なまけものーと。

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分かりにくい!期日前投票と不在者投票、郵便投票、在外投票などの違いと問題点

選挙のプロみたいな方以外は、おそらくあんまり知らず、あんまり身近ではない投票方法について、何だそれ?と関心だけが昔から強かった私が、独断でまとめてみました。

 

簡易的なまとめで、全てを網羅しているわけではありませんが、

『あぁ!面倒!』と言いながら訳が分からなくなった方、よろしければもう一度一緒に面倒!!の正体を見てください。

そして、一緒に面倒くさい!!!と叫びましょう(/・ω・)/

 

長いですが、よろしければお付き合いください。

今までたくさんの、先人たちが声を上げ続けて変化してきた制度、この面倒で問題が山積みの今の状況もいつか変わると信じています。

 

通常の投票日に行って行う投票以外の方法を挙げています。

 

まず、期日前投票は、かなり一般的になりましたが、比較的新しい制度なので、上の世代で投票日に投票に行くのが通例だった方々は、不在者投票と呼ぶ人がまだいるように思います。


あくまでも、不在者投票とは別物です。

(もっと細かく言うと、以前は同じものでしたが、利便性と投票率アップなどのため別になったという経緯があります)

 

期日前投票は、投票日の前日、今回なら30日までに事前に投票ができる制度です。

時期が前倒しで行われるだけで、ほぼ投票日に投票するのと変わりません。

 

投票箱は投票日まで開けられることはありません。(期間中引き続いて同じ箱が使われるようです)
よくテレビなどで出てくる期日前投票者数というものは、受付のカウントによるものです。


今は期日前投票は、投票時間も延びて夜遅くまでや、駅前やショッピングモール、大学内などでも投票できるところが増えてはいるようです。


印象としては国政選挙の場合は、期日前投票の方が当日よりも色んな所で投票できる感じがします。

多くの場合は市役所や区役所、公民館や駅前の公的施設が主でしょうか。

 

 

一様、形式的なもので当日に行けませんよという宣誓書が必要です。

 

この宣誓書の影響で、地域によっても異なるでしょうが、私の住むところでは、以前はまるで審問を受けるように椅子に座らされ理由を問われました。


何だか悪いことをしているように、「えっと…学業です…」と自信なさげに答えることの心地悪さったらありませんでした…。


投票所に入る前に書いた紙を渡したのに理由を問われ、そしてそれを係の人が無駄にプリントしたら、ようやく投票用紙をもらえる形でした。


今は審問形式が簡略化され、投票券の下部分に(地域により違うかも)部屋の外で理由に丸を付けて日付を書いて、それを受け付けに渡す様になっています。

 

もちろんこれも、各市町村などで違いはあるとは思いますが、大分利用者が増えたことにより簡易になってきたところが多いと思います。

 

そもそも、期日前投票は、投票日に投票できない人が対象と言われていますが、別に仕事や学校に限らず、その日は買い物や遊びなどでも良いし、投票日は出掛けたくないでも、寝て過ごしたいでも何でも理由は良いんです。

 

だって自分の権利ですから。

棄権する人には、何で来なかったんだ!と選挙管理委員会から聞くなんてことがないように、考えれば当たり前のことなんですけどね。

 

誰にも咎められる必要もないし、弁明する必要もないし、バレるなんてこともありえません(ただすごく正直に答えると面倒なことになるかもしれないので、投票用紙をもらう際に書く欄はあるので、適当な理由を応用をしましょう)。

 

今回は特に、コロナの影響で密にならないでとのことで、期日前の活用を国が呼びかけています。(選ぶ時間は短くなってしまいますが…)

 

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これに対し、不在者投票は、投票日にも基本的に期日前投票の期間中にもその地域に居なくて投票所へ行けないという人向けのものです。

 

出張、旅行、帰省、あとは住民票を移してないとき等も対象です。

ちょっと面倒ですが、申請すると今いる地域の投票所で投票が可能になるものです。

 

数年前の参議院選挙で初めて、不在者投票に挑戦したので、やり方等は別にまとめました。

namakemonote.hatenablog.com

 

この不在者投票が、扱う投票方法の中では一番といっていい曲者でして、分類がまぁややこしい!そして不親切!という具合です。

 

上記の、出張などの場合と書いたのはかなりアバウトな例でして、一番に列挙されるものですが、実際はこのほかの分類が細かく分かれています。

 

 

ちょっと嫌になってきましたね…ここいらで一度

『ぁぁぁぁ、意味わかんねーー!』と吐き出しておきます。

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この、めんどくさーい分類等細かな情報は以下の総務省のHPをどうぞ。

総務省|投票制度

 

 

実は、不在者投票は一種類ではありません。

病院や施設にいる方を対象とした病院などで行う不在者投票というものもあります。

 

このあたりから区分や対象者がすごく複雑になりますが、名称はどれも不在者投票という名に統一されています。

 

