なまけものーと。

なまけもので、ダメダメな私が生きていくために、つらつらと綴るブログです。今のところ、ただただ生きているだけです。

あなたにぴったりの投票先の決め方と国民審査

立場の違い、年齢の違い、性自認の違い、住んでいるところの違い、育った環境の違い、などなど何を見て、何を大事にするか、は本当に千差万別です。

 

これが正しいというのはない、そして投票した後に正しいか正しくないかの判断もできにくいというのが選挙なんじゃないかと思います。

(投票した人が不正したとかなら、あれ?間違ってた?と思うかもしれませんが…)

 

誰かと比べたり、日本では誰かと話し合ったり、というのもなかなか難しい。

 

学校でもあまり習わないし、急に大人だからと大海に放り出されたようで、どう選んでいいか分からない。というのもあるかもしれません。

 

若者の投票率がとても低いことには、非常に皆さん真面目だからじゃないか、という気が私はしています。

 

間違っちゃいけない、分からないから投票してはいけない、知らないくせにと大人(大体おじさん?)に偉そうに言われて委縮してしまって…など非常にがんじがらめになっていることがあるんじゃないかなと、勝手に思っています。

 

どれにしようかな~で選ぶのはよろしくはないとは思いますが、まぁそれも自由ですが、考えて出した答え、正しいと思ってドンと構えて投票してもいいんじゃないかなと思います。

 

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先にも書いたように、答えなんて今は分からないのです。みんな。

 

先の大戦や、今までの歴史で、あぁあれは民主主義と言われたり、選挙でみんなが選んだはずだったけれど、時代の空気感というものが恐ろしくも大きな影響を与えたんだなとかということが、今になって結果として学べることは大いにあると思います。

 

また、今だったらコロナの不安や恐怖がいかようにも人の悪意などを先鋭化させて、強権的な政府が台頭するなと他国を見て感じることではあると思います。

 

けれど、真っ只中にいると、分からない。それは自分だけに限らず。

 

間違いも、正しいも、分からない。

だからこそ、今できる最善の選択をしっかり悩めばしたと言ってもいいのかなと思うのです。私は自分に対して。

 

また、間違ってもいいじゃない、ということをモットーに選挙に臨むというのを、選挙権を持った時から心がけています。

学んで、また次に活かしましょう、のトライ&エラー。

 

お祭りでも遊びでもなく、誰かの命はかかっている(候補者ではなくて)けれど、全部は分からないから、今の最善を選ぶという方向で。

 

そんな心持ちです。

 

  • 選べないから比べてみよう

また、色んな情報が簡単に手に入るようになった昨今ですが、だからこそ声の大きい人に惑わされたり、何だか誘導されていたり、とこんがらがってしまうことも多いと思います。

 

だからせめて、自分で選んだと言えるために、比べてみましょう

誰かに任せきりでもなくなるように。

 

生理についての問題に声を上げた方がまとめた各党の政策のまとめと表です。

非常に分かりやすく、見やすいです。

note.com

 

また、下は医療政策について署名等で問題提起している方々が作った表です。

こちらも大変まとまっていて見やすい。

 

なかなか良いことばかり、きれいなことばかりを書いているマニュフェストには書かれていなかったり、分かりにくかったりと、目立たないけれど大事な点かと思います。

 

 

また、動物の保護に関心がある方は、動物愛護について各党がどれだけ取り組もうとしているかという点で比べることもできます。

短い記事ですが。

www.kobe-np.co.jp今までボランティアなどで個人や有志の方々、そして愛護団体がどれほど活動をしてきてもなかなか大きな転換をすることがなかった施策ですが、昨今の多頭飼育で崩壊してしまう問題が表面化してから、ようやく動き出した感があります。

 

それでもまだ全然足りない。

皆さんが動いたことによって、色んな働きかけによって、ようやく大きな岩が認識されたという段階かと思います。

 

けれど、出来そうにもないことを言ったり、全く具体策がないという点も見ていかなければなりません。

 

最近の、アキタフーズの事件はアニマルウェルフェア(動物の倫理的な取り扱い)について真っ向から否定し、動物の健康や安全よりも自分たちの利益を優先した話(動物が健康でなければ人間の健康も害しかねない話)でした。

鶏卵生産大手アキタフーズ元代表に有罪判決 贈賄罪など - 産経ニュース

 

これからも分かるように、日本は国際規約から外れていると指摘されていた飼育方法ですら、今回も利益のために留めてしまうような有様で、汚職の方が取り沙汰されただけで、現在でも多分政治家が掲げるものの優先順位としてはかなり低いと思われます。

 

視点はそれぞれです。

チャート方式や、SNSで回ってきた話なども良いですが、根拠があって言葉だけでなくて、より信じられる方を選びたいですね。

 

また、Twitterなどでは大きな声、分かりやすすぎるデフォルメ、罵詈雑言などが嫌というほどあります。

そこに足を取られないように、気を付けて下さい。

 

候補者がふつうに、フォロワー(でない人にでも)にひどい言葉を投げかけたり、誰かを誹謗中傷している例も散見されます。

 

ポスターや街頭演説でいくらきれいな言葉を並べていても、人間性というのはそういうところにふと出たりもします。

 

嫌な気持ちになったら、ぜひ無駄にせず判断材料にしましょう。

あとはそっとスマホを置いて、忘れましょう。

嫌な感情は、伝染してしまうので。

 

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選ぶことは、生きること。

自分の、家族の、または誰かの未来につながりますように。

www.patagonia.jp

名前に惑わされますが、大人でも結構読み応えのある本です。

  • 国民審査って何を審査するの?

そして、同じ投票でも目立たない話をもう一つ。

 

衆院選もいまいち釈然としないのに、最高裁の国民審査ってなんだよ!?と思いますよね。

その気持ち、とってもよく分かります。

本当にこの制度、機能不全です。

 

今までに罷免された人がいないし、どうしてどうなったらどう変わるのかの基礎も誰も教えちゃくれなかった。っていうのがこれです。

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とても、簡単に言うと、最高裁の裁判官を審査しましょうってものです。

 

国会は選挙、行政も地方自治体を含め、こちらも選挙や請願権、そして司法はというとどの裁判に対し、国民の意見と違うくない?とかその意見おかしくない?と思っても言って行くところがない。

いわば、言われっぱなしで、権利を監視しようがないというのが裁判所です。

あとは内部の問題処理ということになります。

 

けれど、裁判官はものすごく強い身分保障があります。

これは、不偏不党で独立して判断できるように、なのですが、強い権限が故に、それが時折ずれていくこと、あるいは権利を濫用してしまうこともあり得ます。

 

それは三権分立を見てもおかしいよね?なんでも裁量ではないよね?ってことで、審査される場があるわけです。

 

地方裁判所高等裁判所などの裁判官にはその審査はありませんが

  1. 最高裁は司法として最高機関にあたり、
  2. 終審裁判所(最後の砦)であり、
  3. 憲法に法令が違反していないかを判断できたり、
  4. 他の裁判所の裁判官を指名する権利があったり、
  5. また裁判所の規則の制定ができ、
  6. さらには司法や行政といったものについての監督権をももっています。

こんな特別な存在である最高裁判事は、裁判官の中でも特別に強い権限で守られる存在です。

 

これは裏返せば、最高裁判事は常に、行政に偏っていないか、国会に偏っていないか、法律が憲法に合致しているか、国民の権利を侵害していないか、を判断しなければならないということです。

 

そんな大変重要な影響力のある立場に置かれた人たちだからこそ、自分たち自身を監視し審査する目が抜けていたのでは独立性の名の下に行き過ぎた判断であったり、またおかしな論理で判断してしまう可能性が出てきます。

このストッパーとなる、それこそ最後の砦の最終判断となる、最高裁の判事を審査する機会が必要となるわけです。

 

それが、衆院選と同時に行われる国民審査です。

 

ですが、

このとっても大事な審査、いまいちピンときませんよね?

いまいちどうして良いか分かりませんよね?

 

それもそのはず、大変分かりにくい制度です。

そして、目立たない制度です。

 

  • 遠慮しないで~

めちゃくちゃ大事なはずなのに、意味が分からない。と言われてきました。

その判事がどんな判断をしてきたかという裁判例を見て決めることが中心です。

 

辞めさせたい人に✖印、そうでない人には無印で票を入れます。

 

で、その✖印が多かった判事は、辞めさせられることになります。

 

最高裁の判事は内閣によって指名されます。

つまり、政治的な意図がとても強くなることも大いにありうるということです。

通常の刑事や民事とはわけが違い、上告審(地裁や高裁を経た裁判を決定をする場)であり、憲法に違反するかどうかも判断します。

 

問題となった事柄について、国会で作られた法律が憲法に合うかどうかの判断もということですので、いわば国会が直接関与していると言っても過言ではありません。

そんな所に、時の政府の意思が及ぶというのは、三権が分立しているとは必ずしも言えないことになります。

 

司法の最高機関であるのに、それをジャッジする人が内閣の都合の良い人々で固めていれば、どんなにおかしな法律だとしても違憲判決が出ることはかなり少なくなるでしょう。

 

さらに、司法からしたら逆の矢印である、国会の問題について司法は口を出さないという名の下(三権分立を逆手に取った不干渉)であれば、判断することすら回避するようになります。

 

だからこそ、身分保障(特別な場合以外は辞めさせられないという保障)があって、国民審査で辞めさせられるという緊張感もなければ、国民の意思とどんどんかけ離れた判断をしていくこともありうるのです。

 

偉いから、賢いから、で全部任せるのは大変危険です。

国会が動かないとき、動かすこともできます。

時代や世の中の動きに対応して、国会に先んじて判断することもできます。

 

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そんな、分からないのに辞めさせるだなんて…なんて言わないでください。

だって、主権者は私たちなんですから。

 

権利がめちゃくちゃあります。もったいない!遠慮しないで!!と思うのです。

 

国民には主権があります。

最高裁であろうと、議員であろうと、最終決定権は国民の手にあります。

 

強さでいれば、権力を振りかざしブンブンと乱暴に振る舞う人々よりもずっと強力なのです。本来。

 

けれど判断がしづらい、、

政治家の様にテレビなどであまり見ることもないし、判断の基準が分からないと思います。

露出が少ない分、判断は判決を基にするしかありません。

けれど、その間の最高裁判決なんて、よく目を凝らしていないと知らないし、忘れますよね?

