブリーズ愛用者で、デオウォーターがなければ夏は越せないと思っていたほどでしたが、中身のパウダーは何なのか気になって、コーンスターチと少しのアルコールと、ハッカ油の代わりであるメントールクリスタルを溶かした液を自分でボディミストとして作ったりもしていました。

足りないときは追いメントールをしたりもしたけれど、やはり既製品には及ばず…。

 

そんなこんながあってのシーブリーズとの因縁ですが、今度こそ辞めてやるばい!と決意したところでした。

 

そのため、ビオレとスギ薬局のものを使用。

ちなみに、ビオレ発売元の花王も海外輸出の際などは動物実験をしているようなので、資生堂と似たようなものだとは思いますが、一度完全に止めていた所が再開する方が質が悪いというか、またそれを公表しないことが裏切りだと思うので、こちらは目をつぶりました。

 

化粧品の動物実験は、EUが廃止した流れと、日本でも多くの市民の方とNPOなどの尽力で、大手メーカーもようやく止める方向になったのに、中国という大きなマーケットの魅力につられて(あちらは動物実験が法律で定められています)、しれっとポリシーなんてあっさり曲げて再開する企業が増えています

 

スギ薬局は確認が取れていませんが、書かれていないので期待はできません…。

早くみんな完全に止めてほしい。

 

とにもかくにも、今現在安心して使えるものはマンダムだけですが、近くでこの大きさのもの売られていない。。

製品の動物実験の問題が解消されたら継続してずっと買いたい!

災害時用の暑さ対策にもあると違うと思いました。

 


暑すぎるので、熱中症対策に買っていたが、まさかコロナでこんなにもお世話になるとは思わず。

中に、どれもアルミパックで個包装されていて、そこが通常のボディシートとは違います。

大きさは、大体飲食店で出される使い捨てのおしぼりの1.5倍から2倍の見た目で、ぎゅっと圧縮されてぐるぐる巻きで入っています。

 

開けると香りがきついものや無香料とあってもアルコール臭があります。

わずかなアルコール飛ばしとして少し振って、体質や皮膚に合えば、かなりすっきりするので大き目が役立ちます

 

 

シーブリーズ代わりオキシーデオシャワー

また、シーブリーズでいうとその代わりにと調べたのが、OXYオキシー 冷却デオシャワーパウダー入りでスースーして、これは見っけた!と歓喜し買っていました。


オキシーはロートの製品。

ロートは以前は動物実験をしていましたが、廃止しているので利用することに。

動物実験と代替法における取り組み | サステナビリティ | ロート製薬株式会社

2016年以降やめたとのこと。しっかりHPにも明記されているので安心できました。

 

 

グレープフルーツはシーブリーズのフローズンシトラスの香りに似ています。

多めにスプレーすると、その後少し風が当たったりエアコンの中だとかなり体感が変わりました

結局、パウダーの成分は分からず…ですが。

 

シーブリーズよりアルコール臭はやや抑えめ。

トリガーノズルなので手も汚れず使えます。

 


こちらも、熱中症対策に買いましたが、熱が出た時もべたべたしたときもお風呂に入れないときも期せずして役立ちました。
サラっとしますし、容量も多くておすすめです。


↑沈んでいる白いのはパウダーです。割と多めに入っていますが粉感はない。

アルコールが得意でない方は、こちらもどうしてもエタノールが多めなので注意が必要です。

あせもや荒れている部分はヒリヒリするので、そこも避けた方が無難です。

 


AGFの粉末麦茶

他にあってよかったのは、麦茶の粉末です。
AGFのものを愛飲中。

伊藤園のものよりも癖がなくてすぐ溶けて飲みやすい

 

これは顆粒ですが、水が冷たくてもすぐ溶けます。

ペットボトルだと保存時にも場所を取りますし、重たい。

災害時には大切ですが、ずっと何時もストックするのは邪魔でもあります。

 

100本入りなので、使いやすいようにいつもこんな感じで置いています。

 

これは省スペースで持ち運びもできて、ペットボトルなどの水と一包を持っていればすぐ飲めるので、自室からキッチンが遠い方にもいいかと思います。


ポカリスエットは飲んだのですが家にストックが1本しかなく、とにかくミネラルを取っていれば水分しか取れなくても何とかなるのでは?という期待で頑張ってごくっと喉を痛めながら飲んでました。


個包になっていて、湿気で固まる心配も少ないです。

1包につき水200mlくらいと書かれいますが、もったいないのでいつも多めの水で作っていて(ペットボトルや水筒が便利)、500mlくらいでも美味しく飲みやすいです。
温かいのでも美味しいので秋冬も活躍。

これからもストックしようと誓いました。

 


ブリタのボトル

長年のブリタ愛用者ですが、昨年水筒型のボトルを買いました。

外出先や寝室に夜持って行くのに使いやすいと思ったのですが、思いの外ボトルが大きめなので、持ち運ぶ機会が少なかったです。

 