大きな病院など都道府県の選挙管理委員会から指定された病院や施設にいる人が対象です。

自分やご家族がいる所がどうなのか、というのは都道府県や選挙管理委員会のHPで調べるか問い合わせる必要があります。

 

ただし、これはかなり一部の例でその指定もずっと行われているものでもなく取り消しなどもあり、変更することもあります。

 

権利の行使という意味では、皆が使えるようにというのが基礎であるはずですが、国からはそういった働きかけは行わず、施設の自由に委ねられます。

 

この指定に至るまでには、入院や入所している方からの要望や、施設側の設備により申請が決定されるという事情があり、かなり大きな施設か、投票をする人がしたいです!と手を挙げて一定数存在する場合以外は認められないというのが実情のようです。

 

実質、施設長の判断により可否が決められるというものです。
つまり、権利を行使するかどうか勝手に判断されるということです。

 

以下総務省の報道資料ですPDFファイルです

https://www.soumu.go.jp/main_content/000229611.pdf

 

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ただ、この限定的に投票が行えるという場合もどれほど一般的かと言うと、普通は入院や入所しているからできない、あるいは寝たきりなどで施設内にも移動できないということも多く、諦めたりそもそもその制度を知らないことが大半である様に思います。

 

実際、障がい者施設や病院等でこの指定がなされて不正(職員などからの不正な指示があった、勝手に書いた等)があって、逮捕される事例や、指定自体が取り消されれ、再び指定施設になることが難しくなるという事例があります。

 

こうしたことで、ただでさえ一般的でない不在者投票自体への印象が悪くなりその手段が閉ざされてしまうという憂き目にずっとあっているというのが現状です。

 

 

またこの限られた指定施設でない場合には、郵便投票と言う方法があります。

これも不在者投票の一部です。

大変面倒な分類でややこしいですが、対象者が違います。

 

郵便投票は、身体障害者手帳または戦傷病者手帳を持った方でかつ要介護5の方のみという、すごく特例のような扱いです。

(実際は障害の部位などもっと細かい条件付きです)
またここでは、障がいが重い方が対象のため、代筆という問題が出てきます。

 

ご本人が申請して、代理の方が行う旨も同時に届けます。

そして用紙を請求して、代筆してもらって、それを封筒に入れて郵送してもらうという内容です。

 

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ここまで書いてもめちゃくちゃ面倒!というのが印象ですが、何せ簡単には投票ができません。

 

介護の軽重や障がいの軽重によって、投票所へ行くことが難しい場合もありますが、家族やヘルパーの方等が伴って投票所へ行くことが基本とされていて、これ以外は郵送での投票などは出来ません。

 

寝たきりなどではなくても、付き添いが必要であったり、仮に施設等と選挙区の投票所が近くであっても、外出が簡単に認められないときや良い顔をされないということも、十分に考えられます。

 

お願いして、付いてきてもらう、介助してもらう、といった負担がどうしても生じてしまいます。

 

また、投票所では自筆が難しい方は代筆が認められるものの、それはその投票所の職員以外は認められていません。


そのため、信頼をおけないと思っても、初対面であろうその職員へ投票したい人を伝える必要があります。

投票の秘密が侵されていると言っても過言ではない事態になります。


実際に、以前はヘルパーの方に頼めたのに制度が変わったことで、権利を侵害されているとして裁判に訴えている当事者の方がいらっしゃいます。

www3.nhk.or.jp

 

  • 例外って懇願しないといけないの?

そんなこと我慢すればと思うでしょうか。

私たちは、ふつう選挙で誰に入れるかをわざわざ口にすることはありません。
あえて人に言いたい場合以外は、誰に入れただのと言う話を見ず知らずの人に発表するでしょうか。

 

それが苦痛であるかどうかは、それぞれですが一部が我慢すれば良い、と勝手に他人の権利をジャッジすることはできないのではないでしょうか。


少なくとも当たり前に権利を手にした私たちから、それをそれくらいと切り捨てることほど傲慢なことはありません。


また、自由なはずの意思を表現することすら、人に頼まねばならないという不自由さ。

へりくだって、お願いしなければ手にできない権利は、権利と呼べるのでしょうか。


みんな同じ様にあるはずの権利。

奪われることなど想像がつかない権利。

 

面倒だから、分からないから、知らないから、どっちでも良いから、と放ったものが、ある人には手にすることも難しいものだとしたら…。


棄権することも権利ではあります。

けれど、行かないことと投票できない人がいるということは別の問題です。

けれど、同じ線上にある問題です。

 

 

下のリンク↓は、SFの小説として寄稿された文章ですが、郵便投票や代理投票、についての視点が入っているものです。

 

未来の手段としてと考えると、選挙とは投票とはと立ち止まるきっかけになるかもしれないなと最近心に残った文章です。

www.asahi.com

 