 

  • 分かりやすいサイトができてました!

で、大事なのはここから、なんと今までこんなまとめサイト無かった!と私が叫んだ(知らんがな)ありがたい基準が出ておりました。

 

それがNHK最高裁の国民審査特集サイト2021(そのままだわ)です。

面白いのでぜひ。

www3.nhk.or.jp

何がと申しますと、国民審査とは何?から、わりと硬い言葉ですが簡潔に書かれており、最高裁判所とは?審査のやり方は?みたいなことも載っています。

 

でも一番は、あの裁判での判断は?が見所です。

 

一票の格差と、夫婦別姓についての先日の判断とを例に、その時対象の判事はどんな判断をしましたというのが、一目瞭然です。

 

面白いのは、人間なので案外出す判決に一貫性があるということです。

どちらも認めない人、どちらも認めようという人、他の意見もあるよと言及するなど、その人となりも分かる感じがします。

 

大事なのは、判断と共に意見を言っているのか、または丸っとそのまま合憲と言っているのかというのは、かなり意味合いが違うということです。

 

国会の裁量に任されるべきで云々というのは裁判所の常套句です。

つまり、その話に私たち入りたくないよ~という弁明です。

これを続けて出されることが、割合と多いのが最高裁判例

 

アグレッシブな、意外と市民目選じゃない?!みたいなものがほとんどないのも特徴です。

 

めちゃくちゃ保守的、だから違憲判決を出すものがかなり少ないのです。

それが、違憲と言ったり、違憲状態だと言ったり、今は合憲だけど…と条件を付けるのは、珍しいともいえます。

 

そんななかなか動かない最高裁、ずっと変わらないのは、国会の判断でとか、国民的な議論が先よとか、言っているのはちょっとやる気ないでしょ?に私には映ります。

 

余談ですが、法律の仕組みがないから~みたいなことで実質判断しなかった判例を見たときには、最高裁よお前もか…みたいなげっそり感がありました。

 

動かない、大体判断という判断をなかなかしない、分かっちゃいるけど、がっかり感は毎回ある私です。

 

サイトの話に戻ります。

最高裁 裁判官の顔ぶれでは、詳しく担当した判例とどういう判断をしたのかが見られます。

顔写真をクリックすると出てきます。

 

面倒くさくて分かりにくい制度ではありますが、かなり大事な問題を扱っています

また、分かりにくいようでいて、身近な話も結構あります

 

夫婦別姓をずっと訴えておられる、サイボウズの青野さんのツイートです。

ちなみに、一人一票を大事にする際も、この提示案とほぼ符合しました。

 

 

どれが絶対ではなく、ご自身の考えはどうかなという考える材料にどうぞ。

決めたら、名前たくさん憶えなきゃ!というものありますね(^^;)

 

判断する基準に是非してください。

以下ページでは、分かりやすい動画もありました。

最高裁判所の裁判官と国民審査 | NHK for School

 

ずっと国民審査国民審査と言い続けてたので、このサイトに何か感動すら覚えました。

興奮と共にお伝えしたく、書きました( ̄▽ ̄)

 

是非、国民審査もせっかくなので、無駄にせず活かしてください。

www.huffingtonpost.jp

 

どんなに絶望しても私が投票に行く理由

新しい総裁によると、31日の衆議院選挙は未来選択選挙だそうです。


そんなことは毎回だよと思います。


前の、仕事をする内閣もそうです。じゃあ今まではなんだったのか。

当たり前のことばかりが、まるで新しきスローガンのように歩きます。

 

 

 

  • 未来選択とは何ざんしょ?

あと、未来選択とは過去を見ないことではありません。

未来は過去に立たねば、存在しないから。

前だけを見る?そんな馬鹿な。

 

検証、批判、建て直し、修正、全部なければ毎回新品の日本になるのでしょうか。

(そんなゲームのようなことが可能なら、もう少し安心ではありますが)

それまでを見ずに、未来だけに立つことは不可能です。

 

また、コロナがなかったら…みたいなことを言ったり、コロナが全部悪くしたみたいなことを言ったりもよくしますが、いやいや元から悪かったでしょ?って思います。

 

それが伝わってなかったのならば、別世界というくらいの感覚の格差があるんでしょうね。。

 

みんなが一律に大変になったと言う意味では、気づくポイントだったのかもしれないけれど。。

それにしても、どの世を見てきたら、コロナで急におかしくなったと思えるのか、想像力の乏しい私には分かりません。

 

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政権選択は、毎回争われる問題であるはずのことです。本来は。

 

それが、きっと無理、きっと変わらないと諦めてるのは、いや諦めさせられてるのは、その方が権力者にとって都合が良いから。

 

 

  • 選挙以外もあるけれど

民主主義って、多数決だけではありません。

 

選挙に行くこと、選挙まで監視してやるぞと圧力をかけること、そして何よりもここにいるよ忘れるなよ!と訴えるのが主だと私は思います。

 

昨年、ネットで話題になった問題点を元に、各自が判断してそれぞれ議員に請願したことを、不幸の手紙だなんて呼んだトンデモ議員がいたけれど、選挙に限らず請願だって、署名だって、声を届ける手段です。

 

けれど、一度ドカッと権力と言う名のふっかふかのソファに座ってしまった人にとっては、そんなのかゆくないと思っています(それでその座を揺るがされた経験がほとんどないから)。

 

だから、その座って元々あなたのものではなく、国民の声を聞いた人のものですよね?まさか終身制って思ってないですよね?

 

いつもいつまでも、座るつもりなんて冗談ですよね?って伝えるには、選挙が一番堪えるのです。

 

でも、投票権をもった人の半分くらいしか投票に行かず、どうせ変わらないからこのままで、もういいやと諦める。

 

けれど、それはドカッと座った人たちは、シメタ!とそれもあんたらの選択でしょと更に更に態度を大きくします

 

低い投票率で、かつその中でも第一党となった政党も得票率は非常に低い。

 

けれども、他よりも多かったということだけで、それが全国民の民意だなんて平気で言ったりします

 

 

そして、棄権は、選択とみなされます。

つまり、信任であるという書き換えを行うのです。

 

悔しいけれど、投票率なんてどうでも良いって訳です。

保身のためには不要だから。

 

 

  • 無効票と白票の意味

ここでよく話に上るのは、無効票の話

(最近というかわりと長い間、話に上ること自体がずっと政治不信が続いている証左ですが…)

無効票は、存在する政党や候補者として見なされなかったもの。

自分の名前を書いたり、芸能人の名前を書いたり、絵をかいたり…などなど。

 

間違えて書くと、惜しければ入れてくれたり、似た候補者が二人いたりしたら等分にして入れてくれますが、間違えすぎていたら、無効です。

 

また、入れる人がいないからと、何も書かないで票を投じる白票ですが、今の政治への抗議だ!と白票を入れる方もいらっしゃると思います。

 

無効票は有効票とは別に換算され、またその中で無効票の中にどれだけ白票があったかという率が別に計算されることになっています。

 

だから意味があると言えなくもありません。

が、しかしです。

結局は自分が勝つか負けるかの方が優先されるのです

 

少なくとも、投票率、白票率など、そこまで誠意をもって見てくれる人ならば、だいたい権力の椅子に座り続けようとはしないでしょう。

 

だから、抗議は有効票で入れなければ意味がなくなってしまうのです。

せっかく行くのです。だからこそ、意味のある一票を。

 

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  • 選挙とは選べること

私自身、今まで以上に関心が持てず、これほど行きたくないと思う選挙はありませんでした。

 

総裁変わりましたー選挙しまーす。って、何を見て信任を判断するのか分かりません。

閣僚?誰ですか?ってレベルではなく、総理?誰ですか?のレベルなんだから。

 

 

悪夢のようなならば、全然良いじゃないかと。夢はさめるんだから。

でも、今も続いているのは起きることも許されない夢、いや地獄ではないのかと思っています。ずっと。

 

野合?結構!それしか批判できないなら、その選択すら提示できないのなら、いかに国民に不誠実かを地で行くようなものです。

 

そんな自分たちは、独立独歩なんでしょうか。

選択肢が増える。私は、大いに歓迎です。

 

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だってそもそも、選挙って、選べることではないかと強く思うからです。

それを声として公に届けられることではないか、と。

 

まるで無投票みたいに、絵に描いた餅みたいに、選択制を盾に権利をぶら下げて置く様なものは、権利ではありません。

 

別に紙に書いて箱に入れたい訳じゃない。

別にポスターを見て顔がましだとか、胡散臭いとかで決めるかと賭けに出たい訳じゃない。

 

変わるかもしれない、届くかもしれない、それを思いながら、選びたいのです。

 

 

先日台湾の話の記事を読んで、ハタとしました。忘れていました。

(寄稿)珍しい日本の「一党優位」 不祥事・失政で政権交代、8年おきの台湾 李琴峰:朝日新聞デジタル

アメリカですら、イギリスですら、安定みたいな、大人ですよみたいな顔をしている国ですら、普通に政権は変わっています。

割りと頻繁に。

 

それが日本はどうでしょう。

独裁政治もある専制政治と見紛うような不変ぶりでした。

 

総理が変わっても、一党支配は変わらず。

訳が分からないお家騒動だけで済まされて、国民には何の恩恵もないままでした。

 