ですが今回は、家族にも感染させてはいけないので、コップを使うと洗わなきゃならないし、それをお願いするにしても良くないのでは…。

と考え、ペットボトルを使用してたのですが、洗っても中までは届きづらく、あまり衛生的ともいえず、せめて水だけでもとこちらにチェンジしました。

 

水道水を入れたらボトルから飲む際に待たずにすぐ浄水されます。

このため、上記の粉末麦茶は中には入れられませんが、他の容器に麦茶を入れて、これでできた浄水を注げばOK。

こうすれば、すぐ出来立てが飲めます。

 

このボトルは、側面を押すと水が出てくるので直接口を付けなくても飲むことができます

そしてそのボトルが柔らかめなので力もいりません。

 

麦茶に限らず、このブリタの水だけでも、水道水さえあればすぐごくごく飲めるので、とっても助かりました

600mlと大き目で、何度も水を入れに行かなくてもいいのもありがたいです。

 

ボトルは軽量で、横にストラップもついています。

本来はコップがついていますが、家で使う時は不要かと。

 

以前他の海外製の浄水ボトルを使用していましたが、直接口を付けなかればならない上、かなりの吸引力が必要で、かつボトルも硬くて外でも家でも飲みにくくて使いづらかったのです。

 

その点このブリタは、ボトルに直接口を付けて吸い込まなくても、側面を押すと、サッと飲み口から浄水が出る仕組みなので、清潔な手で飲み口を先に引っ張り上げておくと、二回目からは飲み口には触れずに飲めます

飲み口が開いていることにはなるので、持ち運び時に立てて固定できない時はこぼれないように注意ですが…。

それでもぽたぽた程度で比較的漏れにくいと思います。

また、コップで蓋する際も、完全に押し込まなければ飲み口を閉め切らずに蓋が出来ます(くれぐれも側面を押さないように…ですが)。

 

ディスクというカーボンのフィルターは、時折のメンテナンス要ですが、それも毎日ではないのも便利です。

ディスクは大体1ヶ月持ちます。

 

そして、大きく分解して丸洗いできるためかなり衛生的です。

余力がない時は、飲み口部分だけを洗って、少しマシな時に本体なども洗って又使うということをしていました。

ポット型のブリタに比べると、ろ過のスピードが断然速く、押してすぐに浄水されるせいか、水道水を入れてすぐ飲むと、ポット型と変わらず同じくおいしい!というほどではない気がしましたが(先入観?)、それでもカルキ臭はかなりなくなりますし、何よりも雑味が減り、水道水の味ではなくなります。

時間があれば、水道水を入れて少し置くと、しっかりちゃんと美味しいのでこちらがおすすめです。

 

麦茶でも水でもすんなり飲めるというのは、しんどい時にも有難いものです。

ほぼ寝たきりだったので、ベッドから取り損ねて少し倒しても水浸しにならないのも便利でした。

 

元気になれば外でも使えますし、この暑さですから熱中症対策としても、どこでも水があれば補充でき、ボトルの水がすぐに無くなって買いに行かなきゃ!というストレスもコストも減らせます

 

 

以上、コロナ(仮)感染時にあって助かったものたちでした。

 

まだまだ暑く、カレンダーの数字が嘘の様ですが、熱中症にもそしてコロナウイルスにも、さらには百日咳やインフル(これも時季外れでまた流行っているみたい)にも、色々と油断ならない状態が続く日々ですので、これを読んでいただいている方がいるのかいないのか分かりませんが、お互いにゆる~く気を付けて参りましょう。

 

くれぐれも無理せず、何とか明日に辿り着けたらなと思います。

コロナ(仮)はやっぱり怖かった。ニンバス変異株

先日、ついにコロナになったようでした。

 

病院へは行ってないので確定ではありません。

が、

(仮)ではあるものの、かなりきつかったので残していたワクチン接種の副反応の自分の記録と現在報道されている変異株の症状や、今までのコロナの症状のデータと酷似しています。

また、症状が出た後も、後遺症?!みたいなものまで現在も続いている状況があまりにもあまりなので…。

勝手に私が認めることにしました。

 

とにかく普通じゃない状態が、今もまだ続いていて、記録を取っておこうと書いた長いメモです。

 

 

 

インフルの悪夢再び…

発端は、お盆の少し前。

家族で体調不良が蔓延したことにはじまります。

 

昨年末にインフルになったこともあって、そのときは根性で5日間耐えましたが、その後にばたりと倒れました。

気合だけで耐えられたものの、その後は約1ヶ月の間症状が続き、軽い肺炎になっていたようで、ほんの少し動くだけで息切れし咳がずっと残るという息苦しい大変な時期を過ごしました。

 

 

