基本的なものまで奪われないように。鈴木義男さんに思う
これを読んでいただいているあなた、ご無事でしょうか。
何とか生きていますか。
見ていただき本当にありがとうございます。
いのちがあってよかった。
私はというもの、以前にも書きましたように、本当に相変わらず毎日ぎりぎりの波に乗って、、、
でもなんとか生きています。
もう少し、もう少し、、と思いながらなかなか楽にはなりませんが、どうか無事に過ごしたいですね。
先日、何気なくつけたEテレで大変興味深い番組が放送していました。
それは、鈴木義男という福島出身の法学者のお話でした。
どのようにして憲法が作られたのかがこの方の人生を懸けた奮闘ぶりと共にもうかがえました。
これを観て、書かねばと思いました。
つなげなければと思いまいした。
この番組に芦田均役で出演されていた、斉藤洋介さんが先日亡くなられました。
写真で見る芦田均ととても良く似ていらっしゃるんですよね。不思議な感じがしました。
頑固そうで、それでも話せばわかってくれるという味のある人物像を見事に表現されていました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
私たちは普通に生活していると、憲法がなんたるかなんて考えもしません。
それは、考える機会も必要もなかったから。
ある意味で(いや多くの人にとって)それはかなり幸せなことだと思います。
侵害された、迫害された、奪われた、という事態になっていないとうことの裏返しですから。
だから、特別な機会でもないと考える隙間がなくなっていくのは当然だと思います。
憲法と言うと、小学校などの学校の授業しか思いつかないということもあるかもしれません。
でも、これからもそれが同じ様に続くものとも限りません。
このコロナ危機とその機会をうかがう不穏な動きが心配でなりません。
世界が闇に丸ごと包まれた今を戦争と表現する人もいます。
私個人としてはこの表現はやめてほしいと強く思っていますが、状況としては大きな闇の中にすっぽり包まれて混乱が続いているというのは事実です。
今から少し前、政治なんて考えなくて良かった、権利なんて意識しなかった、もちろん憲法なんてよくわからなかった、そんな人たちが自分達の権利を奪われ、差別され、国の手足となって戦い散っていきました。
正しいと教えられたことが一夜にして変わったこともあります。
けれど、声をあげることはできませんでした。
声をあげれば、その言葉を奪われ、自由を取り上げられたからです。
自分の家族や大切な人たちにも危害が及ぶ、そう考える人もいました。
戦争の時に権力を振りかざしたのは、何も政治家や軍のトップだけではありません。
それに感化され、影響された、多くの市民もまたそれに従い、お互いをその新しく決められたルールから逸れてはいないかと監視するようになりました。
恐ろしいことに、独裁的だと言われたり、大量殺戮をしたと言われた政治指導者の中には、選挙で選ばれた人もいます。それも民主的な選挙で。
独裁は独裁という顔で突然にやってくるのではありません。
また、時として人は独裁を自分たちで選ぶことすらあるのです。
今の例では、トランプ大統領がわかりやすいでしょう。
独裁者を生んだ、かのドイツは、大変素晴らしい憲法を持っていました。
今でも進んでいると言われるような、進歩的で革新的な憲法です。
日本の憲法の条文ももここを起源としているものが多数あります。
そんな民主主義のキラキラとした憲法は、ナチスドイツの頃も生きていました。
けれど、政府によって無効とされ、新たに制定された憲法が代わるようになります。
ワイマール憲法は、その無効となった憲法ですが、今のドイツではこれが復活し土台となって生き続けています。
これは、大きな大きな敗北から這い上がったことにより、奪い返したものでした。
それは1700年代のバージニア権利章典やフランス人権宣言などに基づく、天賦の人権という原則が息づいています。
これは、人は生まれながらにして基本的な権利を持っているというものです。
自由であり、平等であり、幸福を追求することができるというものです。
当たり前と思うでしょうか。
もしくは、税金を払わない人にはいらないと思うでしょうか。
あるいは、よくない考えをする人は取り上げられるべきだと思うでしょうか。
権利は義務の対価であるという考えを持ち出す人もいます。
けれど、そんな人もまた、基本的人権が守られています。
考え方が違っても、お金持ちでもそうでなくても、肌の色が違ってもです。
天から与えられたというのはおかしいという人がいますが、これは完全にいちゃもんでしかありません。
天賦とは生まれながらにしてということです。
成人になったからとか、税金を納めたからとかいう後から加えられるものではないということです。
誰かの許可が必要でも、誰かに気に食わぬと奪われることもありません。
天賦は自然とも言い換えられます。ルソーの頃の話です。
日本はキリスト教じゃないなどとこれを誤魔化して、そんなものはおかしいと言い張るのは、人権を奪いたいという表れではないでしょうか。
また、天賦の人権は奪われません。犯罪をおかしたときには、権利の制限がかけられるものもありますが、天賦の人権つまり基本的な人権は奪われないのです。
こんなことを明文化した、ワイマール憲法がいかに画期的だったかというのが先述のテレビで思ったことです。
しかし、日本では戦争の後もこれを簡単には認めようとはしませんでした。
アメリカから押し付けられた憲法だという声がいつまでもありますが、制定には多くの日本人が関わり、日本人が細部も決定しています。
鈴木さんをはじめとした方々の尽力があり、新たに作られた憲法には今では当たり前ともいえる、この基本的人権が規定されて私たちは生きています。
たとえ正しい選挙で選ばれたのだから、その人たちのいうことを聞くのは私たちの責任なのでしょうか。
選挙で選ばれたから、勉強をして法律を作っているのだろうから、議員になったら遠い存在だから。と私たちは諦めることがあります。
けれど、本当にそうでしょうか。
どんな有名大の法学部を出ても、弁護士出身でも、本当に勉強したのだろうかという言動をする政治家は、悲しいかな山ほどいます。
また、官僚出身で法などを熟知している人だって、国民よりも、自分のためや上司のために動かないとも限らないのです。
おかしいかな?なんか気になるな?をどんどん放置すると、過去の大戦時の世界の多くの祖先や先輩方の権利と同じになるかもしれません。
日本に限らず、それで失敗した国は多くあります。
忘れたくはないのです。
苦慮した人たちがどれだけいたのか、汗や涙を流し、時には血を流して権利のために闘ってくれた人たちがいたことを。
無にしたくはないのです。
ただその時の、為政者の功績やプライドを守るためだけに画策されるもので。
見たくはないのです。
多くの命が奪われ、多くの命に程違い権利が剥奪される様を。
何でも淘汰され、何でも消え去っていきそうな今だからこそ、
忘れないように。ここに記しておきます。