 

  • うんざりしても投票する理由

選挙ってなんだ。と思っても仕方ない。
それが、変わりました。

民主党政権になったから。

 

問題が無かったわけではないけれど、あれダメだったから、と元に戻す意味も分からないのです。

 

だって問題がもっと山積みにしてたのは、政権変わる前からですよね?っていう事実。

 

私はあの時思いました。

本当に変わるのだと驚きでした。

大袈裟だけど、生きてるうちにこういう選択肢を見れるのかと。


私よりも先輩たちは、きっと信じられなかったはずです。

変わらないと諦めながら今まで投票日を迎えてた筈だから。

 

あの体験から、すぐに戻されたことは諦めを強くさせられたけれど、それでもあの経験はあって良かったなと思っています。

 

変わるかもしれないと気にしながら政治を見ることが、不信感には一番の薬ではないでしょうか。

 

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  • どんだけ~

頻繁に変わるのは良くない、問題を継続的に審議できないとか、制度設計が変わってしまって混乱が起きるとか、言う人がいます。

 

政権が変わるときアメリカでは、以前はごっそり周りの職員も変わっていたようです。

それは大変なことだと思います。

 

けれど、何にも受け継がれずまっさらになることはありません。

いやむしろあってはいけない。

 

文書が残され、問題が検証され続けなければ本来はダメなはずです。

未来への遺産として。

 

けれど、周りが大変だから政権交代はね…なんて言うのはめちゃくちゃでしかありません。

誰も信じてない感じでしょ?この方が。

職員の人大変ですよねって、私たちからの忖度は必要ないはずです。

 

いやどこに気を遣っているんだって話で、それよりも自分達の生活は、未来は大事じゃないの?って。

 

政権が変わっても、問題は筒がなく受け継がれ、より必要な選択をして変わっていくのは当然の時代の進度ではないでしょうか。

 

それを止まるから良くないって、どんだけーと思います。

むしろなんでも忘れる政治家よりも、データを残すことに注力していればそんな心配もせずに済むでしょう。

 

 

  • 改革ってなんだ?

また、変わることは改革だとイコールで思われるようですが、どなたかのスローガンではないが、『ぶっ壊す』というのは後は知らないよというのでしかありませんでした。

 

立つ鳥が後をグッチャグッチャにして問題も大きくして捨てていったのは、改革だったのか。と未だに思います。

 

改革だと強く言う人も私は信じられません。

だいたい透けて見えるのは、保身だから。

そして、既得権益だと声高に言う人が、一番の受益者だと何時になれば気づくのかと思うのです。もうその手は古いよって。

 

改革って、多くの平均やそれ以下の人々の暮らしをこれ以上苦しめることでしょうか。

 

オリンピック以外何も無しと言わんばかりに他の問題をすべて消し去ろうとしたり、五輪の次は総裁選だとまるで国民の関心事はそれしかないとばかりに、ずっとその内紛を垂れ流していることも咎めることはない。

 

はたまた、文書を改竄し、必要なデータを破棄させ、嘘を嘘で固めるなど、どう転んでも正とは認められないことを本気でただすこともない。

 

それを厳しく問うことでもなく、そうした問題を議論しようとしたからコロナ対策が遅れたと罵ることが、改革なのでしょうか。


公務員の賃金だけ削り、無駄だ無駄だと叫んだ医療関連がこれほど苦境にたたされることになったのに、それすら忘れたふりをする

これが改革なのでしょうか。

 

医療関係者への人件費や財源を捨ててきたのに、困ったらそれを寄付で補なうという、おためごかし

 

これって改革ではなくて欺瞞って言うんじゃないか。

こんな大変なことが起きたのに、まだその道の途中なのに未だに社会福祉への財源を戻そうとはしない。病床も減らす。

 

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無駄を削るという甘い言葉で切り取られたのは、

普通の人々の安全と安心ではなかったのかと。

 

エッセンシャルワーカーという綺麗事を並べた日はいつの間にか過ぎ去りました。

けれど、本当にその時だけその瞬間だけ目を向けて(そんな振りをして)、あとは元通り。

前と同じように軽く扱う。

 

それまでも今だって、彼ら彼女らに助けられているのに、感謝の言葉を瞬間的に向けただけ。

わざとらしく、今まで見えてなかったよと言いたいみたいに。

 

拍手を送っても、飛行機を飛ばしても、給料は上げない。

待遇も変えない。

人間のおこがましさったらない。

 

経済が大事、with コロナだという言葉を何にでも使うけれど、それ万能薬じゃないよって何度も何度でも思います。

脅しのようにどちらか選べと言ってくるのも、おかしな話です。

 

人が健全に生きてなきゃ、withもあり得ないはず

それなのに、ある程度は犠牲にしても仕方ないと言うことは、命の選別でしかない。

 

こんな最中に、権力闘争だと開き直り、ふつうに笑っている人が信じられないのです。

預かっているのは、自分のプライドに群がった周辺の人の下心ではなくて、市民の命なのだから。

 

 

自己責任を推し進める人たちが、改革と叫べば叫ぶほど、私たちは多様性とは似て非なるものを手にするように思います。

 

基本的な人権すら、あいつにはどうかな…なんて言い出したり、それを言う人を、そうだそうだと持ち上げ出したりする。

 

そう言う構図は、ただ簡単にすぐに発信できる技術のせいばかりではなく、それを利用してきた政治によるものが大きいと思います。

 

最近、世界大戦を軸とした戦前戦後の話をよく読んだり見たりしますが、本当に同じことでずっと昔から私たちは人を分けてきたとよく思います。

歴史は繰り返すとはいうけれど、これほど進歩もなく、同じことをグルグルと愚かにもよくするなと思うのです。

 

都合が悪くなると敵を作り排除して、それを扇動して、痛め付ける。

そこにいるのはいつも、権力者の反対にいる人々です。

 

弱いと言われる、低所得者、外国人、病気や障がいをもつ人、女性、こども、性的少数者です。

 

けれど、そういう弱い立場(権力者からして)の人への対応を見ると、その国の本質が分かると言います。

美しい国も、おもてなしも、びっくりな現状はすぐそこにはあります。

 

 

  • 反面教師を忘れない

私たちは知らず知らずの内に、変わらないことを選択しています。

変われないこと、諦めること、どうにもならないこと、と信じて、苦しいはずの現状を維持する方に積極的に動いているのです。

とっても皮肉ですね。

 

それは誰かにとっては、絶望の道。

けれど、とりあえず自分の今は大丈夫だから、と。

 

選択は、できるもの。


何もないところから今まで紡いでくれた多くの先輩がいて選挙権を手にしています。

 

他国を見てもそれが当たり前ではないことは、今は割りと容易に分かります。

翻って、そんな危険とは無関係に思えて、いつ奪われるかもなんて思わないのは、たまたま今も運が良いだけかもしれない。

絶対なんてないのですから。

 

そんなことが起きないようにするには、やはり行使しなければなりません。

最悪を避けなければならない。

 

世界大戦を例にするまでもなく、闘い続けなければいけないと、民主主義の脆さを、私たちは近年のアメリカで嫌というほど見たはずです。

 

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問題を矮小化して、人々を対立させ、分断させ、自分達がいかに権力の元に留まるかという保身のショー、分かりやすさでごまかす大衆迎合ポピュリズムは何も新しい形式ではありませんでした。

 

歴史で何度も何度も出題されてきたはずの問いだったのです。

けれど、私たちはまたそこで足をとられ、世界が振り回されました。

あれこそナイトメアではすまない。

 

一度分断された心は、そう易々と戻らないから。

簡単に歴史は忘れるけれど、嫌悪は残り続けてしまう。

 

なんか嫌、あいつらは違う、おかしい、とずっと禍根を残してしまう。

差別や分断の根が、関係ないはずの世代に受け継がれてしまうのは、こういった負の空気が残るからでしょう。

 

 

  • 投票しようが言えるまで

投票をしようという動画が話題になっていましたが、ただこれを言うだけにどれだけ時間がかかっているんだろう…と呆然としてしまいました。

 

youtu.be

芸能人だから、事務所の関係でスポンサーの問題もあるでしょうが、それだけじゃない。

 

嬉しい動きではありますが、これだから政治の話も普通にできないんだなと改めて感じてしまいました。

いかに話をしてこなかったのか、いかに一部の人だけに政治を動かさせていたのか…ということにゾッとする思いでもあります。

 

すでに議席予測などというものが、まるでそうなるという未来図の様に出回っています。

これ、本当に誰のためだろうと思うのですが、私のいる選挙区もひどい有様が書かれていました。

これ、バンドワゴン効果でこれならこっちに入れとくかと思わせたり、無理だなと思わせて棄権する人を作るだけで有害でしかないと思います。

 

  • 3.5%の底力

けれど、それでもそれでも、投票に行きます。

それは、投票率、得票率がとても低いからです。

 

先日読んだ、斎藤幸平さんの人新世の「資本論」 に『3.5%』という言葉が印象深くありました。

 

それは、たった3.5%ほどの市民が立ち上がると、非暴力的手段で社会を変えるのだという研究の数値です。

 

たった一人から始まった社会運動が大きくうねりを伴って世界を席巻することは、近年ではグレタ・トゥーンベリさんの話でも明らかです。

 

小さな数に思えて、それが少しずつ広がっていく。

無視できない声になる

必要なのは、たった少しの声だったりするのです。

 

 

大多数の人が応援したから当選するんじゃない。

逆なのです。少なくても、当選する。

 

言葉は不思議で、優勢なら仕方ない、私の意見が異端なのだと諦めてしまう。

 

選挙に行く人が少ないほど、少ない数で当選してしまう人が増えてしまいます。

少数のための少数による政治に。

寝た子を起こすな、無党派層は寝ていろと言われる理由です。

 