それもあって、ビタミンCやらGSE(グレープフルーツの種子エキス)やらリポビタンDXやらを飲んで今度も何とか耐えて家のことを回さねば…と思っていたのですが、

初期の初期から喉の違和感があり、だんだん気のせいではない…と思うようになり、せめて3日持ちますようにと祈っていたのですが、、すぐに陥落。、。

父のダウンから2日で私自身も倒れてしまいました。

 

 

喉の違和感があっという間に

まずは喉の違和感からはじまり、すぐに微熱が。

もうちょっと踏ん張れ!と自分を鼓舞するもむなしく、すぐに発熱。。

色んな抵抗をしてみるも、喉が痛くなり…。

 

37度の微熱からあっという間に38度を超え、まだ上がるかも、

途中で発熱を止めてはいけないのでは、というよく分からない根性比べをして、

鎮痛剤を飲むのをためらって一日過ごしました。


無駄な抵抗後、鎮痛剤を飲んで数時間ですぐに汗がダーッと出るものの、完全には下がりきらず結局微熱程度になるのですが、この差が大きくて楽に感じました。


しかし、のどの痛みは変わらないどころか、よりひどくなっていきます

いつも喉が荒れがちで弱いタイプですが、いつもよりもずっと痛い。

イガイガからすぐ赤みと痛みに変わりました。

赤みも、口を開けて見える範囲全部が真っ赤に腫れていて、我ながらぎょっとする光景。

しかもこれがかなり長持ちしました…。

 

ウイルスが飛び散らないように水で流しつつ、アルコール消毒もしながら

GSEやら緑茶やらでうがいをする、はちみつ(ここぞと思ってマヌカ)をなめる、

しまいには喉が痛くなくなるツボなども検索して押しまくりました。

どれもそれほど効果なし…恐るべしウイルスよ。。

 

カミソリやガラスを飲むって、響きが…

その後発熱中(38℃が5日続いた)に不安だし、しんどいしで、スマートニュースをだらだら見てたら、最近コロナがまた流行り変異株が多くて、何でもニンバスというらしいと知ります。

wired.jp


オニバスみたいだななんて、訳の分からないことを思いつつ、その症状が『喉がとにかく痛くて、まるでガラス片を飲んだようだとか、カミソリを飲むようだとか』と書かれていました。

toyokeizai.net

いや、どれも飲んだことはないし…刺さったことすらないが…これはそれよりマシなのか、それとも同じなのか…形容された言葉が強すぎてよく分からなくなりました。

 

が、感覚としては、今までの喉の痛みとはちょっと違うということと、水分や物が喉を通過するときに、まるでいくつも刺されるような痛みであるとは思っていたので、これはやはり…ただの風邪ではないのでは…とよぎるように。

 

熱は5日続き、上がったり下がったりていました。

コロナのワクチン接種時に副反応がかなり強く1週間続き、その時も夜になると熱が上がる、朝には微熱までは下がるけど解熱鎮痛剤は効かないという、同じ現象を思い出しまします。
やはりこれは…。

 

初コロナ?!は普通の風邪じゃない

父が何度かコロナ(大体毎年一回は)にかかっていて、マスクをしてられないのか途中から忘れてしゃべりまくられたり、いろんな所を普通に触るといった衛生観念が甘いので……その分こちらは戦々恐々と対策に余念なくしなければならず、、毎回それで乗りきってきました。


いや、違和感はいつもあって、うつってたかもしれない…という症状は身に覚えがあるにはあるけれど、誰かが具合悪いと言ったら私自身も具合が悪くなってくるというタイプなので、気のせいかも知れず…なこれまででした。

が、今回は様子が違っていて、、、。

 

熱は落ちない、喉はどんどん痛くなる、病院嫌いの癖に不安になって、行かなくては行けないのか?なんて思うけど、お盆だからどこも休みだろうな…なんて堂々巡り。

 

 

ちなみに…マスクしなきゃだけどさすがに暑かったので、症状が出てから慌てて注文したのが蒸れにくいもの。

 

コロナも風邪も百日咳も、やはり予防にはうがい手洗いとマスク、そして換気だそうです。

夏用マスク、それでも暑いけど、あるとないとでは快適さが違いました。

 

のど弱常連で手術経験あるも、これは参った

実は、喉が弱いのは子どもの頃からで、痛いなと思うと赤く腫れ、いつも喉頭蓋(いわゆる喉ちんこ)にブツブツができていました。

それでよく耳鼻科に行っていて、ある時、これはブツブツが多すぎる!増えたら喉を塞いで危ないかも!今後のためには取らないと!なんて脅されるように言われ、よく分からないまま大学病院で切除手術をした経験があります。

 

検査もブツブツをピンセットで麻酔なく引っ張られてちぎられるし、、手術も紙のような目隠しだけで、明かりが煌々と差す中、喉ちんこを糸で括られてレーザーで焼くという心臓に大変よろしくないものでした(ちなみにその時に喉ちんこが長くて舌に接着していたこともあって、ちょっと切られました…)。

