なまけものーと。

なまけもので、ダメダメな私が生きていくために、つらつらと綴るブログです。今のところ、ただただ生きているだけです。※本ブログはアフィリエイトを利用しています。

Amazonプライムやめることにしました

Amazonプライムやめることにしました。

いや、正確には、年間契約をしているので更新月まで継続するほかはないようです…。

 

 

今回の問題については詳しくは書きません。

書きたくもないというのと、その一点をもって解約を決めた訳ではないためです。

 

 

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また、コロナ禍の影響もあってか、ずっと気持ちも落ち込んでいますし、体調も悪い状態が続いているため、できるだけ情報を制限するようにしています。

そのため、Twitterも見ていませんし、ニュースの記事を少し見ただけですので、私個人の意見としては、完全にあの運動?の影響を受けた訳ではなく、きっかけになったに過ぎないと思っています。

 

namakemonote.hatenablog.com

 

・やめるのも簡単ではない…

 解約について、今回知ったのは年間契約を続けていると即時解約ができないようで、また一度でもプライムを利用したら返金も受け付けてもらえないようです。

これは今回まで全く知りませんでした。Amazon内にも書かれていません。

 

私はヘビーではないとは思っていますが、定期便を利用したり数か月に一回は利用しているため、この即時解約の対象外だったようです。詳しくは出てきませんので推測するほかありません。

 

こういう、止めると言いながも使うのはズルの様な気が自分でもしますし、気持ちとしても落ち着かないので、これからは、利用する機会がまたあったとしてもその際は月額利用に切り替えを考えようかと思います。

 

とはいえ、私はAmazonはまだ使っているし、(何せタブレットはFireHDですし、FireTVにもお世話になっています。気づかぬうちにAmazonの手先になっている気が自分でもします(^^;))これからも使うことはあると思います。

最近Google離れができないのなら、Amazon離れだけでもしようかと画策はしてはいますが、まだ実現できていません。今移行中(正確には以降お試し中)ですが、それについてはまた書きます。

 

そして、ここではアソシエイトを利用していますし、矛盾している気もするし、曲がりなりにもブログをしているものとしては申し訳ないとも思います。

 

ちなみにですが、年間の自動更新をやめると、トップページなどに出てくるAmazonの『prime』の文字が青から灰色に変わりました。きっとこういうところで分けられているのだと思います。

 

 

・それでもプライム契約をやめた理由


けれど、ずっと年間契約をしAmazonにどんどんどっぷりだったのですが、プライム会員をやめることにしました。


それは、大事にしていることとかけ離れていたので、その直感を信じてみることにしたためです。


過剰反応だという人もいるだろうし、当たり前だという人もいるでしょう。


でも、積み上げられた違和感や不誠実さを無視できなくなっていました。

以前も、プライムビデオのCMで問題となったとき、私自身も問い合わせました。

けれど、コピペの対応しかえられなかった。

あくまで冷静に企業として理念を聞いたつもりですが、納得はいきませんでした。

 

そして、その後、情報漏えいがあったときも、問題がニュースになっても対外的にも顧客にも知らせなかった会社としての態度について、問い合わせました。

 

biz-journal.jp

自分の情報が漏れたかどうかも分かりませんでしたから。

その時も、的の外れたおかしい回答しかえられませんでした。

その後も一度もアマゾン側からはお知らせを発表してないはずです。

 

gigazine.net

GAFAについては特に最近警戒がされているように思いますが、それでも問題は尽きませんが、アメリカの動きも以前Facebook公聴会等でまともな質問ができる人がおらず、問題の本質も分かってなかったように、ただ一時のみ取り上げられていましたが、これもちょっと下火です。個人情報保護のための本格的な規制よりも、会社とのつながりのある議員もいると思われ、大企業の『自由』が優先されている様子です。

そして、上記記事などが示すように先方が変わる気配もありません。


こんな感じの情報の取り扱いや、利用していての細々は色々思うことがありましたが、大きくはそんなことが理由です。

 

・問い合わせの回答は…

そして、今回のことも問い合わせしました。
何度も書きますが、私なりにではあるもののあくまで冷静に、そして理性的に問い合わせたつもりですし、誰かを叩こうとか、潰そうとか、そういう意図でもなければ脅しもしていません。


そして今回は、ご意見ありがとうございます。そして長らく使っていただいている模様ありがとうございます。

みたいな、ええ?思うような明後日いや随分先の方向からの回答で、いやそれじゃない…が止まらず何度見ても意味が不明でした。


やめるぞ!と言ったこともなければ、毎回不満があれどもそれでも使ってきましたし、便利さに誤魔化されてるなとは思いながら、これでやめるのは…と思いきれない自分もいました。

 

最近は電話かチャットかをやたらと勧めてくるAmazonですが(他に問い合わせる方法に辿り着けないほど)、私の持っているFireHDのタブレットはストアというAmazon謹製のアプリが入っていて押すとAmazonのトップページへ直通するのですが、そこからページを見てカスタマーサポートへ問い合わせにすると、メールでの問い合わせ(フォームです)場面が出てきます。それも曲がりくねった所ではなく、すぐにそれが表示される仕組みです。