だから、どんなに劣勢の人に投票しようと考えていても、まぁいいかと放棄しないで入れようというお誘いです。

 

 

主権者、私たち。を思い出すために。

生きていますよ、ここにと伝えるために。

政治家や官僚たちに、知らせるために。

 

投票しましょ。本当に。

未来のために。今を生きるために。

 

namakemonote.hatenablog.com

分かりにくい!期日前投票と不在者投票、郵便投票、在外投票などの違いと問題点

選挙のプロみたいな方以外は、おそらくあんまり知らず、あんまり身近ではない投票方法について、何だそれ?と関心だけが昔から強かった私が、独断でまとめてみました。

 

簡易的なまとめで、全てを網羅しているわけではありませんが、

『あぁ!面倒!』と言いながら訳が分からなくなった方、よろしければもう一度一緒に面倒!!の正体を見てください。

そして、一緒に面倒くさい!!!と叫びましょう(/・ω・)/

 

長いですが、よろしければお付き合いください。

今までたくさんの、先人たちが声を上げ続けて変化してきた制度、この面倒で問題が山積みの今の状況もいつか変わると信じています。

 

通常の投票日に行って行う投票以外の方法を挙げています。

 

まず、期日前投票は、かなり一般的になりましたが、比較的新しい制度なので、上の世代で投票日に投票に行くのが通例だった方々は、不在者投票と呼ぶ人がまだいるように思います。


あくまでも、不在者投票とは別物です。

(もっと細かく言うと、以前は同じものでしたが、利便性と投票率アップなどのため別になったという経緯があります)

 

期日前投票は、投票日の前日、今回なら30日までに事前に投票ができる制度です。

時期が前倒しで行われるだけで、ほぼ投票日に投票するのと変わりません。

 

投票箱は投票日まで開けられることはありません。(期間中引き続いて同じ箱が使われるようです)
よくテレビなどで出てくる期日前投票者数というものは、受付のカウントによるものです。


今は期日前投票は、投票時間も延びて夜遅くまでや、駅前やショッピングモール、大学内などでも投票できるところが増えてはいるようです。


印象としては国政選挙の場合は、期日前投票の方が当日よりも色んな所で投票できる感じがします。

多くの場合は市役所や区役所、公民館や駅前の公的施設が主でしょうか。

 

 

一様、形式的なもので当日に行けませんよという宣誓書が必要です。

 

この宣誓書の影響で、地域によっても異なるでしょうが、私の住むところでは、以前はまるで審問を受けるように椅子に座らされ理由を問われました。


何だか悪いことをしているように、「えっと…学業です…」と自信なさげに答えることの心地悪さったらありませんでした…。


投票所に入る前に書いた紙を渡したのに理由を問われ、そしてそれを係の人が無駄にプリントしたら、ようやく投票用紙をもらえる形でした。


今は審問形式が簡略化され、投票券の下部分に(地域により違うかも)部屋の外で理由に丸を付けて日付を書いて、それを受け付けに渡す様になっています。

 

もちろんこれも、各市町村などで違いはあるとは思いますが、大分利用者が増えたことにより簡易になってきたところが多いと思います。

 

そもそも、期日前投票は、投票日に投票できない人が対象と言われていますが、別に仕事や学校に限らず、その日は買い物や遊びなどでも良いし、投票日は出掛けたくないでも、寝て過ごしたいでも何でも理由は良いんです。

 

だって自分の権利ですから。

棄権する人には、何で来なかったんだ!と選挙管理委員会から聞くなんてことがないように、考えれば当たり前のことなんですけどね。

 

誰にも咎められる必要もないし、弁明する必要もないし、バレるなんてこともありえません(ただすごく正直に答えると面倒なことになるかもしれないので、投票用紙をもらう際に書く欄はあるので、適当な理由を応用をしましょう)。

 

今回は特に、コロナの影響で密にならないでとのことで、期日前の活用を国が呼びかけています。(選ぶ時間は短くなってしまいますが…)

 

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これに対し、不在者投票は、投票日にも基本的に期日前投票の期間中にもその地域に居なくて投票所へ行けないという人向けのものです。

 

出張、旅行、帰省、あとは住民票を移してないとき等も対象です。

ちょっと面倒ですが、申請すると今いる地域の投票所で投票が可能になるものです。

 

数年前の参議院選挙で初めて、不在者投票に挑戦したので、やり方等は別にまとめました。

namakemonote.hatenablog.com

 

この不在者投票が、扱う投票方法の中では一番といっていい曲者でして、分類がまぁややこしい!そして不親切!という具合です。

 

上記の、出張などの場合と書いたのはかなりアバウトな例でして、一番に列挙されるものですが、実際はこのほかの分類が細かく分かれています。

 

 

ちょっと嫌になってきましたね…ここいらで一度

『ぁぁぁぁ、意味わかんねーー!』と吐き出しておきます。

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この、めんどくさーい分類等細かな情報は以下の総務省のHPをどうぞ。

総務省|投票制度

 

 

実は、不在者投票は一種類ではありません。

病院や施設にいる方を対象とした病院などで行う不在者投票というものもあります。

 

このあたりから区分や対象者がすごく複雑になりますが、名称はどれも不在者投票という名に統一されています。

 

大きな病院など都道府県の選挙管理委員会から指定された病院や施設にいる人が対象です。

自分やご家族がいる所がどうなのか、というのは都道府県や選挙管理委員会のHPで調べるか問い合わせる必要があります。

 

ただし、これはかなり一部の例でその指定もずっと行われているものでもなく取り消しなどもあり、変更することもあります。

 

権利の行使という意味では、皆が使えるようにというのが基礎であるはずですが、国からはそういった働きかけは行わず、施設の自由に委ねられます。

 

この指定に至るまでには、入院や入所している方からの要望や、施設側の設備により申請が決定されるという事情があり、かなり大きな施設か、投票をする人がしたいです!と手を挙げて一定数存在する場合以外は認められないというのが実情のようです。

 

実質、施設長の判断により可否が決められるというものです。
つまり、権利を行使するかどうか勝手に判断されるということです。

 

以下総務省の報道資料ですPDFファイルです

https://www.soumu.go.jp/main_content/000229611.pdf

 

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ただ、この限定的に投票が行えるという場合もどれほど一般的かと言うと、普通は入院や入所しているからできない、あるいは寝たきりなどで施設内にも移動できないということも多く、諦めたりそもそもその制度を知らないことが大半である様に思います。

 

実際、障がい者施設や病院等でこの指定がなされて不正(職員などからの不正な指示があった、勝手に書いた等)があって、逮捕される事例や、指定自体が取り消されれ、再び指定施設になることが難しくなるという事例があります。

 

こうしたことで、ただでさえ一般的でない不在者投票自体への印象が悪くなりその手段が閉ざされてしまうという憂き目にずっとあっているというのが現状です。

 

 

またこの限られた指定施設でない場合には、郵便投票と言う方法があります。

これも不在者投票の一部です。

大変面倒な分類でややこしいですが、対象者が違います。

 

郵便投票は、身体障害者手帳または戦傷病者手帳を持った方でかつ要介護5の方のみという、すごく特例のような扱いです。

(実際は障害の部位などもっと細かい条件付きです)
またここでは、障がいが重い方が対象のため、代筆という問題が出てきます。

 

ご本人が申請して、代理の方が行う旨も同時に届けます。

そして用紙を請求して、代筆してもらって、それを封筒に入れて郵送してもらうという内容です。

 

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ここまで書いてもめちゃくちゃ面倒!というのが印象ですが、何せ簡単には投票ができません。

 

介護の軽重や障がいの軽重によって、投票所へ行くことが難しい場合もありますが、家族やヘルパーの方等が伴って投票所へ行くことが基本とされていて、これ以外は郵送での投票などは出来ません。

 

寝たきりなどではなくても、付き添いが必要であったり、仮に施設等と選挙区の投票所が近くであっても、外出が簡単に認められないときや良い顔をされないということも、十分に考えられます。

 

お願いして、付いてきてもらう、介助してもらう、といった負担がどうしても生じてしまいます。

 

また、投票所では自筆が難しい方は代筆が認められるものの、それはその投票所の職員以外は認められていません。


そのため、信頼をおけないと思っても、初対面であろうその職員へ投票したい人を伝える必要があります。

投票の秘密が侵されていると言っても過言ではない事態になります。


実際に、以前はヘルパーの方に頼めたのに制度が変わったことで、権利を侵害されているとして裁判に訴えている当事者の方がいらっしゃいます。

www3.nhk.or.jp

 

  • 例外って懇願しないといけないの?