今回は感染した人が投票できるのかという話も問題となっています。

実際、これほどの面倒を通り越しても投票しよう!という元気が残っているでしょうか

また、大事な権利を守りますという気概が、国にあるでしょうか。

 

陽性ではなく、疑いのある方、あるいは、病気や障がいで感染することにすごくリスクがある方、は外出して投票へ行くということが叶わないこともあります。

 

ただでさえ、超高齢社会と言われる現代。

誰もが障がいや病気を持つことは予想される未来です。

今までの普通の想定でこれからも運用されるとすれば、もっと不自由を感じる人は増えてしまうでしょう。

 

これは、今誰かの不都合で、不自由でという話に思えても、誰にでも起こり得て、誰もが不利益をこうむる可能性が十二分にある話です。

 

みんな年老いるという未来は、確実にやってくるのです。

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  • 外国からなら在外投票もあるけれど

さらに、外国にいるときには在外投票という手段もあります。


これは、今現在日本にいない方で選挙権を持った方が外国で投票できるというものです。


在外選挙人証が必要で、在外選挙人名簿というものに登録しなければなりません。

これらの申請を行った上で大使館や領事館または郵便で行うものですが、日本から外国に行った直後3か月は登録自体が認められず、転記に時間がかかります。

 

これがため、今回のバタバタな選挙日程ではすでに犠牲がでてしまっています。

www.huffingtonpost.jpこれでいいのか…本当に…?と思いたくなります。

 

在外邦人といって別枠で捉えられてきたものです。

それまでは投票すらできませんでした。

 

それが、裁判の後に法改正され国政選挙(衆参の選挙)のみ認められるようになり、こちらもまた裁判の後地方自治体の選挙も認められるようになりました。
これも長く時間がかかったもので、最高裁まで争われて決着したものです。


ですが、まだ問題はあります。
それは最高裁の国民審査(衆議院選挙の際に行われる最高裁判事を罷免できる権利)は認められていません。


同じ選挙権をもつはずなのに、住所で分けられてしまうというのは差別であるとして、今現在も争われています。

www3.nhk.or.jp(大法廷でとのことなので違憲判決がでそうな感じではあります)


数が多くはないからと、軽視されてきた問題です。


つまり、声をあげていなかったら未だに外国から日本のことをどれだけ考えていても投票ができない状況だったかもしれないのです。

 

  • 公正さといえど…不便すぎる…

いや、スタートはきっと、公平に公正にってことでしょう。

そして、考えうる例外を列挙してみたといったところでしょう。

その時の立案者を含めそれなりに議論しただろう人たちの、『ふつうや常識』から出されたものだろうとも思います。

 

それにしても。。ですよ

不在者投票しかり、郵便投票しかり、はたまた在外投票しかり、どうしてこうも不便で、主権者である私たちが、お願いします。受けさせてくださいと言わねばならないのか。


どうしてこうも、与えてやっていると上から目線を向けられなければならないのか。

 

ここで、そんなに有難みを感じねばならないのか…だとしたら、という想像を飛躍させてみました。
投票できるありがたみは、いわば、生かされてる!というありがたみに似ているとふと思いました。


それは、長年の闘いで選挙権を勝ち取ってくれた先人たちへの感謝、

投票する日まで生き延びれましたという感謝、

そして権利はあれど行使できないという権利を奪われている人々がいる中で、これを当たり前に手にしていることへの感謝と申し訳なさ

そう言ったものではないかな。というところで止まりました。


だから、別に投票させてくれてありがとうと国会や行政や司法に言うことでもないし、職員の人に私を選挙人と認めてくれてありがとうと言うことでもありません。


世界の投票の公平さを考えたり、基本的で当たり前なはずの権利がいかに軽視されているか、奪われやすいかを考えるだけであって、制度への感謝は私はありません。

 

こんな現状を考えてしまい、最近はいつも選挙の度に、怒りと悲しみとやるせなさと申し訳なさが入り交じってしまいます。


制度は人のためにあるはずで、行使できることが特別なことであってはならないし、それが人によって差ができたり、行使することに誰かの手を煩わせて…なんて後ろめたく思ってはいけないはずなのに。


どうして簡単に奪うのだろうと。

どうして他人が被っている不利益をこんなにも冷淡に無視できるのだろうと思います。

 

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  • これだけ面倒…だからこそ!

こんな憂き目にあっている面倒極まりない選挙権。

だから、いっぱい悩んだら決断したら、その後は堂々と投票しようと思います。

 

そして、新たに選挙権を持った人、そろそろ選挙に行ってみようかなと思っている人、まだ選挙権はないけれど興味はあるという人、そういう人にとっても、悩んだら堂々と選択して堂々と投票してほしいなと、偉そうではありますが思っています。

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選択して、声をあげなければ、声を奪われている人たちにも顔向けできないから。

権利は堂々と行使する。

みんなが生存するために。私はそう思っています。