やたらとチャットと表示される前はこの仕組みだったと記憶しています。電話ではなく、やり取りが文面として残る方法をおすすめします。

少し前の機種なので最近のFireタブレットは違うかもしれませんが…。

これが、昔の残存としてのみ忘れられて放置されているだけかもしれません。

 

しかし、その問い合わせにも返答がないときもあり、まったく意に沿わない回答も多々あります。

先日はその繰り返しで、ひどい回答で気分がさらに悪くなりました。

何を遠慮して、何でそこまで相手が不快でないようにとか、あくまで冷静にとか、あんなに思いすぎていたんだろうと思いました。

誰かを罵倒したり、必要以上に攻撃することは論外としても、あのカスタマーサービスです。

もっと端的におかしい!と声を上げるべきだったと今は反省しています。

向こうも人間ですが、あまりにも配慮しすぎて、放置された後、たらい回しにされた挙句、非常に不快なおもいをする羽目になりました。

 

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 ・今回の事の発端について


内心はどんな差別心があろうと、どんな酷いことを思おうと、誰かを傷つけようとも自由だと思います。

心の中にとどまっている限りは。

 

けれど、それを発言する、発表する、とそれはもう無制限ではなくなります。

公にするということは、それを出した自分が責任を負うということ。

そんなつもりはなかったとか、意図してないとか、傷つけたとしたら…などという言い訳は使えないと私は思っています。

もう手あかがつきすぎているぐらい、最近これを聞きますが…。


それが、公人ならばなおのこと。

そこにより大きな影響が伴ってくるというのも当たり前のことです。


発言の責任を負うのは、発言の根拠も示すということだと思います。

それが出せないのならば、ただの妄言だし、それを使って誹謗中傷したならば、悪にまみれたただの愚かな民なのではないでしょうか。


良いときは、自分の影響力を存分に利用するのに、責められるときには、それを人のせいにして逃げたりする。

 

これもよくあると思うのは、『あくまでも私見です』とか『ちょっと思っただけ』とか『冗談です』みたいなことを頻発する流れも目立ちたいのに、責任は取りたくないという悪しき流行かと思います。

 

 

今回の問題と徴兵制の話を見て思い出したのは、昨年8月9日に戦争を煽り『今こそ徴兵制を』みたいな文言を新聞に本の広告として掲げた人たちのことです。

対談であったか寄稿か何かかで、そこに今回の発言者の名前もあったように思います。


あの日にあえて出してきた出版社が一番の愚者ですが、あの衝撃と不快感はこれからも忘れないでしょう。

 

 

・一番の問題は

私が一番問題だと思うのは、彼らの言葉や影響力を利用する企業側の責任です。


よくわからない人を、ただやたらと使うメディアの多さに辟易するし、それをまるで人気や民意とばかりに利用する、ネット界隈の一部の人たちもいます。


いくらオワコンだのテレビ離れだのと言われてても、結局まだテレビに出ているというのは、権力になるのでしょう。

そしてその矛盾や意味不明さを解さぬまま、受け取ってしまう私たちはもっと愚かかもしれません。

 

突飛なことを言うけれどエビデンスを出さない人、声高に差別や偏見をあおるのにいざ正されると逃げる人、そんな人は有識者でしょうか。学者でしょうか。


それを名前だけ使って、無反省に利用することの悪影響をもうそろそろメディアは改めないといけないと強く思います。

 

一部で熱狂的な人気の人を面白がってただ視聴率のために使うことは、誰かを傷つけたり、権利や自由を奪うことへ手を貸す行為にもなります。

そしてそれに異を唱える声をただのクレームと決めつけてやり過ごしていると、まるでそれが地位や権威のようになってしまうことも多々あるのです。

 

冴えているとか、論破とか、○○を斬るとか、言って考えもせずに持て囃していると、個人の見解は、箱を通すと、まるで多くの人の気持ちとして姿を変えてしまう。

個人だけのイメージではおさまらなくなるのです。

 

日本人は権威に弱いと言われるように、この人がいうならそうなんだろう、学者が言うならきっと正しい、有名人がいうから正論だ、などと簡単に変換されるのは、私自身も傾向があるなと思うことがあるのでよく分かります。

 


それを拾って一度疑って、自分なりに点検することがすっ飛ばされる。

もしくは、もう固まった印象は点検したつもりでも、受け取った時点で固定されて変わらなかったりします。

それすら自分の意見と信じこんだりもする。本当に厄介です。

 

かくいう私も、きっとこの思考が入り込んでいるでしょうし、本当に疑うとか全くの自分の見解などというものはないのだとも思います。

どこまでが自分で、どこからが影響されたものなのか…など分からない気もします。

 

ただそれでも今、思うのは、発言に自由をというのと、発言に責任をは同じことではないかということ。

いくら影響されても、それを発信したら、判をつくようにそこに自分も名を連ねることではないかとも思うのです。

 