そんなこと我慢すればと思うでしょうか。

私たちは、ふつう選挙で誰に入れるかをわざわざ口にすることはありません。
あえて人に言いたい場合以外は、誰に入れただのと言う話を見ず知らずの人に発表するでしょうか。

 

それが苦痛であるかどうかは、それぞれですが一部が我慢すれば良い、と勝手に他人の権利をジャッジすることはできないのではないでしょうか。


少なくとも当たり前に権利を手にした私たちから、それをそれくらいと切り捨てることほど傲慢なことはありません。


また、自由なはずの意思を表現することすら、人に頼まねばならないという不自由さ。

へりくだって、お願いしなければ手にできない権利は、権利と呼べるのでしょうか。


みんな同じ様にあるはずの権利。

奪われることなど想像がつかない権利。

 

面倒だから、分からないから、知らないから、どっちでも良いから、と放ったものが、ある人には手にすることも難しいものだとしたら…。


棄権することも権利ではあります。

けれど、行かないことと投票できない人がいるということは別の問題です。

けれど、同じ線上にある問題です。

 

 

下のリンク↓は、SFの小説として寄稿された文章ですが、郵便投票や代理投票、についての視点が入っているものです。

 

未来の手段としてと考えると、選挙とは投票とはと立ち止まるきっかけになるかもしれないなと最近心に残った文章です。

www.asahi.com

 

今回は感染した人が投票できるのかという話も問題となっています。

実際、これほどの面倒を通り越しても投票しよう!という元気が残っているでしょうか

また、大事な権利を守りますという気概が、国にあるでしょうか。

 

陽性ではなく、疑いのある方、あるいは、病気や障がいで感染することにすごくリスクがある方、は外出して投票へ行くということが叶わないこともあります。

 

ただでさえ、超高齢社会と言われる現代。

誰もが障がいや病気を持つことは予想される未来です。

今までの普通の想定でこれからも運用されるとすれば、もっと不自由を感じる人は増えてしまうでしょう。

 

これは、今誰かの不都合で、不自由でという話に思えても、誰にでも起こり得て、誰もが不利益をこうむる可能性が十二分にある話です。

 

みんな年老いるという未来は、確実にやってくるのです。

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  • 外国からなら在外投票もあるけれど

さらに、外国にいるときには在外投票という手段もあります。


これは、今現在日本にいない方で選挙権を持った方が外国で投票できるというものです。


在外選挙人証が必要で、在外選挙人名簿というものに登録しなければなりません。

これらの申請を行った上で大使館や領事館または郵便で行うものですが、日本から外国に行った直後3か月は登録自体が認められず、転記に時間がかかります。

 

これがため、今回のバタバタな選挙日程ではすでに犠牲がでてしまっています。

www.huffingtonpost.jpこれでいいのか…本当に…?と思いたくなります。

 

在外邦人といって別枠で捉えられてきたものです。

それまでは投票すらできませんでした。

 

それが、裁判の後に法改正され国政選挙(衆参の選挙)のみ認められるようになり、こちらもまた裁判の後地方自治体の選挙も認められるようになりました。
これも長く時間がかかったもので、最高裁まで争われて決着したものです。


ですが、まだ問題はあります。
それは最高裁の国民審査(衆議院選挙の際に行われる最高裁判事を罷免できる権利)は認められていません。


同じ選挙権をもつはずなのに、住所で分けられてしまうというのは差別であるとして、今現在も争われています。

www3.nhk.or.jp(大法廷でとのことなので違憲判決がでそうな感じではあります)


数が多くはないからと、軽視されてきた問題です。


つまり、声をあげていなかったら未だに外国から日本のことをどれだけ考えていても投票ができない状況だったかもしれないのです。

 

  • 公正さといえど…不便すぎる…

いや、スタートはきっと、公平に公正にってことでしょう。

そして、考えうる例外を列挙してみたといったところでしょう。

その時の立案者を含めそれなりに議論しただろう人たちの、『ふつうや常識』から出されたものだろうとも思います。

 

それにしても。。ですよ

不在者投票しかり、郵便投票しかり、はたまた在外投票しかり、どうしてこうも不便で、主権者である私たちが、お願いします。受けさせてくださいと言わねばならないのか。


どうしてこうも、与えてやっていると上から目線を向けられなければならないのか。

 

ここで、そんなに有難みを感じねばならないのか…だとしたら、という想像を飛躍させてみました。
投票できるありがたみは、いわば、生かされてる!というありがたみに似ているとふと思いました。


それは、長年の闘いで選挙権を勝ち取ってくれた先人たちへの感謝、

投票する日まで生き延びれましたという感謝、

そして権利はあれど行使できないという権利を奪われている人々がいる中で、これを当たり前に手にしていることへの感謝と申し訳なさ

そう言ったものではないかな。というところで止まりました。


だから、別に投票させてくれてありがとうと国会や行政や司法に言うことでもないし、職員の人に私を選挙人と認めてくれてありがとうと言うことでもありません。


世界の投票の公平さを考えたり、基本的で当たり前なはずの権利がいかに軽視されているか、奪われやすいかを考えるだけであって、制度への感謝は私はありません。

 

こんな現状を考えてしまい、最近はいつも選挙の度に、怒りと悲しみとやるせなさと申し訳なさが入り交じってしまいます。


制度は人のためにあるはずで、行使できることが特別なことであってはならないし、それが人によって差ができたり、行使することに誰かの手を煩わせて…なんて後ろめたく思ってはいけないはずなのに。


どうして簡単に奪うのだろうと。

どうして他人が被っている不利益をこんなにも冷淡に無視できるのだろうと思います。

 

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  • これだけ面倒…だからこそ!

こんな憂き目にあっている面倒極まりない選挙権。

だから、いっぱい悩んだら決断したら、その後は堂々と投票しようと思います。

 

そして、新たに選挙権を持った人、そろそろ選挙に行ってみようかなと思っている人、まだ選挙権はないけれど興味はあるという人、そういう人にとっても、悩んだら堂々と選択して堂々と投票してほしいなと、偉そうではありますが思っています。

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選択して、声をあげなければ、声を奪われている人たちにも顔向けできないから。

権利は堂々と行使する。

みんなが生存するために。私はそう思っています。

不在者投票やってみました。気を付けるべき点も

総裁選であれだけ騒いでいたのに、決まった途端に選挙に突入しましたね。

任期のためとはいえ、突然のことで国民としてもまた選挙の準備をする市役所等も、みんなてんやわんやしている感じがします。

 

少し遅くなりましたが、不在者投票を数年前に体験したのでそのやり方を記したいと思います。

 

 

私自身、情報があまりなく手探りでどれが合っているのか、不必要なものなのかの判断も、少ない情報ながら色んな自治体のHPなどの情報をかき集めて比べつつ行いました。

 

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様々な事情で、自分の住んでいる自治体や住民票がある自治体で今回の選挙の投票ができない方がいると思います。

 

ことばは知っているけれど、やり方が分からない、詳しくは知らないという方でお困りの方がいれば、この投稿が何かの役に立てれば幸いです。

 

私の場合は、二回目の正直でした。

不在者投票を行う前にも機会があったのですが、やり方が分からず、急遽選挙のために自宅へ急いで投票時間ギリギリに帰り、投票したということがありました。

 

※※不在者投票には実は、何種類も分類があります。

かなりややこしく、また詳しく知っている方も多くないのが実情です。

以下の方法は、私が体験した帰省先からの投票方法です。

ご留意ください。

(以下便宜的に、『不在者投票』としています)

その他の種類の不在者投票については、別にまとめています。

 

namakemonote.hatenablog.com

 

これに対し、不在者投票は、投票日にも基本的に期日前投票の期間中にもその地域に居なくて投票所へ行けないという人向けのものです。

 

出張、旅行、帰省、あとは住民票を移してないとき等も対象です。

ちょっと面倒ですが、申請すると今いる地域の投票所で投票が可能となるというものです。

 

ただ期日前投票の期間に行く必要があるので、余裕をもって行う必要があります。

書いた用紙は、投票所から郵送してもらいますので、書いた後は投票箱に入れる代わりに封筒に入れるという感覚です。

 

しようかなと迷っている方ここでは、とにかく早く!がポイントです。

下にリンクを貼った中央大学のページによりますと、大体3日前までの投票が良いとのことです。

 

また、注意書きとして私が以前貰ったものには、期日前なので前日までが対象ですが、それを自分の投票する自治体の選管に送る必要があり、『開票時間までに届いてなければ無効』という無情な言葉が書かれていました。

 

また細かいところを言うと、他の投票用紙と一緒になるまでには封筒を開封したりという作業があるので、到着という表現がいつかは微妙です。

 

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期日前と言いながら言ってること違うじゃん!と思いますが、実質は前日に投票所へ行っていたのでは間に合わない可能性もあります。

ぎりぎりを考えても2、3日前までの投票が無難です。

 

それを逆算すると、全然時間が足りません!というかこれに限っては公示よ遅いぜ…なんて思うくらいです。(公示後の受付です)

 

そんな具合で、ちょっと面倒くさいです。はっきり言って。
そして、待ってる間やきもきします。ご注意を。

 

地域によって、また郵便事情(今月から土曜配達がなくなったことにも注意)によっても、差が出てくるので、可能な限り余裕をもって出来るだけ早く申請してください。


滞在地ではなく、投票券が配布される住所地の自治体のHPより申請書をダウンロードして、印刷します。

プリンターが無いときはコンビニへ。

 

私はこのとき、ファイルをスマホに落として通信させようとしたらうまく行かず、二件違うコンビニを回った後、もう一度ファイルをフラッシュメモリに移し変えてようやくプリントアウトできました。

 

ネットワークに接続できないこともありますし、慣れていない方は是非スマホ以外の外部にファイルを持って行きましょう。

 

そして、最近はコロナの影響でコンビニのイートインや椅子は座れなくなっている場合もあります。

プリントした紙にその場で書いてやろう!なんてことができないと思って、一度持って帰って書いてまたポストへ行くという手間が必要です。

 

書く部分は本当に大したことないです。

名前は仰々しいですが、形式的なものなので、住所等を埋めるだけです。

 

切手や封筒もお忘れなく。

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これを投函してから、約1週間かかると思った方が良いです。

 

私は数年前に利用したときは、土日をのぞき5日かかりました。

参院選だったと思います。

 

今回は、スケジュールが急なこともあり、どこの役所もバタバタです。

時間の余裕はこちらも向こうもあまり無いと覚悟の上、出来るだけ早く申請してください。

 

レターパックプラスで受け取りましたが、書留のところもあるようです。

これは基本的に手渡しなので、在宅日なども気をつけてください。

 

  • 開封厳禁のは絶対です

さらにさらに、受け取ったらすぐに中身を確認!!