10個くらいのブツブツを取ったけど、レーザーの刺激が傷になり、喉の真ん中に口内炎出来てしまいました。

これがどうも癖になったようで、以降いまだに体調を崩すと、喉の真ん中やら周りに口内炎がデカデカと出現するようになりました。

 

検診が文字通りの3時間待ちの3分診療だったこともあり、数回で通うのをやめたので、その後の喉の状態が医学的にどうなのかは不明ですが、とにかくよく痛くなり赤くなり腫れて、最後に口内炎ができるのが一連の流れに。

 

インフルのときもだったしまた同じかなと思ってたら、喉の痛みがどうもキツすぎると気づきます。

 



そんな感じで、慣れている?はずの私でもこれほど症状がキツく、しかもしつこく長いのだから、これはあながちカミソリという形容もなくはないと後になって思ったのであります。

 

飲み込めないが水分はとらなきゃ…という葛藤

水分はおろか自分の唾が痛いという状況で、飲み込む時は大袈裟でもなく、わりと決死の覚悟でゴクッとしなければなりません。

 

けれど脱水がよくないし、熱も出ているし、水分すら痛くて食べられるはずもないので、弱りきってしまったらこれは大変!入院かも!!なんて恐れおののいて、必死になって我慢して水分だけでも摂ることにしました。

けれど、これがかなり苦痛で、疲れる作業。

 

いろんな人がいて、いろんな現実で困っている人はいるだろうなと思いつつも、この喉を取って直接下に物を入れられないだろうか…と真剣に考え、頭がぼんやりするほどで。。

 

飲めない食べられないだったので、ゼリー飲料とアイスに助けられました。
熱中症対策と夏バテがひどくて食欲がなかったので、うつる少し前にたまたま何種類も買っていたゼリー飲料がめちゃくちゃ役に立ちました。


味はいまいちわからなかったものの、とりあえず栄養、カロリーと水分が摂取できました。

これは熱中症対策にも災害時にも熱の際にも本当にあると便利。

 

今度は風邪薬で動悸と息苦しさが

熱は5日間続き、夕方や夜になると上がるというパターンで、夜が怖くなります。

発熱2日目からその場しのぎの総合感冒薬(風邪薬)を飲み、熱は一時的に引くというのを繰り返しました。


汗が出てよかったものの、風邪薬を服用して2日くらいで動悸と息苦しさを覚えるように。

はじめは熱のせいかと思ったけれど、よく考えると葛根湯が合わず飲めない体質。

 

葛根湯に入っている麻黄というものが、エフェドリンと呼ばれるもので、興奮作用があるらしく、どうやらこれがパニック障害もちの私には動悸として現れやすいと分かってからは避けています。

また頭痛薬にも風邪薬にもよく入っているカフェインも、同じく動悸につながるので、こちらも避けています。

 



が、今回は背に腹は変えられず、早く抑えなければと喉の痛みと書かれているのを慌てて買ってきてもらったので、それにはもちろんどちらも入っていました。

真面目に飲んでいたから、痛みや発熱はあるものの他は多分に抑えられていたみたいで、わりと効果はあったように思います。

 

がしかし、この動悸、だんだん強くなって余計に不安になったため、見きりをつけて止めることにしました。

この時、3日分あった薬はほぼ飲みきっていたので、気がづくのが遅かったのだけれども…。

 

やめたら、今度は咳が止まらない!!!

そんなわけで、発熱がひどくなったら単剤の鎮痛剤を飲もうと決めました。

が、風邪薬を止めて数時間、それまでほぼ出てなかった咳が出はじめます。
そして、一度出だしたからには止まらない!!!!!!


止めようとすればするほど出る。

しかも咳き込みすぎて気持ち悪くなるという繰り返し。

 

だんだんそれに疲れてきてしまいました。

そこでトローチやのど飴を頼るけれど、これも効果なし…。
このときあって助かったのは、年末のインフルエンザの時にしつこく残った咳に効いた、漢方「麦門冬湯」でした。


これは、体力がない人、咳き込みがきつくて少し痰が絡む人に合うようです。
インフルの際に買っていたので、その残りが3.5日分くらいありました。


それで割と喉全体が潤っている感じがすぐにし、咳き込みが少しマシに。
段々これで良くなるなと思って、こちらの漢方も飲み切って1日経過後、咳き込みが舞い戻ってきてしまいました…。はやい…


発熱からこの時で1週間経過。

熱は微熱になり、大分落ち着いてきていたのに、未だに喉の違和感と咳だけがひどくて体力がどんどん低下していきます。

 



そして慌てて、楽天でまた注文。今度は多めに買いました。
すぐに届いたので、間が3日と置かずにまた麦門冬湯を飲み始めることに。
本当に体質と症状に合っていたようで、ぴたりとはいかないものの、夜中の咳き込みや咳で何度も起きることも減りました。