 

・許せるとか許せないとかの前に

差別発言やそれを容認したり助長したりする発言、デマを流すこと、人の人格を傷つけたり、侮辱する行為、いのちを尊重しない発言など。

 

どこまで、どれだけ許容しなければ、あるいは受け止めなければならないのでしょうか。

本当に無関心でいれているのか、それとも無意識に傷ついたり、悲しんだりしても、当たり前と、皆気にしてないからと、目をつぶっているのでしょうか。

 

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私たちには自由意思があります。
おかしなことに声をあげることができる。


それを誠実に伝えたとしても、脅迫になったり、ただのクレーマーとして処理されることはないはずです。


オーバーリアクトだとか、小さな声で企業を疲弊される元凶みたいなことも言われないはずです。


確かに、ネットは沸騰しやすい。

人々の感情がむき出しになって、大きなことに発展しやすい。


けれど、ただ声をあげた人を悪い例を作る源のように吊し上げるのも、また同じことです。

 

ネット界隈では、声をあげる人をやたらめったら叩くという風潮があります。

 

そして、声を上げることが感情的だのヒステリーだのと決めつけます。

 

出る杭は打たれると、毎度毎度知らしめるように、自分たちが権力者になったと思いたいのでしょう。

そちら側にいると多分安心するから。

 

いつまでこんなことを続けているのかと、もう2020年だぞといつも思うのですが…。

 

 

・正義?怒るのはそんなにダメなこと?

正義感が暴走する、などということも今回また沢山考えましたが、怒ることはそんなに悪いことなのかという思いに至ります。

 

関係のないことに怒るなとか、自分には影響がないのに口出しするなとか、おおよそそれは誰かを誹謗中傷することと変わらないと思います。

 


このコロナウイルスの問題では、自粛警察が横行したけれど、あなたの行為もこれだといって何もかも一緒くたにすることは、問題を問題としてとらえなくなったり、声をあげること自体を萎縮させることになるでしょう。

 

自粛警察などは、正義感の暴走と言われますが、あれは結局八つ当たりだと私は思います。

自分は我慢しているのに!というもので、自分と横並びを強制する暴力。

みな同じでなくてはならない、合わせないと人ではないと、声をあげることを断念させてきた歴史を繰り返したものにすぎません。

 

 

・炎上さえ利用する

企業は炎上ということさえ、利用します。

近年そこに倫理観はなくなっていると思います。


特にGAFAと言われる超巨大企業は、こういった問題は痛くも痒くもないでしょう。

何せ、個人の情報も生活もすべて牛耳っているのですから。

 

私たちは人質みたいなもので、利用したくなきゃしなければいいと、強者の理論で押さえつけられるけれど、やめてみても利便性も情報も捕らえられたままになっています。

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ある人が今回のことで『プライムの利便性にはかなわない』と言ったそうです。

きっとそれはAmazonが一番わかっています。

企業イメージがどうと言われても、少しの数が利用しなくとも自分達には関係ないと。

 

だからこそ、今まで幾度となく問題となっている情報漏えいや、必要以上の情報の取得や利用、それを他社に売ることも、たとえ議論に上っても、変わらないのです。

多分変えようという気もない。

 

「Googleが従業員を監視するためのツールを開発していた」という内部告発が報じられる - GIGAZINE

以前こんなこと↑も問題になりましたが、立ち消えたように話が聞こえなくなりました。

そんなことの繰り返しです。

超大企業はきっとアウトローなんでしょう。法さえ自分たちに合わせてしまうのでしょう。

 

・諦めることを強制されてる気がする

そんな姿を見て、私たちは諦めてしまいます

自分の情報くらい守りたいという小さな当たり前の願いさえ、普通じゃないと信じこまされます。

利用するには仕方ない、便利さにはどうしようもない、当たり前のことなのだと思わされる。

そうして声をあげることもしなくなる

 

問題はここで、そしてこの半ば強制された依存関係、泣き寝入りを相手側は利用しているということです。

 

一番厄介なのは、こんな企業意識が私たちにも蔓延すること。

あまりにも対応がぞんざいで、横柄ですが、それが社会全体のデフォルトのようになっていることです。

 

 

・結論

長々と書きましたが、そんなことで、私は今回の決断に至りました。

誰に強制されたわけでも、報酬があったわけでも(クーポンという話は完全にデマです)、短期的な考えでも、ありません。

 

おかしいと思った自分に従おうと思います。

 

守るべきと思うものはみんなそれぞれ違うけれど、私の軸は人を大事にする、いのちを大事するということ。

それを傷つけるものは受け入れる必要がないということに、改めて今回気付いた気がします。

 

Twitterは見てなかったけれど、この間の状況に影響されなかったわけではないし、自分の意見と誰かの意見がごっちゃになったこともある。

けれど、考えてそれでも大事だと思うことは、せめてできる限り守ろうと思います。

 

おかしいなとか嫌だなと思う感覚も、決めつけなくて宙ぶらりんでもその感覚は忘れずに持っていこうと思います。