 

候補者等の用紙と投票所へ持っていく用紙、それから注意書など一式が入っています。

開けるな!とある封筒は開けてはなりません。これ絶対。

 

注意事項を確認したら、地域で該当する投票所へ。

 

期日前投票の会場と同じ場合が多いので、大都市で無い限りは大体市役所や区役所だと思います。

 

今居るところから投票所までが不便なこともありますし、時間的な余裕がないこともあるので、こちらもしっかり行き方や時間を調べておきましょう。

 

  • いよいよ投票…見られてる…?

そして、後は投票所へ。

あとは係りの人の指示に従えばOKです。

 

ただ、私がした投票所は不在者投票なぞする人がほとんどいなかったようで、投票所でも右往左往しました。

 

担当する係の人が呼ばれる→説明される→投票用紙をもらう→書く→封筒へ自分で入れる→係の人へ入れましたと知らせる→封筒を渡す→終了です。

 

このとき、少し遠巻きから(書いてる内容はもちろん見られません、ちゃんとやってるなーと確認されている感じで)職員の方に見守られて記入し、変な緊張もありました。

 

最後までその人が付いているので、特別感はわりとありますし、私のように不安感が強い方は終始ややドキドキしてしまうかもしれません。

 

選挙は公平のために自分の名前を書きませんが(投票の秘密)、不在者投票の場合、投票用紙にはもちろん書きませんが、封筒には記名します。

 

郵送されて、ちゃんと開封してみんなの分と混ぜますよという性善説(?!)の元に渡す必要があります。

見られたくない!が普通でしょうし、抵抗が私もありましたが、方法は他にありません。棄権以外は。

 

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なので信じて、秘密選挙のはずなのに…とぶつくさ言いながら甘んじて受け入れました。

これも変えてほしいなと思う点ではあります。

 

封筒は私が封をして、投票所の人によりさらにその上から封筒に入れて住所地へ送られます(向こうにお渡しして送ってもらうのでこれ以降はノータッチ)。

 

きっちり固く閉ざされたと思って渡す以外はありません。


そうして、お疲れさまでしたと言われるか(言われないか)分かりませんが、このやきもきした一手間かかった投票が終了します。

 

はっきり言って面倒です。

でも、ああこうして遠方でも権利を行使したんだな私という達成感は味わえます。

あと、棄権しなくて良いという心の平穏のためにも良いはずです。

 

なかなか体験しない行政ってやっぱり面倒だなという実情を知るのも、たまには良いかもしれません。話のネタにでも。

 

間に合う方は是非!!選挙権をフルに活用してください。

 

やや分かりやすいものに、中央大学のページがありました。

不在者投票 | 中央大学

 

また、めんどくさーい分類等細かな情報は以下の総務省のHPを。

総務省|投票制度

投票の流れについては、総務省のページからPDFで確認できます。

一度見ておくと大体流れが把握できるかもしれません。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000530483.pdf

 

 

五輪はやっぱりどうしても観れない

オリンピック開催が強行されて、もう数週間経ちました。

もうすぐ閉幕だそうです。

 

本当に分かりきっていたことではありますが、最近さらに感染者数が急増しています。

けれど緊急事態なんてなかったかのような人手…人流は減ったなんて言ってた人は別次元からの見た様子でしょうか。

 

最低限で折り合いをつけた(IOCとスポンサーとがかな?)無観客での開催となったことで、お祭り騒ぎ(外国から来たメディアの一部はあるようですが、これも以前から対策がぬけぬけだと言われていましたね…)をしているということではないはずなのに、五輪はいいけど飲食店はだめ、という二重の理論を使っているからなのか、人手はほぼコロナ前に戻ったようです。

 

 

そんな様子は、やや『コロナ?そんなこともあるね』と思いながらも、普通に移動して暮らしている感がします。

ただマスクを着けているという新しい日常を取り入れただけで。

 

そんなことですから、変異株と言われる感染力の強いウイルスに変わったことがさらに拍車をかけて、感染者数は増える一方です。

 

唯一の解決策とばかりに宣伝されていたワクチンも全然行き渡らないまま、結局オリンピックは始まりました。

 

 

『選手たちは悪くない』、『始まったんだから応援しよう』などなど。

多くの方は、モヤモヤしながらもオリンピックが開催されたことでそれを受け入れだしたというのが、現状ではないかなと思います。

 

厳しい顔で感染状況を語っていても、さて次は!と人が変わったようにオリンピックの話題をするニュース番組の様に、どこを見ても実はお祭りをしています!と脳に叩き込むかの様に流れる一日中やっている特集番組の様に。

 

何だか分からぬまま流されて、受け入れて、あれ?これまでのゴタゴタは何だっけ??と夢でも見ているかのような気持ちになって。

 

ですが、私は微塵もオリンピックが観られていません。

応援しようという気にもなれず、応援しなきゃというのもおかしいなという思いもして。

目に入れること、耳に入れることが、辛いです。

 

オーバーだと言われるかもしれませんが、そんな簡単に切り替えられないし、なかったことにもできない。

通り過ぎれないのです。

 

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先日も帰国を拒否した選手がいましたが、帰国拒否すなわち難民を希望した人がすでに3名。

これだけでも世界の今の異常さが分かる気がします。

けれど、そこは日本。難民申請が針に糸を通す方がたやすいほど通らない国です。

入管の実態も重ねて思うと、他の国で開催していて、あるいはほかの状況下でやはり違う国で声を上げていたならば、難民として受け入れてくれたかもしれないなと思っていました。

 

香港にしても、ミャンマーにしても、そしてベラルーシにしても、人として生きるということが簡単ではない状況の人々が多くいます。

 

そしてこのコロナ禍。ただでさえ困窮していた人々や政治などの情勢がもっと困窮していると捉えることは、容易い事でしょう。

さらに、はじめから言われていたように、ワクチンは本当に一部の国にしか流通していないという実態もあります。

 

この状況があまりにも、みんなが信じていれば救われる!みたいな空気が日本にあるように思えてなりません。

死角にいて見てないだけで、本当はディストピアにいるんじゃないかと思えるのです。

 

戦時中に日本が五輪に参加しないことがありましたが、その時には欧米でも大変な状況下があったわけですが、強行されました。

もちろん今とは比べ物にならない規模であり、商業的でもないでしょうし、参加国や人口も少ないものですが。

 

その時、その中で大会が行われるということに、参加国や開催国の人々は裏切られたような、見捨てられたような思いをしたのではないか…などと思いがよぎります。

 

 

日本でも、経済的にも精神的にも追い詰めらている人は大勢います。

感染して亡くなった方も、闘病している方も、またご遺族の方々も、そしてそれを支えている人たちも。

その人たちに目を向けず、復興がいつのまにやら人類がコロナに勝った証という文言にすげ替えられたオリンピック

 

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私たちは人類ではないのかと、医療現場で奮闘している人々をあざ笑うようなやり口に、これほどまでかとやはり毎日絶望感をおぼえずにいられません。

 

取ってつけたように『エッセンシャルワーカー』とたたえていた言葉は、今年になりほとんど聞かれなくなりました。

 

病床数は少し増えても、そこで働く人という母数は、ほぼ何も変わっていないのに。

何かが刷新されたかのように、今までとは違うという体で動いていることに、自分だけ悪夢を見ているのかという思いになります。

 

医療機関に限らず、お家で介護している人、子育てしている人、生活の基盤を支えてくれているすべての人々に、この今でどうして顔向けできるのかと思うのです。

 

今までも、開催中に紛争地があり、名ばかりの停戦期間があり、形だけの希望を押し付けられた国や地域に住む人々は大勢いたと思います。

 

そんな立場にいたら、良いことをしているんだと特に欧州の特権的な目線や慣習で作られたものを、目にすることもできず、もちろん楽しんだりすることもできずにいたのかと思うと、本当にどれほどの気持ちだったのだろうか…とこの今思わざるをえません。

 

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そんなことを考えると、この一部の企業の利益のため、そして一部の人々の名誉のために行われる大会をどうして、受け止めなければならないのかと思うのです。

 

コカ・コーラについてはこんなこともあり、かなり唖然としました。↓

結局向いている先は国民・市民ではないなと。

スポンサーとはそういうものというのは、こんな莫大な税金をかけた『人類のための大会』でなら通用しないと思います。ただの圧力と忖度。

飲み物の量は制限、スポンサー企業の商品推奨… ドタバタ続きのカシマスタジアム五輪学校観戦、大丈夫? | 子育て世代がつながる - 東京すくすく

 

ごくごく一部の人しか、観戦する状況にないのではないか、応援や楽しみにすることなど優越した者から見た理想ではないかと。

 

 

応援せねばならないというのにも違和感があります。

マイナーなスポーツもありますが、多くの競技は世界大会が他にも開かれていて、今までのオリンピックにしかないと言われた有難さはかなり薄まっているように思います。

 

また、プロスポーツが中心となってしまい、アマチュアのための大会ではもはやなくなってしまった。それにより結果、スポンサーがついたより稼げる選手だけが出場したり、メダルを手にすることになりました。

 

ここでも地域や国の格差がついてしまい、オリンピック憲章の平等がかすんでしまっています。

設備が整わない、環境が十分でない、選手はずっと不利なままです。

 

そして特に日本はメダル至上主義で、個数ばかりを追ってドラマに仕立て上げます。

本当に一人一人に敬意を払うなら、順位やメダルの色ばかりを問わないはずではないでしょうか。

ナチス時代につくられた、国別の入場やメダルの個数を競うそれも、国威発揚を狙ったもので、それをなんだかんだと言い訳しながら、嬉々として受け継いでいるだけなのに。

 

大会が開催されていることに意味があるというのならば、いつもはスポットライトが当たらない競技を中心にどんどん報道すればよいのに、それもほとんどしない。

視聴率もかせげないから。結局プロのための大会でしかない。

 

危惧していたパラリンピックの時期に中止がささやかれていますが、パラリンピックだって本当にここ最近ようやく報道が増えましたが、大会前後だけに取り上げるのでは全然足りない。