そして、日中も咳き込みはするものの段々回数と酷さが低下。

回復に向かい始めました。

これは合わせて10日くらいは飲み、現在、発作の様な咳は随分なくなりました。

 

味覚障害?舌に膜をしたような

風邪と違うなというのは味にも。

コロナは、以前から味覚障害が出るときいていましたが、喉が荒れすぎたのか熱なのか口に入れるものが変な味がするようになって、これが本当に長引きました。


なかなか形容が難しいですが、味が分かりにくいという感じ。

あと苦みや酸っぱさもありました。

胃の調子が悪い時の感じに近いでしょうか。

 



少し前に、私はうつがひどかった時から食べ物の味、輪郭の様なものが分かりにくいという症状があって、それが割と長く何年も続いたのですが、その時を思い出しました。

それと似ていて、舌に膜をしているようなイメージで、感じにくく本当の美味しさが分からないみたいな状況でした。

 

喉は痛いし飲み込めないし、飲んだものは味が分からないし、食べられるようになったのは発熱から一週間くらいかかり、ちゃんと味が分かるようになったのは20日近く経ったころ(最近!)。

 

風邪薬をやめてから、咳が出るし、鼻水が出るし、と見た目は風邪の症状になりました。薬で抑えてたんだなというのが如実に

そして、のどと鼻の調子の影響もあってか、つい最近まで鼻声というかくぐもった声でした。

 

お通じの異変も…

あとは、かなり驚いたのはお通じです。
汚い話ですが、かなり難産になり、、、

食べてないし、栄養も取ってないから仕方ないのですが、久しぶりに催したと思ったら、トイレから出られなくなり、そのまま倒れるかと思ったほどです。


ここで救急車に呼ばれたらめちゃくちゃ恥ずかしいなとか、このまま出られないのだろうかとか、考えました。。


そして、お通じが叶ったらかなったで、色にビックリで、白っぽくて言葉を失いました。
すぐ調べると、ウイルスがいる状態や闘った後、そしてコロナにかかった人はそうなることが割とあると出てきて、一安心。

続くと肝臓に問題あり、とも見てちょっとドキドキしましたが…。

 



その後、今度はお腹が緩くなり、いわゆる胃腸炎のような水様便が続き、お腹が痛くなると安心できない感じが長引きました。

こちらも戻るのに2週間近くかかり、じわじわと体力を失っていきます。

 

コロナってやっぱり怖い…これは後遺症?

喉が痛い、熱が出る、咳が出る、それが続く、

と言葉では通常の風邪の様で割と簡単に感じますが、実際は結構重めの疾患でした。

 

肺や呼吸器に影響があれば、中等度や重症というくくりになるのだと思いますが、軽症の部類でもここまで消耗するのかと改めて知った次第です。

 

なかなか咳が止まらない、喉の違和感が消えないため、後遺症という言葉が頭をかすめます。

実際、味覚は戻ったので安心したのですが、未だに残っている症状もあります。

 



咳がまだ出る。

発作の様な激しい咳き込みはなくなったものの、思い出したように出ては続くことが一日に何度もあります。

 

喉がまだ痛くて腫れていたり赤みがあること。

もともと喉が弱いので比較はしっかりできませんが、風邪になるかも?!という時の違和感のような状態が続いています。

 

痰が引っかかったような異物感があって、時折変な味がして、声が突っかかること。

漢方やはちみつ、そしてうがいでケアしていますが、それでも残っています。

 

リンパ節や関節の違和感や痛みがあること。

特に首周りや股関節に違和感があって、時折ギュッとした痛みが出ます。

発熱する際に起きる痛みに似ています。

 

ふくらはぎや太ももや足裏などに筋肉痛の様な症状が続き、こむら返りも起こすこと。

発熱時から運動してないのに?という地味で嫌な鈍い痛みがあったのですが、それが取れず、時折つります。

熱中症と見まがうのがややこしい。

 

すぐ疲れて、体力が続かないこと。

もともと体力が無い方ですが、それでもいつにも増して終始疲れている感じ。

不眠症が定型の人間としては、眠りがやや深くなったと喜べばいいのかもしれませんが…。

疲れが取れない感じがよりあります。

 

・いつも以上に頭が重くて頭痛がすること。

頭痛持ちですが、重い感じはいつも以上にします。

片頭痛等のいつものとはちょっと違う鈍い痛みがあり、肩こりや首こりも、いつもより固まった関節の痛みのようなズーンとした痛みがあります。

 

初めてわかる辛さでした。みんな少しでも早く良くなれ

そんなこんなで、大分よくなって、わんこの散歩にも出ていますが、回復にはまだまだ時間がかかりそうです。

 

コロナは終わったように思われていても、後遺症に苦しむ方が多くいると聞くので、その方たちの苦労はいかほどか…と初めて実感を持って身につまされました。

 