生涯獲得する金額もオリンピアンとは比較にならない現状があります。

こういう競技にこそフォーカスししなければなりません。

スポーツの力や意義を神聖化していますが、それならこういうアマチュアへの目線が必要です。

 

また、性差別の問題も残ったまま。

その都度恣意的に運用される大会の基準とやらが、自身の憲章にいかに矛盾しているかというが、滑稽な芝居を見ているような気持ちにさせます。

 

 

選手は責めを負うはずでは元来ないけれども、結果として出場が特権や優遇された、その人たちだけのために色んなものが犠牲にされたという事実になってしまうというのは、大変悲しいことだなと思います。

 

責任という意味ではないと私は思いますが、こんな状況下で特別なことをするという事実は変わらず、議論をもっとしてから臨むべきではなかったろうかと思います。

少なくともそのボールは出場する選手の元にあったと思います。

だからせめて、選手の方々には発言をしてほしいなと思いましたが、こんな世の中(特に日本)では言えないのでしょうね…残念に思います。

 

 

そんな連日のように続く、テレビや新聞での報道はもう目をそらしてもそらしても目に付くような状況で、今テレビではニュースとは名ばかりで呆れるほど一日中(本当にテレビ欄が全部埋まっていることもありますね)五輪関連をしています。

世の中では報道することが何も起こって無いかのような錯覚にまでなります。

 

よく考えれば、メディアはスポンサーです。

すぐにアメリカのテレビ局が~という話になりますが、それを買って流す選択をしているのは日本の企業ですから。

 

テレビなどでも、バラエティでもなんでも視聴者に向けて放送しているから、そういうニーズを捉えているものと考えがちですが、結局は広告主の顔色が一番大事。

 

最近コンプラが厳しくて~なんていうけれど、言い訳に過ぎないなと感じます。

作らせる人、そして作る人の感覚がもう何十年も変わらないから、差別発言も、女性蔑視も、全くなくならない。

それを時代のせいで済まそうと言うのだから、頭を抱えるしかありません。

 

見向きもしなかった、無視してきた存在にようやく目を向けだしたということに過ぎないのに、騒いでいるとか、まるで声を上げた方が悪いように言ってしまう。

 

インクルーシブとか多様性とか、平等とか、平和とか、言葉ばかりがかすめることにうんざりして、具合が本当に悪くなってしまいます。

 

 

何を見せられているのだろう。

そんな思いがずっと頭を回っています。

 

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見たら苦しい。自分がすごく多くの人を傷つけている気持ちになるから。

色んな人の命や権利を、握りつぶしているような気持ちになります。

 

そしてハタと見渡して、先日真っ暗な気持ちに引きずり込まれました。

無邪気に観戦したり、感動を押し付けるテレビに飲み込まれたり、そうしている内に、これは何もなかったことになるのかと。

 

政府の思惑通り、閉幕してすぐの選挙で『見ましたよね?結果良かったでしょ?やいやい言ったけど開催できたんですから。メダルもたくさん獲ったし』というシナリオだけになるのかと。

 

またかと。

 

何でも許して、何でも流して、なかったことにして、結局変わらないねなんて言っている。また今までを繰り返すのかと。

 

そんな気持ちになりました。

 

で、そんな時にたまたま読んだモーリー・ロバートソンさんの連載が、自分と重なりました。

wpb.shueisha.co.jp

自分はおかしいのかと、これだけ頑なに思うのは変なのかと思っていたのです。

でも、許さず、忘れず、流れずにいても良いのかと思えました。

それがいつものように少数な側になったとしても。

 

忘れられないし、スルー出来ないので。いつも。

そのまま、とどまろうと思えました。

たとえノリが悪かろうと、たとえ楽しめなかろうと(もう今後五輪は楽しめないと思いますが)。

 

ダラダラと書きましたが、ただそういうことです。

スルーしない!そんな自分を嫌にならないぞ宣言です。

五輪は観れないし、目に入れたくないし、良かった記憶としても残したくない。

ちゃんと経緯を覚えていたい。今はそう思っています。

プライムデーのメガネ族のウイルス対策とマスク

昨年からスケジュールがズレているらしいAmazonのセールが始まりますね。

 

何故でしょう、毎回こうも直前にドギマギしてしまうのは( ̄▽ ̄)

 

にっくきGAFAめ!と思いつつ、全然脱却できない。というよりもうどっぷり過ぎて、沼にまんまとハマっています。

 

そして今回も、あれ買うかな…?これ買っとくか?いやもったいないか…なんて問答をひたすら脳内で繰り広げております。

多分買っちゃうんだろうな…。

 

だって、事前の買い物で1000円クーポンをすでに手に入れてしまったし。ははもれなくハマっております。

 

とってもぎりぎりですが、何か目ぼしいものがあって、今すでにほしいものがある方は、6月20日23時59分までに注文するとかなりお得です。

前回初めて知ったのですが、対象商品↓から検索して対象商品を1000円以上買うと、何故か21から22日のプライムデーで1000円オフになるクーポンがもらえます。

 

Amazon曰く、3万点くらいが対象の様です。

日本の企業かしら??みたいなのも結構含まれているのは、ご愛嬌(Amazonらしいですね)。

www.amazon.co.jp

これ本当に対象?と調べるには検索で(日本の中小企業応援)というプルダウンが出ているところから検索するのが早道です。

そして、商品ページの上部に青いバナーで『今買うとプライムデーで1000円OFF対象商品』と書かれているのを確実にチェックしましょう。

 

それ以外は、注文に進んでも表示されないので、本当に大丈夫かしら…と思いながら前回も今回も貰えましたので。

2点のみお忘れなく。

 

あと、プライム会員限定ですので、無料体験をされるか、会員期間をチェックしてください。

※詳しくは細則もしっかりチェックしてください。損をしないように。

 

私は、Amazon網から足を洗うぞ!と鼻息荒くしていたのですが、プライムデーに引っかかり、結局ようやく更新月になり年更新ではなく月更新でつながりを薄くする作戦に変更しました(出来てないとも言う)。

なので、今回もちゃんと参加できてしまいます。

 

 

ま、そんなこんなで、Amazonの誘惑が激しいですが、メガネ族の私がメガネ族の同士の方に届け~と思っている事案を少々書きます。

 

昨年より続くコロナウイルスでマスクが日常となっていますが、すでに気温が高くなりマスクがしんどくなっていますよね。

マスクもういや!と思ってもなかなか離れられません。

 

また、メガネをしているとマスクはさらに厄介だったりします。

 

それは、くもり問題。

拭いてもすぐ曇る、外してもまたつけなきゃならない…のループです。

 

パニック障害とうつ持ちなので、息苦しい問題もでっかくあるのですが、それはまた別の機会に。。

とはいえ、マスクは自分のためというよりも対外的にしているところも大きいので、大っぴらにずっと外しているなんてことは、なんとなく目線が気になるところ。

 

なので、少しでも窮屈で不快な思いを軽減したいもの。

夏だけでなく、マスク内と外気の温度差が大きい冬の曇りにも役立ったのが、くもり止めと、顔とマスクの間の隙間を埋めるノーズパッドです。

 

メガネのくもり止めは、ネットでもかなり色んなものが売られていて、どれがいいか分かりませんでした。

変なものを買うのは嫌だし…お金を出して効果がなかったらもっと嫌だし…と色々調べていて、エイ!と選んだものが結構アタリ。

 

くもり止めは大きく分けて、液体をメガネのレンズに直接塗るタイプとメガネふきクロスのように拭くタイプとがあるようです。

 

私が探していたのが冬に差し掛かったところで、コロナ禍で迎える初めての冬ということもあってか急に需要が出た模様でいろんなお店からいろんな種類が乱立しているという印象でした。

100均のウエットタイプのメガネふき(使い捨て)も試しましたが、全然効果なし。

 

以前からくもり止めはメガネ族の一部には必要アイテムだったと思うのですが、これほど皆が困った!という事態になったのは多分初のことだったのでしょう。

塗るタイプが多くあったように思います。また、見た目が通常のメガネふきクロスと同じようなミクロの糸が編み込まれたものが多かった感じでした。

 

ただ、私はメガネを洗いたいので、塗るタイプは除外。

 

名前が聞いたことある会社ということで選んだのがソフト99のもの。

検索して出てきたものを、色々見ていたら、こちらのソフト99が出てきて、そこにモニタープレゼントとあったので、応募していました。

でも、当たっても来るのはずっと先。待とうかと思っていたものの、しばらく悩んだ挙句、結局購入。

 

で、どうせならと3個セットを購入したのですが、商品到着してすぐにこの応募していたモニターが当選したため、結果4個手元に届きました。

 

失敗しても許せるなという価格で、3枚入った小さなパウチのくもり止めクロスです。

↓  ↓  ↓

くり返し使えるメガネのくもり止めクロス 3枚

 

その時は発売されて、プロモーションが始まったばかりだったようで、値段の変動がとても大きくまた品切れもあったため、楽天でセットで購入しました。

 

今は値段もかなり落ち着き、すごく手にしやすくなりドラッグストアにも並んでいるようです。

プライム会員の方や一定金額を買われる方にはAmazonの方がとても安いですよ。

 

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ネットではわかりませんでしたが、到着後、ウスッ!と声を上げてしまいました。

パウチもペラペラ、肝心のクロスもペラペラで、割とすぐに毛羽立ちます。

ところがどっこい、一袋でもかなり持ちます。

 

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パウチは薄いのですが、中で間仕切りがついていて、使用中のものと未使用のものとを分けられるようになっています。

息を吹きかけて拭くので、湿気が気になり、私は使用後は少し机にそのまま放置して、しばらくしてから袋にしまっています。

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一つに三枚のペラペラの不織布が入っていて、それに薬剤が染みこませてあります。

ドライタイプなので、乾かす時間はいりませんが、一つだけコツがあります。

 