それに比べると重くはないものの、私自身もこれが長引かないように、、、と願いながら過ごしています。

“戦後80年”の読書体験3冊と改めて思うこと

この8月、戦後80年といわれる今に読んでみた3冊です。

 

 

 

 

朝ドラで話題のやなせたかしのお得感ある一冊

 

朝ドラになっているアンパンマンの作者やなせたかしさんの本、『やなせたかし 明日をひらく言葉 PHP文庫』もうずいぶん前に購入していてちょっと読んでは積読状態のままにしていました。
それをこれを機にと思い、読み切りました。

 

直接は戦争の話はあまり出てきませんが、ドラマの中でも話に出てきていて、やなせたかしの根底に流れていた『ひっくり返らない正義とは何か』という問いが作品作りというかおそらく彼の人生のテーマになっていたのだなと感じました。

 

ドラマの北村匠海さんの嵩(お名前はこのまま)は、もっと真面目が過ぎるくらいで真っすぐでまともにダメージをダメージとしてずんと受け止めすぎている印象ですが、私がこの本を読む限りの印象は、もっと軽やかでカラッとした嵩像を思います。

 


もちろん、晩年の本ですから段々とそうなっていったのかもしれませんが…。

 

今までの本の言葉をまとめて、関連したエピソードがご本人の言葉で書かれているもので、お得感があるというか、何冊も通してやなせたかしを読んだような気持になる本でした。

 

購入当時は10年以上前で、気になって読んだけれど思った感じと違ったように覚えています。

 

明るすぎるというか、逆境に立ち向かって生きてきた成功談みたいなものはわりと苦手なのですが(卑屈なもので…)、これは通して読んだところ、逆境を跳ね返して生き抜いてきたお話だけれども、押しつけがましくないというか、そうなんだという引きで見られるような、あくまでもやなせたかしという人の生き方を知れるものだったように感じます。

 

大変明るくて、さっぱりしている、けれどもそこには生まれて育つ過程の母親との確執があり、戦争体験があり、なかなか漫画家として売れない日々があり、といった元があっての芯が通った明るさただでは倒れない生き様が見てとれました。

 

根っこのある明るさとでもいうのか、まっすぐ伸びる草花の様な清々しさを感じる本です。

 

 

白黒写真の印象が激減!カラー化した写真で見る戦前と戦争の写真


もう一つが、AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争 (光文社新書)です。
これは、文章としての読み物というよりも写真集に近いものですが、説明書きがあり、じっくり比べてじっくり読み進めるような一冊です。

 

これも積読になっていたもので、何年か前にツイッターを利用していた時にこのカラー化の第一人者の渡辺教授の記事を見て、またご本人のツイートを見たこと、そこで感激したことがきっかけで知ったものでした。

 

リツイートだったかリプライに反応していただいたこともあって、より身近に感じて本を購入することに。

 

少し高いのですが、ボリュームもあり、本屋で見てこれは!と購入にいたりました。

 

今残していたPocket(サービス終了のため慌てて他へ移動)のデータを見ていると、ちょうど5年前戦後75年という時点でこれらの写真や記事を多く見ていたようです。

 

bunshun.jp

文春はとりわけ多くの記事があり、何年もこのカラー化を追っています。

写真もかなり多く掲載されています。

著者である渡邉さんと庭田さんの話もあり、背景も分かりやすいです。

 

カラー化とは何か。ただ色を自動的につけるのではない

関連するドキュメンタリーもわりと目にした時期でもありました。
私が今手元にあるHDDの記録ですと最近のはNNNドキュメント 平和色の写真(これはこの本の著者でもある庭田さんが、出版後に広島のテレビ局に入局し被爆者の取材相手として出ています)
などがあります。

 

このドキュメンタリーは全編がYouTubeで観られます。

www.youtube.com

 

この何年かでメディアにもよく取り上げられていたのでもしかしたら、一度は目にした写真などもあるかもしれません。

 

このカラー化する技術と手法を渡邉さんのワークショップで出会った、ホリーニョさんという方も現在沖縄の戦前~戦後の写真をカラー化する活動をされています。

bunshun.jp

 

激動の沖縄 白黒写真をカラー化で見えたこと AI・手動を駆使し着色 80年たっても変わらぬ色 | 特集 | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ

沖縄戦のものをカラー化していて、このURLではご本人のインタビューもありました。

そうやって伝えることが受け継がれていて、見ていると頼もしく感じます。

 

 

思えば、この5年間でも大きく世界は様変わりしました。


もしかしたら、、長い歴史という観点から見れば、コロナ禍というものよりもはるかに戦争や為政者たちの我がための横暴な政策変更の方が、影響力が大きく、これ以前以後と語られるのではないかと思うほどの変化なのかもしれません。

 

ウクライナ侵攻、ガザへの苛烈な攻撃、戦争への自画自賛や記憶の改ざん、排外主義が大手を振って闊歩するなど、目まぐるしいほどけれど目を覆いたくなるようなニュースばかりが続いています。

 

この本の購入当時、何度もその当たり前の光景とその後の戦争による惨禍で変わってしまったその当たり前が、どうしても頭ですっと受け入れられない状況で、少し見るだけで立ち止まってしまってそのままになっていました。

 

戦争という暗い影が市民の生活に迫る以前、あるいは迫っていても目の前の現実の方が大きかった頃の写真は、本当に今生きているような、隣にいそうな日常がそこには写っています。

 

戦前や戦中というと遠いものと思いがちですが、かなり身近に感じるものでした。

それが、戦争に向かっていく空気がどんどん強くなり写真も一変していく。

その様がよく分かります。

 

写真にアメリカ人の博士や軍人が原子爆弾と並んで映っているものが何枚もあります。
不謹慎かもしれませんが、それが思いの外、あれほどの威力と甚大で計り知れない未だに続く被害を及ぼしたものにしては、小さいなと見るほどに感じました。

 

以前渡邉教授が仰っていましたが、ただAIで自動的にカラー化すればよいということではないようです。

今ならさらに技術が進み、何でももっと簡単に自動化できると思いますが、それでは完成とはなりません。

人の記憶があり、思いがあるから、コンピューターの正確性が正しいとは限らないというのです。

 

写真を色付けする際に、思い出がよみがえる。

写真の持ち主やその家族のもとに届くのは、カラー化した写真という物質だけにとどまりません。
その当時の記憶、におい、思い出、それらが動きだしたりするのです。

 

この時見たのとは違う色、この時見たのとは違う花だったなんてことが分かることもあるようです。

 

何でもカラーにすることが良いのかという議論もあるようではありますが(エンタメ化してしまうとか消費することへつながるとか、想像力の短絡化みたいな理由かな)、少なくとも私が意義があるなと思うのは、カラーにすることで目に留まるというのがあるのではないかと思うのです。

 

人間は単純なもので、白黒は昔、カラーは今に近い、と感覚的に思ってしまうものの様で、捉え方がやはり異なってくるように思います。

パッと見て、脳裏をかすむ感情が違うというか、目に留まる秒数が違うというか、わりと簡単にできているのではないかと思います。

 

そこから、思いを馳せることへつながるのだとしたら、やはりカラー化する、自分たちが今見ている景色と近く感じるというのは大事なのではないかと感じます。

 

カラー化すること=現実味が出るという単純なことではなくて、そこから発する疑問や思いや想像力などが出てくる率が変わってくるということなのではないかと。

 

カラー化というのはもちろんかなりの技術と慎重さが要ることですが、人間の脳に語り掛けるには必要なものかなと思いました。

 

 

資料や記録は財産である

さらに、私は普段からドキュメンタリー映像を観るのが割と好きで、特に世界大戦などの資料やデータというものがどんどん失われていて、感覚的にも体験者がいなくなるという危機感がある中で、特集を観なければとか保存しておかなければとか、知らなければ世の中なかったことにされてしまうという焦りがあるため、たくさん観るようにしてます。

特にこの5・6年はその気持ちがとても強くなりました。

 

けれど、そんなテレビや映画の資料も、本での資料も、出てくるのはアメリカの資料ばかり

 

上記の沖縄戦の写真をカラー化しているホリーニョさんの言葉でもありますが、撮る人の意図が含まれるわけで、特に従軍記者など報道とは端的に呼べない状況下では、どのように撮るかという構図も取り直しもあるという引き算は必要にはなります。


ただ、映像技術などの違いも当時からあったということもありますが、何もかも破棄する・都合の悪いものはなかったことにしたり改ざんしたりする我が国とは違い、軍や国の機関がきちっとすべてを保管しているという大きな利点があるのです。

 

アメリカも現政権ですと、色んなものを書き換えて破棄しているとの報道もあるので、これからはそちらも大きな危惧がありますが…。

 

資料や過去の映像というのは、いかにも宝なのだと思い知らされるわけです。
残すということは、今の政権やその中枢にいる人にとって都合が良いか悪いかではなくて、未来の世代への問いであり贈り物なのです。

 

今決めて破棄したり、改ざんしたりすることがいかに傲慢なことかと、改めて今回のこの本でも思い知らされました。

 

これは是非パラパラと読むだけでも、眺めるだけでも胸に迫るような迫力と残像が色濃くなるものだと思いますし、大変貴重なものだと思います。

 

 

今の時代だからこそ心にトットちゃんを住まわせるということ

そしてもう一冊。
言わずと知れた名作『窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)』です。

実は初めて読みました。

 

存在はもちろん知っていましたが、内容は知らず、数年前にアニメ映画化されるということを機に購入して途中まで読んでからはこちらも積読のままでした。

 