それは、ハ~っと息を掛けてレンズを曇らせてから拭くこと

薬剤を均等にレンズに載せるためには水分が少し必要なようです。

 

そして拭き上げます。

初めて使った際は、ややムラになったので、曇らないように!と拭きすぎない方が上手くいくと思います。

 

効果を確かめるには、同じくハ~っと息を掛けて曇らないかどうかをチェックできます。

使用頻度や環境にもよると思いますが、メガネを洗わなければ、私は数日は持ちました。

メガネを洗ったのちに、ハ~っとしてみるとすぐに曇りました。

通常のメガネふきで拭いたり汚れをこすったりすると膜が消えますので、環境によっては一日数回拭くと安心かもしれません。

 

私は主に散歩に出かける前に使用しています。

使用感ですが、スジやムラなどはほとんど気になったこともありませんし、液体でもないので拭いたらすぐに出かけられます

 

ただ、数回くもり止めの効果が強力すぎたのか、夜に散歩していたら視界がゆがむことがあり、アレ??と思ってメガネを取ると、レンズの内側にちょうど雨が窓ガラスに滴っているような状況になったことがありました。

 

くもり止めをすると、レンズに膜がかかるようになるのですが、一度にたくさんつくと呼気が蒸発しにくいようで、そのままレンズが汗をかいたようになりました。

曇らないので気づかなかったのですが、夜歩かれる方は、やや注意が必要かもしれません

 

それ以外はかなり快適に過ごせます。冬ほど曇る機会はないかもしれませんが、特に不織布マスクをしていると曇りやすいですし、なんか興奮している人みたいで(^^;)恥ずかしいので私はほぼ毎日使っています。

 

 

そして、ノーズパッドはマスクに取り付けるものです。

メガネ族としては、パッドが不織布ますくに付いた曇らないマスクを一時愛用していたのですが、このコロナ禍あんなぜいたく品はなかなか手に入らなくなりました。(最近少し見かけますが)

 

あの快適性をどのマスクでも!ということで、見つけたのが、マスクで有名なフィッティからでている商品です。

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こちらも失敗しても大丈夫な価格。

こちらも冬に買いましたが、値段が安定していませんでした。

今は落ち着いたようで、気になる方にはお勧めです。

 

100均にも似たようなものを先日見かけましたが、こちらが繰り返し使えて問題ないため、未体験です。

レビューが割れていたのであまり期待せずに買いましたが、私の使い方には合っていたようです

 

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面ファスナーになっていて、ウレタンにはつかないと書かれていましたが、手持ちのやや厚めのウレタンマスクに付けて使っています。

端が少しずれた時にはたまにかゆくなることがありますが、貼り付けままマスクを手洗いして部屋で乾かしていますが、取れません。

 

 

上のくもり止めクロスほどの効果は感じませんが、クロスするの忘れた!とか今日は面倒だ!って日にはかなり便利だと思っています。

やや曇るものの、通常のマスクの状態で使うよりはずっと安心という感じでしょうか。

 

 

一度試したCMで有名なハイドロ銀チタンの布マスクとは相性が悪かったらしく、途中で落ちてきてしまいました。

DR.C医薬 ハイドロ銀チタン ソフトガーゼマスク 立体タイプ ふつうサイズ 1枚入り

↑これ↓

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使うときは、不織布が良いかもしれません。

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で、一番大事だなと思っているのは、メガネを洗うことです。

これまでは、皮脂が気になるときにお風呂に持ち込んでシャンプーついでにサッと洗ったり、面倒な時はハンドソープで洗ったり、ウイルスに効果があるかな?とセスキ炭酸ソーダをとかしたスプレーを吹きかけたりして洗っていました。

 

自分で書いて、どんだけ横着なんだと思います…。

 

レンズに中性以外の洗剤はご法度らしいということを見て、改めました。遅いけど

 

以前から知っていた、メガネのシャンプーですが、もったいないし、動物実験をしているかもしれないのでトイレタリー製品は簡単には取り入れないのですが、ウイルスという強敵を前に折れました。

 

今だけは、有無を言わずに使ってみようと。

そして、すごく久しぶりにメガネのシャンプーを使いだしたのですが、これがとっても良かった!

 

今では、散歩から帰宅したら手とマスクとメガネを洗うのが習慣になりました。

余力のある時は、それに洗顔もします。ないときは水だけで顔を洗う、もっと無理な時は自作の化粧水で顔を拭いています。

これは自分でもデカシタ!と思うほどのことです。

だるだるがしつこいナマケモノなので。

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トリガースプレーで、泡で出てくるのでレンズにすっと付けられます。

はじめはワンプッシュでしたが、今はもったいないと思いながらも、二プッシュでメガネのツルまでさっと洗っていますが、一つでかなり持ちます。

家族で使ってもすぐ無くなることはありません。

 

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最近詰め替えを買いましたが、多分4か月くらいはもちました。

で、メガネのシャンプーが先だったのですが、なんと!くもり止めと同じ会社のものであることに最近気が付きました。

 

ソフト99さんのお世話になっております。ありがたい。

 

 

 

何はなくとも、とりあえずメガネを洗うが習慣になりました。

お風呂に入る気力がないとき、髪の毛が洗えず、何だかメガネもべたついてるな…ってときにも便利に使っています。

私にはこれはかなりありがたいことです。

視界がクリアだと、何となくそれ以上ひどく落ち込まないような気持ちになれます。

そして、メガネがきれいだと体は重だるい状態でもちょっと快適です。

私たちの命はオリンピックよりも軽いらしい

書こう書こうと思って全然書けなかった。
パソコンを立ち上げて、文を考えて、書いて、書き直して、っていう手間が先に浮かんで重くなった。
 
でも。
この今の事態に、書かずにおれなくなりました。
そうしたら、思いの外メモが進んだので、アップします。
相変わらず、苦しいながらも、何とか生き延びています。
それは、本当に嫌になることも多いけど、大きなことです。
 
だから。書きました。
 
 
ワクチンよりも関心事は、オリンピックです。
何も楽しみにしているわけではありません。

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東京が手を挙げた時から、あれ?と思うようになりました。
それまでは、お祭りごとというのか、世界の人が集まる様子を観ることも、これを機に憶える国や地域があることも楽しかったのです。
 
運動音痴で、スポーツ鑑賞もそれほど関心がないのですが、世界陸上などはすごく好きですし、相撲を好きになる前は柔道が好きでした。
 
商業的で、一部の利権が渦巻き、平和の祭典と銘打たれたことが白々しく思えてからは、見る目が変わってしまいました。
 
しかしそれでも、リオデジャネイロの時は観ていましたし、こういったことになるまでは反対だけれども仕方ないことだろうと思っていました。
 
しかし、昨年世界中をウイルスが覆い状況が変わってしまってからは、五輪のために利用されるものたちが以前にも増して強大化しているように思えるようになりました。
 
私たちは何を見せられているのか。
と思えてなりません。しかもずっと。
 
一年後に延期されたとき、これくらいならば、どうせ終わっているだろうという考えが見え透いていました。
そして、悪化するばかりの状況なのに、その時のスケジュール通りに進めなければ、自分たちが滅亡する儀式かの様にふるまう様に、うんざりしています。
 
ニュースから流れる、感染者数、死亡者数。それを別世界の様に扱う、スポーツの話題。
毎日、ここはどこだろうと思わざるを得ません。
 
 
オリンピックよりも、オリンピックを自分の名声にしたい人のエゴよりも、私たちの命は軽いらしい。

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混迷を極める医療現場ではきっと、この何があっても開催させようとする空気を、情けなく腹立たしく、そして虚無感をもって受け止めているんではないかと思っています。
 
 
彼ら彼女らを一番軽視しているのは、緊急事態宣言下で追いかけまわしている外で大人数で集まる人ではなく、エッセンシャルワーカーと都合の良い時だけ括り、名ばかりの感謝を急にさせようとしているこの状態ではないのかと。
 
 
私たちは、泥舟、いや沈みゆく船に自動的に道連れにされています。いのちも生活も。
 
病にたおれた人、回復途中の人、お金がなくなった人、居場所がなくなった人、そんな目の前で倒れゆく人々よりも、オリンピックは崇高らしい。
 
目の前で倒れ、手を差し伸べられないのは、遠いどこかの誰かではなく、私自身かもしれない。
そんな一つ一つはちっぽけな命は、人類がウイルスに勝った証のために必要な犠牲といって、見過ごされるのでしょうか。
 
 
私たちは、ただただ大会のための人員や莫大な資金、そして一つ一つの手間を、それらがあれば救えたであろう人々が苦しんでいる様を指をくわえて見ているしかないのではないのです。今のままでは。
 
 
アスリートが大事だと言うのならば、聖火リレーの代替を考えるよりも、オリンピックに代わる大会でその実力を発揮できる場や機会を模索すべきではなかったでしょうか
 
 
人類にとって大事と言うのならば、命はレガシーなどではありはしないと言います。
 
助けられたはずの命は、誰かの名声に代わりはしないし、美談にもなりません。
 
 
いつものごとく、時間切れを待つばかりで、ギリギリの決断をするのならば、その時間を政治生命ではなく、本当の命のために使ってほしい。
 

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強行に開催されるのならば、私たちまでもが泥舟に加担したようになるでしょう。
応援どころか、見るものも見られないのですから。
 
世界の人々の命を賭けて、誰のためになるのでしょう。
選手のため?待ち望んでた観客のため?功績を残したい政治家、政治屋のため?
 
 
これ以上苦しむ人を目で追うしかできないのは、もううんざりです。
 
一刻も早い中止を、いのちのためにしてください。
 
 
先日、宇都宮健児弁護士が発起人となった署名に参加しました。
詳しくは下記のサイトでご覧になれます。
気になる方はご確認ください。