この感性に脱帽ですし、なぜこれほどまでに憶えているのかと本当に感嘆するばかりでした。
まるで今目の前で繰り広げられているかのような鮮やかさと、子ども目線のみずみずしさがありました。

 

しかし、やはりこちらも時代背景が戦争が影を落としていて、幼少期に出会うものとしてはかなり強烈な記憶となったものだと思います。

 

黒柳さんの目線から、トットちゃんの目線から、見る戦争の時代、それがいかに色んな世代にそして国を越えて知らせてくれる灰色がかった暗いものかが分かったような気がします。

 

楽しくて、面白くて、感性に驚きながらも、自分も友達になったような親近感を覚えるものだからこそのインパクトがありました。

 

私の中にも、そしてこの本を読んだ多くの人の中にも、それぞれにトットちゃんが心にいて当たり前だと思っていることの不確実さとか、これってどうなの?という素朴な疑問とか、そんなものをつつかれているような気になります。

小さなトットちゃんが心にいてくれてホッとしたような、ありがたいような気持ちです。

 

戦争はこれほど小さな子どもにも、こんなにもキラキラした心にも覆いかぶさる闇なのかと思わざるを得ません

 

それは、今現実に起こっているウクライナやガザでの戦争やミャンマーやシリア、アフガニスタンなどの紛争をまた思うと、より胸が苦しくなるものです。

 




戦後とは何か、言葉によどむ裏側

今年いろんな場面で出会った、その深い意味とまた清算し切れていないからこその曖昧さが残されていると知った「戦後」という言葉ですが、それをまるで他人事として言えてしまう日本にいる私たち。

 

けれど、戦後80年とまるで疑うことなく言えている現実に感謝しつつ、後ろめたさも感じるようになりました。

それは、メディアを通した報道やドキュメンタリー、そして先達たちの声を見聞きし、あるいは書物で感じたからです。

 

現に指摘されているのは、個々には戦後という言葉はあまりにも画一的過ぎて、戦争は負傷や遺失を含め傷として残り続け終わることはないということ。

 

そして、終戦記念日とは8月15日といい疑うことがなかったのですが、実際は戦争はその時点を境にしてもむしろ戦況は激化していたり、その後もソ連との戦いにおいては抑留なども大量に発生するといったことが起こっています。

 

被爆体験者をとっても、自分やその家族が差別されることを恐れて、体験者であることすら言えないから、家族ですら話を聞いたことがないという話をいくつも見聞きしました。

 

戦後とは何かを考えること。
つまり、戦争は終わらないし、簡単に書き換えたり区切りを付けられるものではないということ。


改めて思うのは、考え続けること、疑い続けること、そして声を上げることをためらわないこと、そして見つめ続けることの重要性を思った読書体験でした。

 

簡単に歴史を改ざんしてしまう今だからこそ、鶴の一声でなかったことにされてしまう過去だからこそ、都合が悪いこともひっくるめて過去なのだと、胸に刻みたい。

 

戦争は双方向だから。今起きている戦争も考え続ける

私たち日本で生きていると、なかなか遠く感じる他国での戦争や紛争やそこで起こっている人々の危機。

 

そして、日本が関わった世界大戦をはじめとした戦争は、教育上でも教わってきたのは被害の様子ばかりでした。

 

戦争と言うと、原爆を思い、空襲を思い、終戦と言われた後の食糧不足や再建の大変さを思い。

けれど、戦争は一方通行なものでは決してない。
どの戦争をとっても、必ず双方向のものです。

 

被害があれば加害がある。

それが自虐史観だなんて都合よく言われますが、そうではない。


それは後に生きるものの、国と自分たちを同一視させた己のプライドがための改ざんです。

 

一方的に侵略されて終わっていたら、戦争ではない。
どんな形でも対抗し、奪い殺していく。
また、一度そうなると、国内にいる人々同士でも争いが起こる。
生きるために奪い合い、傷つけあう。

 

フラストレーションが高まると、それは内側にも向けられる。
他国や敵といわれる人々からの被害だけでもない。
味方であるはずの人々を殺傷し、体や心を傷つける。

 

また、貧しくなったら子どもや力なき人々の尊厳も奪っていく。
孤児や家を失った人を助けたりしない。我が我がと敵視していく。
それが連綿と続く。

 

歴史上の資料でも、また現在起こっているウクライナなどでも、戦意高揚のため、あるいは敵を明確にするという策略がため、自国民へ向けられた加害はなかったことにされます。


本当は近所の人から性加害にあった、顔見知りの人から暴力を受けた、家族内で傷つけあっているなど、本当は同時進行で起こっていることも、報道はされない。

それが人間性を奪うということなんだと思うし、戦争や紛争の大きな傷なのだと思います。

 

加害は被害と同時に起こっている。

傷つけられたら同じように傷つけている。人を同じ人間とみなさないことでしか戦争は続けられないから。
それを強く思った2025年の8月でした。